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第12話
春――四月になったというのに、朝晩は肌寒い。
そんな中、コミックスフロアの担当で飲み会の話になった。
「……定例会、ですか?」
「はい。シフト制なので全員が全員参加はできないのですが、コミックスフロアを担当している人たちだけで、定期的に定例会と言う名の飲み会をしているんです。それに、まだ梶浦さんの歓迎会もまだでしたし」
定例会は季節ごとに一回は開催されている。
なので、一年を通じて、最低でも四回は定例会をしていることになる。コミックスフロア以外だと、店長も都合がつけば定例会に参加してくれる。
そして、今回の定例会は梶浦の歓迎会も兼ねてある。
「もし飲み会が苦手であれば言ってください」
「苦手ではありませんが……ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ。あとでスケジュール確認してもらえればと思うんですが、都合の悪い日があったら教えてください。それを避けて、定例会の日程を第三希望まで決めようと思いますので」
せっかくの歓迎会なのだ。人数は多いほうがいいだろうし、同じコミックスフロアでもなかなか話す機会がない。
こういうときでこそ、飲み会は絶好の機会である。
「それじゃあ、休憩のときにでも確認してみますね」
「お願いします」
梶浦の休憩という言葉で時間を見れば、時計は昼の十二時近くまできていた。
午後から新刊が搬入されるので、あとで荷物を取りに行かないといけない。発売日を見れば、今回はコミックスよりも小説のほうがタイトルの数が多い。
だからといえど、特に変わったことはない。
いつも通り。
「梶浦さん」
「はい?」
「午後から新刊が搬入される予定なので、今日は二人でまとめて休憩に入りましょう」
「わかりました」
搬入の数が少なければひとりでもいいのだが、数が多いとなると二人で一緒にやったほうが効率的に早い。ただ運ぶだけなので、梶浦ひとりにやってみせてもいいと思った。
今のところ特に目立ったミスもなく、順調に成長している。一緒に研修しているからというのもあるが、梶浦は割とそつなくこなす。
入社して一ヶ月は経ち、仕事にも慣れてきている頃だろうとは思うが、やはり最低三ヶ月ほどは一緒について確認していったほうがいいだろうと考える。三ヶ月の研修が終わったとしても、まだ知らないこともあとあと出てくるだろう。
そのときは、その都度教えていけばいいだけの話。
実際、高槻も彼女からそう教わってきたのだ。
例え、梶浦がそつなくこなすといっても、許容範囲を超えていっぱい、いっぱいになっては意味がない。
――焦らず、様子を見よう。
「休憩時間ですが、十二時半からにしましょうか」
「はい。あ、高槻さん!」
「どうしましたか?」
「よかったら、今日外で一緒にご飯食べに行きませんか? それともお弁当か、コンビニで買ってきちゃいましたか?」
「いえ、今日はまだなにも……」
そこまで言えば、梶浦は「はじめて二人で食べた店に行きましょうよ!」と、嬉しそうに誘ってくる。
今から散歩に行くのを楽しみにしている犬のように見えてしまい、高槻は思わず「ふふ」と笑みを零してしまった。
「えっ、えっ、どうしてそこで笑うんですか!? てか、高槻さんの笑顔!」
「い、いえっ……ちょっと……」
それでも高槻は口許が緩んでいるのを元に戻せない。
決して悪気はないのだ。
ただ、梶浦は高槻の中で「受け溺愛攻め」でもあるけれども「わんこ属性」も定着しつつある。
密かに笑いを堪えながら、高槻は返事をした。
「いいですよ。一緒にお昼食べに行きましょう」
笑ってすみません、と同時に伝えても、まだ表情に出てしまっているようで、梶浦に「我慢しているの、ばれてますよ」と突っ込まれた。
「ほら、高槻さんが笑ってばかりですから、時間あっという間じゃないですか」
まだ十二時前だった時計の針は、三十分前まで来ている。
あっという間にも程がある。
三十分もあれば、定期的に変えている各出版社の面展くらいは作ることができたはずなのに――と、己の情けなさに落胆してしまう。
時間が来てしまったことには仕方がない。梶浦に「休憩入りましょうか」と伝えて、二人一緒にBLコーナーの棚から離れた。
休憩が終わったあとは、搬入の連絡が入るまで梶浦は新刊準備、高槻はそれを見守りながら既刊本のチェックをしていた。追加発注をかけるコミックスや小説をどうしようかと、リストと棚を見比べる。
そうやってお互いに仕事をしていると、同じコミックスフロアのスタッフから声がかかってきた。
「あ、しのちゃん! 搬入終わったから取りにおいでって」
「ありがとうございます……って、真壁 さん。その『しのちゃん』って呼ぶの止めてくださいよ」
恥ずかしいですから、と言っても、真壁は「呼びやすいから」と言い、高槻のことを「しのちゃん」と呼び続けている。
同じコミックスフロアで仕事をしている真壁は、高槻の教育係を務めた彼女――田中美里と同期で先輩だ。男性にしては店長と似たようなおっとり感があり、とても気さくな人。
「それとね、お願いがあるんだけど」
「なんですか?」
「今日、こっちの人数足りないのと、レジにもヘルプ行かせてるから、梶浦くんと二人で任せてもいいかな? 梶浦くん順調みたいだし、こういうときの場合もあるからってことで」
まだ研修期間でもある梶浦のことまで気を遣い、なにかと見てくれている。
彼女が退職してから、店長や同じコミックスフロアの仲間が気にかけてくれるのは、本当に有り難いことだ。
「梶浦くん、頑張ってるね」
「ええ。そんな彼は、今、新刊コーナーの前で唸ってますけどね」
「あはは」
まだ慣れない新刊コーナーの準備に戸惑いながらも、ああでもない、こうでもない、と奮闘している。
なんだか微笑ましい。
「それに、今の高槻くんも、田中ちゃんと一緒に仕事をしていたときみたいに楽しそうにしてるしね」
「田中さんが辞めてから、そんなに元気なさそうでしたか?」
「うーん……少しだけ上の空って感じで。でも、仕事は楽しそうにやってたけどね」
高槻の頭を優しく撫でると、真壁は微笑みかけた。
彼女が退職して寂しかったのは本当だが、BLというジャンルが高槻を支えてくれたのも、そこまで極端に落ち込むことはなかった。
「しのちゃん」
「はい」
「自分のペースでいいんだよ」
「……そうですね。ありがとうございます」
「それじゃあ、梶浦くん連れて、新刊取りに行っておいで」
背中をポンと軽く叩かれ、真壁は次に梶浦の名前を呼んだ。
「梶浦くん。今日はしのちゃんと二人でやってもらうね」
「しのちゃん……って、高槻さんのことですか?」
「うん。高槻偲 だから『しのちゃん』だよ」
「あ、そういえばそうでしたね。高槻さんのこと『高槻さん』しか呼ばないので、下の名前だとピンときませんでした」
入社日に挨拶をして以来、同じコミックスフロアなので真壁と梶浦は顔を合わせることはあっても、まともに会話という会話をしたのはこれがはじめてだ。
高槻のことを「しのちゃん」と愛称をつけて呼ぶ真壁は、梶浦に爆弾を落とした。
「まあ、呼び慣れちゃったからね。なんなら、梶浦くんも呼んでみる?」
「……!?」
――なんてことを言うんだ、真壁さんは!
瞬間、どっと全身汗が噴き出そうな感覚に陥った。
まさか呼ぼうとは思わないだろうなと梶浦を見れば、本人は困ったような笑みを浮かべながら「今はまだ呼べないですよ」と言った。
一度でも冗談で呼べば、「な、なに呼んでるんですか!」と反応できるのだが、呼べないと言われるとなにも言えない。
それとも、梶浦の好意が高槻にも知られているからこそ、ただ安易に呼べないだけなのだろうかと考えてしまう。
そんな考えとは裏腹に、梶浦の中では友達へとレベルアップしたのはいいもの、簡単に高槻の愛称を呼ぶことはしたくなかったのだ。呼ぶのであれば、最も二人の仲が進展したときに呼びたいと考えていたし、そのときまでに大事にしておきたい気持ちがあった。
こんなことを梶浦が考えているなんて、高槻は知る由もない。
梶浦は高槻に「行きましょう」と促すと、真壁に「行ってきます」と軽く会釈した。
「いってらっしゃーい」
真壁に見送られ、新刊が搬入されている一階へと向かう。
「今後も、こういうことがあると思いますので、そのときはご協力お願いします」
「もちろんです。……ところで、真壁さんはいつもあんな感じなんですか?」
「真壁さんですか? そうですね……店長みたいにおっとりしていて、社員だろうとアルバイトだろうと、みんなを気にかけてくれてますね」
「へぇ」
「本当に気さくな方で、この職場に長くいてもらいたくて、よくあだ名をつけて呼んでますね。でも、はじめましてからのいきなりだと警戒されちゃうので、慣れた頃を見計らってつけてます。梶浦くんもそろそろじゃないですか」
「そうなんですね」
高槻の場合は、彼女が「高槻くん人見知りだから、ここは一発、真壁さんがあだ名でもつけちゃってよ」と言ったのが原因でもある。もし、あの場所に彼女がいなければ、真壁との距離が縮まるのも時間がかかっただろう。
彼女の存在はある意味最強だ、と今更ながら感じた。
「呼びやすいようにあだ名で呼ばれるのは抵抗ありませんけど、変なあだ名じゃなければ俺は大丈夫です」
「真壁さんにそう言ったら喜んでくれますよ」
さすがコミュニケーションの高い梶浦だ。
「ここはいい人たちばかりです。アルバイトの人たちも、よっぽどの事情じゃない限りは年単位で長く続けてくれてます。もちろん、梶浦さんも長く続けてくれると、僕は嬉しいです」
「俺の場合、きっかけがきっかけですけど、高槻さんのこともっと知れるように長く働きたいですね」
「そこですか!?」
「半分本気、半分冗談。でも、仕事はきちんとします」
くす、と笑われ、心臓が不覚にも高鳴った。
「書店に行くことはあっても、働いてみたいなというところまで繋がらなかったので、これを機に、高槻さんみたいに楽しみながら働きたいです」
「そ、そうですか」
改めて言葉にされると照れくさくなる。
特別、高槻がなにかしたというわけではないが、こうやって仕事に繋がっていくのがなによりも嬉しい。
「そうやって無意識に照れるの、可愛いので止めてくださいね」
「……!」
「顔に出てましたよ」
――百面相している高槻さん、可愛いですよ。
初日のことを思い出して、恥ずかしくなり、今すぐに消え去りたい気持ちになった。
仕事のこと、他愛のない会話をしながら非常階段を使って一階まで下りてバックヤードへ。そこには、各フロアのスタッフが荷物をカゴ台車に乗せてエレベーターで運んでいる。
「各フロアごとにだいたいまとめてあるので、それを台車に運びましょう」
「あの、前から思ったんですけど、高槻さんって力あります?」
「え?」
「だって、体型細めだし、力仕事なら俺だけでもって……」
「実は、これでも意外に力持ちなんですよ」
よく言われるこの手の質問には慣れた。
貧弱そうに見えるが、折り畳み式のコンテナを二個積み重ねて持ち運ぶことができる。三個以上となるとさすがに持ち歩きはできないが、台車から作業台に乗せるだけの一瞬の力は出せる。
段ボール箱で例えると、重さにもよるが百サイズ以内のものであれば二箱は大丈夫だ。
高槻自身でも、どこからそんな力が出るのだろかと不思議に思うくらい。
「高槻さんって、意外と男らしい一面があるんですね。そんなところもいいですね」
意外と――というのが引っかかるが、そこに反応すれば梶浦を喜ばせてしまうのが目に見えているため、あえて反応しないように耐える。
流れ作業で台車にひと箱ずつ荷物を運びながら、高槻から梶浦へと荷物を渡している途中で、ふいに高槻の身体がぐらついた。
(このままだと……!)
荷物を落としてしまう――と危険に思ったが、咄嗟に梶浦が正面から抱きとめてくれた。
「だ、だ丈夫ですか?」
「あ、……はい。大丈夫、です」
重心があまりにも前にかかったせいで、傾いてしまった。
「荷物も大事ですけど、荷物を落として怪我しなくてよかったです」
高槻が抱えてある箱を持ち上げ、代わりに台車へと乗せた。
咄嗟とはいえ、さり気なく抱きとめられ心音がばくばくと早鐘している。梶浦も高槻と似たような細身の体型なのに、抱きとめてくれた腕はがっしりとしていた。
ドキドキと煩い。
タイミング悪く、まだ「ありがとう」のひと言も言えていない。
「か、……梶浦さん」
心臓が、本当に煩い。
「やっぱりどこか痛いですか?」
「違うんです。あの、あ、ありがとうございます」
「いえ、どういたしまして」
優しい声。想像でしかないが、優しい笑みを浮かべて高槻を見下ろしているに違いない。
頬が熱くて、なぜか梶浦の顔を直視できなかった。
目を見てお礼が言えなかった。
ただ、抱きとめられただけだというのに――。
「荷物、あとはこれだけですね」
まだ残っていた箱を梶浦が手にすると、台車に乗せて「戻りましょうか」と、エレベーター前まで台車を運んでくれた。
エレベーターの中で梶浦が話しかけてくるも、高槻は煩い心音で落ち着かず、曖昧に相槌くらいしか打つことができなかった。
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