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第14話

 季節は六月の初夏を迎えようとしていた。  梶浦が入社して早三ヶ月が経った。ひと通りの研修期間を終えて、特になんの問題もなく業務をこなしてくれる。高槻が休みの日でもわからないところがあれば、同じコミックスフロアのスタッフや社員である真壁に訊けば対応してもらうようにしていた。 「高槻さんがお休みのとき、どうすればいいですか?」  社員が対応しなくてはいけない業務で高槻がいない場合、真壁や他の社員、店長に任せれば大丈夫だと伝えてはいるが、手伝ってくれようとする姿勢はとても好印象だ。  嬉しいことだが、そこまで梶浦がする必要はない。 「あと、事後報告でもいいですが、僕がいないときに手作りポップ作ってみたいと思ったら作ってみていいですよ。作業台の引き出しに紙や色ペンが入っているので……って、まだ作ったことなかったですよね」 「あの、今日もし時間があったら作ってみてもいいですか?」 「そうですね。梶浦さんが作るポップ見てみたいので、恐らく時間もできると思いますので、読んだことある本でもいいですし、梶浦さんのおすすめだと思う一冊を選んで作ってみましょう」  新刊でも――と思ったが、新刊は各出版から販促物が届いていたり、作家直筆のポップをもらっているのもあるため、念のために避けておいた。  たまにBLを読むという梶浦だが、実際にどれほど読んでいるのか高槻は知らない。高槻のように色んな商業BLを物色しているのであれば、新刊を読了したあとにひと言感想を添えて飾るのもありだろう。  なので、あえて梶浦のおすすめ一冊で様子を見ようと思った。  時間はたっぷりあるわけだし、仮に今日作る時間がなくなってしまっても、別の日に時間を設ければいいだけの話。 「今日ですが、先月分の特集コーナーの本を棚に戻していく作業と――」  開店前に、今日の流れを説明する。  恒例の特集コーナーを入れ替えしたのはいいものの、棚に戻す作業までは辿りつけなかった。その作業を梶浦に任せ、高槻は月末からはじまるフェアの確認をしていた。  フェアをする度に思い出すのが、彼女との会話だ。  フェア特典について盛り上がり、作業の手が止まってしまったこともあった。 (……久々に連絡してみようかな)  育児で大変だろうと思い、なるべく高槻からのコンタクトは控えていた。  ただ、なんとなく久しぶりに話したいと思った。 「高槻さん。なにボーっとしてるんですか?」 「……え? わあっ……!」  背後から声が聞こえたので振り向こうとしたら、覗きこむような形で梶浦の顔が近くにあった。  もう少しでぶつかるところだったと思うと、危ない。 「すみません。驚かすつもりはなかったんですけど……」 「あ、いえ、僕が、そのっ」  あまりのことに心臓は跳ね上がり、バクバクと鼓動が早鐘する。  手を止めて考え事をしていた高槻も悪いが、梶浦との距離が近すぎた。  二人の仲に更なる変化はあるのかと問われれば、それは全くと言っていいほどいつも通りだ。  仕事仲間として、そして、友達としてたまには高槻の買い物に付き添う。興味津々に「買うもの当ててあげましょうか?」と微笑まれながらも手にする新刊は、肌色が多い表紙ものだったりする。  その新刊を買うには買うが、にこやかに手にしている梶浦を見ると、見た目と表紙にギャップを感じてしまい、持たせてしまったことになんだか申し訳ない気持ちになってしまった。  仕事中も適度な距離を保ち、休憩時間も被れば稀にランチに誘ってくる。毎回というわけではないが、退社後も買い物に付き合ってくれたり、他にも行きつけの場所があれば教えて欲しいと積極的だ。  こんなにもいい人に攻められるのもあり、正直心臓が持たないわけがない。  今までだって、何度も心臓は忙しかった。  受けの気持ちはこんな感じなのだろうかと、作品で見かける受けの気持ちに置き換えてしまう。そんなことを考えても、梶浦のことをどうするかなんて、高槻自身、戸惑いしかないというのに。  逆を言えば、高槻のことを想ってくれている梶浦に対して、とても申し訳ない気持ちになるばかり。  それなのに、梶浦の言動に一喜一憂している自身がいて、心臓が痛いと思えばドキドキしたりする。  ――正直わからない。  BLを読めばキャラの気持ちはわかるのに、いざ自分のことになるとわからなくなる。  梶浦のことを「好き」か「嫌い」で考えると「嫌い」ではない。  かといって「好き」でもない。  本当に今は仕事仲間以上、友達未満な関係。 (……今は?)  今はそうでしかなくても、今後は変わる可能性があるのだろうかと改めて考える。  しかし、未来のことなんて当たり前だがわからない。  ――わからないことだらけだ。  特殊な予知能力を持っているわけでもない。  自分の気持ちも、進む道も、運命でしかない。 「BLの受けになってみたいな……あ、でも、そうなると掘られちゃうか」  受けになってみたいと思いつつ、お尻は死守したいというのはBL的にどうなのだろうかと思う。 「……あの、高槻さん」 「あ、はいっ」 「その、言いにくいんですけど……」 「……?」  申し訳なさそうにしている梶浦を見て、高槻はなにかやらかしてしまったのだろうかと首を傾げた。 「高槻さん、たまに器用なことするなって思うんですけど、仕事しながら現実逃避して、心の声までダダ漏れですよ……っていう……」 「……!?」 「あ、いえ、俺が聞いたのは『BLの受けになってみたいな……』から『掘られちゃう』ところまでですけど」 「それほぼ全部じゃないですか!」 「本を棚に戻している最中も、たまにぶつぶつ言ってましたけど、……あの、自意識過剰かもしれませんが、俺のこと考えてました?」 「……っ」  いつかの「穴があったら入りたい」が、高槻を襲いかかる。 「大丈夫ですよ! 高槻さんに触るときは、優しく触りますから!」  ――そんなことじゃない!  ここが書店でなければ、勤務中でなければ、大声で訂正したい気持ちでいっぱいなのに、恥ずかしくて全身から汗が噴き出そうだ。  いや、既に変な汗が背中を伝っている錯覚に陥る。  それなのに、追い打ちをかけるかのように、なんてことを言ってくるんだと心臓をバクバクさせながら、高槻は「と、トイレ行ってきますっ」と言って、その場から離れた。 「……顔、真っ赤にして可愛かったなあ」  小さく笑みを浮かべ、高槻の背中を愛おしそうに見つめていたことを、高槻は知る由もなかった。  その晩、今日起こった出来事を商業BL本でも読んで上書きしようと読みはじめたところで、携帯が振動した。 「……せっかくの注入タイムが……誰だろうって、田中さんだ」  そういえば、現実逃避からの「トイレに行ってきます」と言ったあと、実際にトレイへ行き、個室の中で心臓を落ち着かせていた。  落ち着かせている間に、高槻はズボンのポケットから携帯を取り出した。本当は勤務中に個人の携帯を所持するのはいけないことなのだが、ポケットの中に入れっぱなしにしたままフロアに出てしまい、休憩のときにロッカーに戻せばいいかと安易なことを考えていた。  それから、彼女に「今日時間があったら電話してもいいですか?」とメッセージを送っていたのを、今になって思い出した。  すっかり忘れていた――なんて言えば、「BLに夢中だったんでしょ」と笑われるのがオチだが、まだ夢中になる直前だ。  実際には、片足すらも入っていない。  彼女からの連絡は、電話ではなくメッセージが受信されていた。  高槻から電話してもいいかと連絡した手前、なかなか連絡がこないから心配したのだろう。  慌てて通話ボタンを押して彼女に繋げる。 「――もしもし、遅くにすみません」  テーブルの上に置いてあった腕時計を見れば、時計の針は夜の十一時を差している。日々、育児に奮闘して疲れてゆっくりしたいだろうに、高槻の名前を呼ぶ声はとても明るかった。  梶浦のことについて、彼女には軽く説明してある。  教育係のことで悩んでいたことは、出産後、彼女が落ち着いてからメッセージ経由で怒られた。 『いつもは手を焼くんだけど、今日は珍しく大人しく寝てくれてるから大丈夫よ。それに、夜泣きで起きるだろうし……』 「……ちゃんと寝れてますか?」  はじめての育児で疲労困憊なはずなのに、彼女は強い。 『正直大変だし、大好きなBLを読む時間もないしで、全て投げ出したい気持ちもあるよ。それでも、この子の顔を見たら疲れなんて吹っ飛んじゃう。それに、私だけじゃなく、旦那もきちんと手伝ってくれるから助かってるわよ』 「それならよかったです」 『それで? なにかあったから、あんなメッセージ寄越したんでしょ?』 「そ、それは……」  確かに、なにかあったから彼女に助けを求めるようなメッセージを送った。  鋭い。 『この際、洗いざらい話したらすっきりするんじゃない?』  彼女の言う通りだ。  梶浦との間に今まで起こった出来事を話せば、もしかしたら解決の糸口が見つかるかもしれない。  梶浦に対して感じる胸の高鳴り、痛み。  だが、それを彼女に話したところで、いい意味で最高の餌を与えてしまうに違いない。通話の向こうで顔を緩ませながら、脳内は妄想だらけになるだろう。  彼女には悪いけれども、それが目に見えてしまっている。 「えっと……その、わからないんです」  それでも、高槻は少しずつ言葉にしていく。 『なにが?』 「自分の気持ちが……」 『それって、私が前に〝ホモになっちゃえ〟って言ったせい?』 「あ、えいっ、そういうわけじゃないんです……!」  このままでは話が堂々巡りになりそうで、高槻は梶浦との出来事を話していった。  これを聞いて、彼女がどう思うかはわからない。  恥ずかしかったことも、照れくさかったことも、こんなことがあったなと思い出しながら、彼女にゆっくり説明する。  はじめて見たときは彼の身長の高さに驚き、不慣れな研修では初日から泣いてしまえば慰められ、彼に随分気に入られ「可愛い」の連発から「恋愛してみませんか」へと発展。  見た目は爽やかで清潔感もあり、とても優しい笑みを浮かべる好青年なのに、実態は「ゲイ」であり、高槻に好意を寄せている。  ノンケな高槻だろうと、長期戦なのも覚悟の上で、積極的ではあるもの適度に距離を取って不快感を与えないようにしてくる。  お陰で、高槻の心音は色んな波がある。  決して公私混同しているというわけではないが、きちんと仕事もこなす。  ――僕じゃなくて、絶対他の人のほうが似合うと思うんだけどな。  そう思うと、なんだか切なくなってきた。

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