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第16話
月末から二週間開催されるフェアの前に、約束していた食事会のために定時で仕事を終わらせ、二人一緒に予約してある店へと向かった。
彼女が予約してくれた店は駅周辺だったので急ぐこともなかったのだが、そんな風に見えたのか、事務室で事務処理をしていた店長に「二人してデートなのかな?」と、冗談めいた言葉を投げられてしまった。
「な、なに言ってるんですか店長!」
「デートじゃないですけど、大事な食事会には変わりないですね」
「梶浦さんまで!」
店長が余計なことを言わなければ、梶浦までややこしい会話を繰り広げることはなかったはずだ。
あはは、と間延びした声で店長は笑っている。
高槻は「デートでも、大事な食事会でもないですから! ただの、食事会です!」と訂正して事務室から出た。中から「待ってください、高槻さーん!」と言って、店長に「お先に失礼します」と挨拶して出てくる梶浦をよそに、高槻はさっさと従業員出入り口を通り抜けた。
冗談でもああいうことを言われてしまえば、意地でも否定したくなる。店長に悪気がないとわかっていても、梶浦にとっては半分以上本気だ。食事会だろうと、想い人に誘われれば、いくら梶浦でも舞い上がるに決まっている。
それを自慢げにせず、さも幸せそうな笑みを零しながら発言する梶浦からは、ぶんぶん振っている犬の尻尾が見えたような気がした。
それからは、高槻と梶浦は目的地へと向かう。
肩を並べながら仕事のこと、BLのこと、前々から話をしていた彼女のことも話題にしながら、目的地の居酒屋に到着する。
「お席にご案内しますね」
店内に入り、予約している彼女の名前を告げる。
案内された席は完全個室。これなら周囲を気にせず話ができるだろうが、それでも話し声は多少漏れるとは思うので、大声で変な話はできない。
仮に大声で恥ずかしい話をしても、顔を見られているわけではないので、気にしたら負けのような気がする。
(ただ、お酒が入るとな……)
大きく羽目を外すというわけでもないが、アルコールが入る分いくらか陽気になってしまうことは、誰しも一度は経験するだろう。
「お席こちらになります。おしぼりとお通し、これからお持ちしますね」
「はい。ありがとうございます」
個室の扉は横にスライドする仕様だ。取っ手を持ち、扉を開ければ、中から「遅いよー、高槻くん!」と、聞き慣れた声が耳に入ってきた。
恥ずかしくなり、梶浦に早く中へ入るよう促すと、すぐに扉を閉める。高槻の隣に梶浦が座り、二人の前には食事会を提案してきた彼女が座っていた。
「これでも定時で仕事を終わらせてきたんです。遅くはないですよ」
「冗談に決まってるでしょ。お疲れさま」
「いえ。田中さんだって、いつも子育てお疲れさまです」
お互いに労い、挨拶を交わす。
「失礼します。おしぼりとお通しお持ちしました」
「ありがとうございます」
「もしお決まりでしたら、先にドリンクのご注文も承りますが……」
店員の言葉に、三人は先にドリンクの注文を済ませた。
そして、注文したドリンクが揃うと、三人は乾杯をはじめる。
「えっと、改めて……お疲れさまー!」
彼女の音頭で食事会はスタート。
まだ名乗っていなかった梶浦は、高槻からの紹介でようやく彼女へ挨拶をした。
「もしかしたら、高槻さんから名前だけでも聞いていると思うんですけど、……はじめまして、梶浦圭介です」
「こちらこそ、はじめまして。高槻くんと一緒にBLを担当していた田中美里です。よろしくね、梶浦さん」
微笑み合いながら軽く自己紹介を済ませると、会話を弾ませていった。
はじめは仕事の話や、彼女と高槻が仲良くなった経緯など楽しく話していたが、話の中盤になってくると、梶浦もはじめよりは打ち解けてくるようになり、色んな話をするようになった。
「へー、梶浦さん、女子にモテそうなのにそっちの人だったんですね。高槻くんは、梶浦さんもすでに知ってると思うんですけど……」
「腐男子ですよね。でも、恋愛対象は男じゃない」
「そ、それは……」
「あれれー? 高槻君、どうしてそこで慌てるのよ」
にやにやと意地悪い笑みを浮かべる彼女に、高槻は慌てながら「そんなことないです」と言って回避する。
梶浦の言う通り、高槻は「腐男子」ではあるが、恋愛までもそれに直結しているわけではない――はずなのに、どうしてか梶浦の口から「恋愛対象は男じゃない」と言われてしまうと、少しばかり心が痛んでしまうのだろうか。
あれだけ人に迫っておいて、意識しないはずがない。
ただ、それが恋に発展するしないは、高槻の気持ち次第。
俺と恋愛してみませんか、と言う梶浦の発言からはじまり、今までそれとなくアプローチを仕掛けられた。ときには、本人にはその気はなくても自然と見せる仕草に胸の高鳴りを覚えたりすることもあったが、その気持ちは果たして恋なのかどうか、高槻にはわからないままだ。
これまで、沢山のBL作品を読んできた。
作品を読んでいるときは、受けの気持ちや攻めの気持ちに感情移入してしまうことが多いのだが、いざ現実となると、自身の恋愛はからっきしだ。
もともと恋愛に疎いほうだ。
だからなのか、梶浦からのアプローチに高槻はどきどきさせられっぱなしだ。かっこいい梶浦に迫られもすれば、同じ男でもどきどきしてしまう。
「……ねえ、高槻くん。なに百面相してるのよ」
「えっ、あっ、そんな表情してました!?」
「してたわよ」
「百面相というと、なんだか初日のことを思い出しますね」
「か、梶浦さん、それはちょっと……」
「なにそれ。梶浦さん、そのこと詳しく教えてくれないかしら」
なに余計なことを――と思いながら、高槻は両手で顔を覆った。
一応、初日の報告は彼女にもしていた。
無事に初日の研修を乗り切ることができました、と簡潔に。
ただ、泣いたことに関しては報告していない。男のプライドとか関係なく、泣いてしまったことを報告してしまえば彼女は心配したに違いない。
口から出てくる言葉はBLのことばかりであっても、よく人のことを見ている。
心配性な先輩だ。
それなのに、梶浦が口を開いてしまったせいで、彼女は楽しそうな表情をしていたが目は笑っていなかった。
(やばい……)
そんな気持ちの高槻とは裏腹に、梶浦が彼女に伝えたことは「高槻さん、よく妄想の世界に飛んでるみたいです」と、いかにも高槻が危ない人みたいな発言をする。
(失礼な! 妄想というか、現実逃避しているのは間違いないけど!)
楽しく喋る二人に悪態をつきながら、それでも仕事をしているからいいじゃないですか、と高槻は反論する。
「この子の百面相、おもしろいでしょ? 気づいたら色々と表情変わっててね。それに普段はそこまで饒舌じゃないのに、好きなBLの話になると言葉数が多くなるんです」
「今日まで何度も見てきましたよ。声をかけるまで気づいてくれないんですから。それでも、きっちり手を動かして仕事をこなすんですから器用ですよね。でも、色んな高槻さんを見れるのは嬉しいです」
「もしかして、梶浦さんの好きなタイプって、高槻くんみたいな子だったりします?」
「……!」
自然な流れで、梶浦の恋愛話に持っていくとは思いもしなかった。
そんな彼女の問いかけに、梶浦は優しく微笑む。
「田中さんのご想像にお任せします」
「そんな勿体ぶらなくてもいいんですよ」
「ぼ、僕、ちょっとトイレ行ってきます!」
なんだかこの場にいてはいけない気がして、高槻は咄嗟に席を立ち上がった。
(トイレに寄って、気分転換に外の空気でも吸おうかな)
携帯はズボンのポケットに入っているので、彼女に連絡して戻るタイミングを見つけよう。
二人がどんな話をするのか気にはなるが、高槻はあまり考えないようにした。
◆
高槻が席を立ち、個室から出たのを見計らって彼女は梶浦に話を振った。
ここからが本番。
今までのは、会話をしながら彼を観察していただけ。
「――で。本当のところ、梶浦さんはどう思っているんですか?」
「好きですよ。可愛いじゃないですか」
あたかも当たり前のような発言。
柔和な笑みを見せてくるあたり、恐らく本心なのだろう。
「可愛いだけ? 高槻くんが腐男子だからって、その爽やかそうな面しておいて遊びで落とそうとするんだったら、その綺麗な顔に一発お見舞いしてあげようかと思ったんだけどね」
この際、言葉遣いも暴言もどうでもいい。
「高槻さん、田中さんに愛されてますね」
「私にとって高槻くんは元後輩だけど弟のような存在で、大切な腐仲間なの。いくら高槻くんがノンケでも、振り回すようなことはしないでほしい」
「……高槻さんから、少しだけなにか聞きましたか?」
なにか知っているからこそ、少しずつ探りを入れてきているのだろう――梶浦はそう感じた。
「全部というわけじゃないけど、梶浦さんにアプローチされたということだけは聞いてるの」
本当はだいたい全部聞いている。
しかし、それを梶浦に言えば警戒されるだろう。見た感じそういう人には見えないが、万が一のことも考えてだ。
そうでもしないと、せっかくいい距離でいる二人の間を壊すみたいで後味が悪い。
(もしかしたらの可能性だってあるんだから……!)
変に気合が入ってしまう。
少しばかり私情も入ってしまうが、どうなるか見守りたい。
ただ――。
「でも、本当にどうして高槻くんなんですか? 言い方はあれですけど、梶浦さんなら選び放題でしょ? それに、高槻くんだって自分より他の人のほうが梶浦さんに似合うって考えそうだけど」
「高槻さんならそう考えそうですね。……高槻さんにも言ったんですけど、はじめてなんです。高槻さんみたいな人」
「平凡な子が?」
そんな風に言えば、梶浦はなにかを思い出したかのように含み笑いを零す。
「言い方は違いましたが、高槻さんにも『地味な人がですか?』って言われましたね。傷つけたいわけじゃなかったんですけど」
「ふーん。高槻くんならそう言いそうね」
「俺、恋愛ごとにはうまくいかないんですよね」
「それで?」
「言い寄ってくる人は、数えきれないほどいました。でも、すぐに関係は切れてしまう。恋愛は二の次で、近寄ってくる人は身体目的が多かった。恋愛よりもセフレの関係でいたいという人のほうが多かったですね」
困った笑みを浮かべて話す梶浦は、今までの経験を話していく。
「このことは高槻さんにも言ってます。別にセックスが嫌いというわけではありませんが、やっぱり一番は恋人の関係になってからが俺の理想です。読んだことのあるBL作品で、身体からの関係からはじまり気持ちはあとからついてくるような話を読んだことあります。でも、俺は気持ちから入っていきたい」
「……なんか梶浦さんって、思ってたより結構恋愛脳なんですね」
「そうなんですかね? 俺、恋人には思いきり甘やかせてあげたいし、可愛がりたい。これでも、結構いちゃつきたいタイプです」
「それが恋愛脳だって言うの」
人を見かけだけで判断してはいけない。
話を聞いただけで鵜呑みにしてはいけないと思ってはいるもの、実際に梶浦から話を聞けば聞くほど、意外な一面が多すぎて驚いた。
ゲイ界隈でも恋愛事情は人それぞれといったところだが、ここまで少女漫画みたいな甘い展開を望んでいる人がいるとは思いもしなかった。
「はじめて高槻さんに出会ったのは、アルバイトの面接に申込みする前だったんです。好きなことに一生懸命な高槻さんを見て、とても生き生きとして輝いてました。それから、アルバイトで採用されて、高槻さんに教えてもらいながら一緒にBLコーナーでお仕事するようになって、高槻さんのことを知れば知るほど胸の高鳴りが止まらないんです」
「可愛くて抱き潰したい、とか?」
「小さくて可愛いですよね! それ言ったら高槻さん怒るのわかってるんで、あまり言わないようにしてるんですけど。でも、怒った表情も可愛いです」
これは、見事高槻に恋をしている男だと思った瞬間だ。
「本当に高槻さんがはじめてなんです。今まで相手から来ていたのに、自ら積極的にアプローチを仕掛けることが」
目尻は下がり、幸せそうな表情を見せる梶浦の姿は、もはや恋する乙女。ちょっとしたことで、こうも変化するとなると、高槻に対する想いは強いのだろう。
「田中さんの言う通り、腐男子だからといって高槻さんはノンケです。これも高槻さんには言ってますが、無理に俺と同じゲイの道を歩んでほしいとは思っていません。少しずつ、俺と一緒に時間を過ごしてもらって、高槻さんの気持ちが少しでも俺に向いてくれたら本望なんですけどね」
「ぐいぐいアプローチするくせに、健気で一途ときたか……」
「はは……そう言われたら確かにそうですね。それに、長期戦なのは覚悟しています。ただ、たまに高槻さんの言動を見る度、もしかして少しは意識してもらっているのかなと、自意識過剰になってます。それだけでも、嬉しいんですけどね」
「……そうね。確かに長期戦になりそうだけど、ただ言えることは、男性同士の恋愛が気持ち悪いだなんて高槻くんは思っていないだろうから、そこは間違わないでほしいの。高槻くんも、自分なりに梶浦さんのことを考えていると思うから」
「なんだかそう言われてしまうと、田中さん俺の背中を押しているような気がして、頑張らなくちゃって思いますね! 最初は諦めてって言われるかと覚悟してましたけど」
「内容によってはそう言ってたかもしれないけど、梶浦さん本気っぽいので見守らせてもらうわ。本当は、冗談で『ホモになっちゃえ』って高槻くんに魔法をかけたことがあって、罪悪感というかなんというか……だから余計に心配なの。なんか、試すようなことをしてごめんなさいね」
高槻は決してそういうわけではないと言ってくれたが、彼女なりに気がかりだったのだ。
「そうだったんですね。やっぱり、高槻さんは愛されてますね!」
――なので、田中さんのおかずになるよう頑張ります!
なんて言うものだから、慌てて「た、確かにそうなったら最高においしいけど、それとこれとは別だから!」と、一応訂正だけはしておいた。
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