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第17話
三人での食事会から、高槻と梶浦の関係はやはりいつも通り、仕事仲間以上友達未満の状態が続いている。
一方的に梶浦が高槻のことを想い、高槻はいまだ自分の気持ちに気づけないでいる。距離を縮められ、アプローチまでされてドキドキする毎日なのに、高槻自身それがいまだによくわかっていない状況だ。
あんなことがあったからといえど一気に進展するはずもなく、高槻の中で確実になにかが変わるということもなく、ただ日々が過ぎていくだけ。
以前より、少しばかり変化があったことといえば、二人の出勤が重なれば、退社後は駅までの道のりを一緒に歩いたり、高槻がいつもの商業BL新刊でアニメショップに寄るときは梶浦も同行したり――その逆も然り――二人で一緒にいる時間が更に増えたことだろう。
それがいつの間にか、自然な行動となっていた。
そして、たまには梶浦に誘われてカフェで話すことも増えた。
彼女が梶浦になにを言ったのかは知らないが、解散したあとにメッセージアプリで「梶浦さん、本当にいい人だから安心して。でも、なにかあったら相談すること」と連絡を貰った。
だからどうする? というわけではない。
「――梶浦さん。フェアの在庫チェック、お願いしてもいいですか?」
少しずつ梶浦の手作りポップも入れ替わりで増えていく頃、高槻は梶浦に仕事をお願いした。
「はい。俺やります!」
「このリストにある作品タイトルの冊数を、右端に『正の字』で書くだけで大丈夫なので。棚にあるのは勿論、ストッカーの中も忘れずにお願いします」
「わかりました」
「すみません、ありがとうございます」
やり方はごくシンプルなことだが、在庫数は大事な数字。
間違えてしまえば、あとあと面倒なことにもなる。
「いえ! 俺に手伝えることがあれば、高槻さんのためならなんだってやります!」
「っ、……もう、なに言ってるんですか。ですが、手伝ってくれてありがとうございます。本当は、僕がしなくてはいけないんですけど、店長と真壁さんに呼ばれてしまって……」
「難しいことはできませんが、俺でもできるようなことだったら、いつでも頼ってくださいね」
優しく微笑まれただけなのに、心臓の鼓動が煩い。
それを取り払うかのように、「では、お願いします」と逃げるように去った。真壁に声をかけて一緒に事務室へと探すが、サービスカウンターに真壁の姿はなかった。
訊けば、真壁はすでに事務室へと向かったあとだった。
少しでも梶浦のことで気を紛らわせることができると思ったが、そういうわけにはいかなかったようだ。
(あれもこれも、梶浦さんのせいじゃないか)
梶浦と出会ったことにより、高槻自身なにか変わってきている。
(……気がする)
平々凡々と生きてきたはずなのに、なんだか遅れた青春を過ごしているような感覚でむず痒い。学生特有の甘酸っぱい体験とは程遠いかもしれない。
だが、例えるのであれば「青春」がしっくりくる。
昔の高槻は友達もおらず、隠れてBLを嗜むことで、ひとり楽しんでいた。
こそこそ隠れてBLを楽しむことに些 か寂しさはあったが、それでも色んな作品に触れる度、心が充足感で満たされていた。
それが今はどうだ。
上京して、契約社員として書店で働きはじめ、高槻と同じくBLが好きな彼女とも出会えた。
彼女は高槻が腐男子だろと大歓迎してくれて、そんな彼女が寿退社していっても交友関係は続いている。
それから、彼女の穴を埋めるために、アルバイトとして入社してきた梶浦。彼の口から言われないと「ゲイ」とは気づかないし、少女漫画を読むのが好きな挙句、BLまでも読むということには驚かされた。
そんな梶浦は、ぐいぐいと高槻を口説いてくる。
はじめは、なにをからかっているのだろうと、疑いもした。
(でも、本気なんだよね。こんな僕を……)
ぐいぐいと口説いてはくるが、慎重に距離を詰めてくる梶浦。
一緒の時間を過ごすのが増えていけばいくほど、心臓の音は忙しない。近づかれたら、心臓の音が聞こえてしまうのではないだろうかというほどだ。
そんなことを考えているうちに、事務室へと到着していた。
(……頭、切り替えなきゃ)
軽く頭を振り、頬を叩く。
一度深呼吸をして、高槻は事務室のドアノブを回した。
「お疲れさまです。お待たせしました」
「しのちゃん、お疲れー」
「高槻くん、お疲れさま。まだ時間に余裕あるから大丈夫だよ」
店長と真壁、二人しておっとりしている部分があるので、なんだか身体の力が一気に抜けていく。
用意された椅子に座ると、すでに座っていた真壁が話しかけてきた。
「しのちゃん、浦ちゃんどう?」
「……浦ちゃん?」
「梶浦くんのことだよ。飲み会のときに決まったでしょ」
「あ……」
すっかり忘れていたとは言えない。
それよりも、梶浦のことを愛称で呼ぶのは真壁くらいで、高槻はいつも通り「梶浦さん」と呼んでいるのだから、耳に馴染がなかった。
梶浦の「浦」を取って「浦ちゃん」と呼ぶ。
「まあ、それは置いといて……仕事のほうはどうかな?」
同じコミックスフロアで仕事をしている仲間だが、真壁と高槻はそれぞれ担当が違う。
高槻はBLコーナー、真壁はコミックスフロアの全体を任されている。高槻よりも仕事の量は半端なく、それでもきちんと全体を把握しているのだから凄いと尊敬する。
好きなジャンルは「少年漫画」と言っていた。
そのせいか、少年漫画に偏ってしまうこともあるが、万遍なく色んなコミックスのジャンルを把握して、出版フェアなどがあれば気合を入れてイベントを盛り上げようとする人だ。
沢山の仕事を抱えているはずなのに、フォローも忘れない。
こうして、なにかと高槻を気にかけてくれる。
「頑張ってくれてます。いつもやる気に満ち溢れてますし」
「そっかー」
「本当は僕がやらなくちゃいけないことを、さっき梶浦さんに任せてしまったんです」
「んー、いいんじゃないかな。なんでもかんでもしのちゃんがする必要はないし、仕事を抱えすぎて爆発する前に、バイトさんや俺たち手の空いてる社員に頼んでもいいんだよ」
自分のやるべき仕事は、なんとしてでも自分が片づけなくてはいけないと思い、ずっとひとりでやってきた。
だが、真壁の言う通り、同時進行で処理しなくてはいけないものを抱えつつも、手伝いなしでなんとか今までも終えてきた。
自分がやらないといけない責任感がどうしても強く出てしまい、誰かに頼らなくてはいけないということが、高槻はどうも苦手だ。
彼女がいた頃、当時まだ後輩だった高槻は、うまいこと誘導されていた。
だから、梶浦にお願いしたときの嬉しい表情が目に焼き付いて離れない。高槻から頼まれたことが、梶浦にとっては純粋に嬉しかったのだろう。
高槻が梶浦を頼ってくれたことに。
「頑張るのもいいことだけど、しのちゃんは肩の力を抜くこと。しのちゃん、気づいたら力入りっぱなしだからね」
「……はい」
「大好きなBLに愛情注ぐのも仕事だけど、相棒の浦ちゃんがいることも忘れないように。しのちゃんが頼ってくれたら、浦ちゃん尻尾振って喜んでくれるよ」
すでに振ってる感じです、とは言えずに苦笑した。
「話をしている途中で悪いけど、そろそろはじめようか」
「あ、はい」
「それじゃあ、今日集まってもらったのは……――」
これまで沢山の出来事があった。
これからもいつもの日常に加え、梶浦からのアプローチに心臓が忙しない日々が続くのだろうと、まだこのときまではそう思っていた。
事務室をあとにして、高槻は真壁と一緒にコミックスフロアに戻ってきた。そのままBLコーナーには戻らず、サービスカウンターで暫く真壁と話す。
「真壁さん、面接したんですよね?」
「そうだよ。どこかの誰かさんみたいに、少女漫画を読むのが好きみたいでね。なんでも、妹さんのを勝手に読んでしまったのがはじまりみたい」
「どこかの誰かさんって……真壁さん、それ知ってて言ってますよね」
「あはは。でね、それなら少女漫画の担当してもらうのもいいかなって。男性目線でBLコーナーの担当になったしのちゃんみたいに、こっちも男性目線での少女漫画担当もいいかなって」
「なるほど……」
やり方を真似してみるのもひとつの手だ。
そこから成長に繋がっていくのなら尚更。
「いいと思います。少女漫画のエリアはBL棚の隣なので、なにかあれば手助けもできますし」
「一応、基本的なことを教えるのは俺なんだけど、シフトも週に三回しか入らない子だから色々と考え中なんだよね」
「確か、遅番の子で少女漫画を担当している子いますよね?」
「うん。今回の子は早番希望だから新刊や既刊の棚作りは勿論、手作りポップくらいは任せたいなって思っていて。遅番の子には、また別のことを任せてるのもあるし……」
「そうなんですね。本格的な夏になると、また出版社のフェアがはじまったりするので真壁さん忙しくなりますし……僕でもカバーできるところはやります」
入社してきた頃よりもすっかり頼もしくなった高槻を見て、真壁は優しく微笑み「ありがとう」と伝えた。
詳しい話はまた後日ということになり、高槻はBLコーナーへの元へ戻った。頼んでしまった在庫の確認。果たして、梶浦は問題なくできただろうか。
「梶浦さん、お疲れさまです。今、戻りました」
高槻の声にピクリと反応し、嬉しそうな表情を浮かべる梶浦。
(戻ってきただけで、この表情……)
いつだったか、いかにも出かけていたご主人様が戻ってきて嬉しそうに駆け寄る犬――みたいな。とはいえ、駆け寄ってくることはないが、いかにも幻覚で尻尾が思いきり左右にぶんぶん振りまくっているように見える。
思わず笑みが零れてしまう。
「高槻さん?」
「あ、いえ。梶浦さん、在庫の確認大丈夫でしたか?」
「はい。棚とストッカー、あと言われてはなかったんですが、念のためバックヤードも確認しておきました」
「ありがとうございます」
高槻自身、言葉足らずな部分があるので、こうして言われていないところまで確認していることに、とても感謝した。
梶浦から在庫確認リストの用紙を受け取り、目を通す。
目を通しながら、高槻は三人で話していたことを伝えてみた。
「店長と真壁さんとの話なんですけどね、近々、新しいアルバイトの方が入社するそうです」
「そうなんですね!」
「なんでも、梶浦さんと同じで少女漫画を読むのが好きな男の子だそうで……」
「へえ」
途端、興味なさげな梶浦の返事に、高槻は目を丸くした。
まさか、俗に言う「同族嫌悪」なのだろうかと思わず危惧したが、梶浦は「どんな人か、楽しみですね」としか言わなかった。
(……なんだろう。笑顔なんだけど、とても楽しみにしているとは思えない)
それとも気のせいだろうかと思いながら、高槻は「そうですね」と言うことしかできなかった。
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