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第20話

 三ヶ月の研修も終わり、ひとり立ちをした桜田。隙あらば、梶浦と仲良く――一方的に桜田が喋っているが――している姿を、以前よりも見かけるようになった。  BLコーナーの隣が少女漫画のエリアだというのもあり、話しやすいといえば話しやすいのだが、せめて手を動かしながら話をしてほしいところだ。 「梶浦さん、みなさんが言ってたんですけど、恋人がいないって本当なんですか?」 「ええ、いませんよ。ですが、好きな人がいるので……――」 「なら、俺が立候補してもいいですか!?」  聞き耳を立てていたわけではない。  近くで仕事をしていると、自然と耳に入ってくるのはいいが、桜田の発言に思わず二人して「はあ!?」と素っ頓狂な声をあげてしまった。 「え、どうしてそこで高槻さんまで驚くんですか」 「あ、や、別に……」 「高槻さん、あのっ」 「僕、再来月の特集コーナーのリスト作ってきますね! 事務室にいるので、なにかあったら内線か直接事務室まで呼びにきてください!」  思わず、その場から逃げてしまった。  バクバクと心臓が音を立てる。  これ以上、なにも聞きたくなかったのだ。 (……桜田さん、なんて言った?)  脳裏で反芻される桜田の言葉。平然と言いのける桜田の姿、いつしかの「俺と恋愛してみませんか?」と言った梶浦と重ねてしまう。  梶浦の好きな人が高槻ということを桜田は知らないが、恋人がいないことをいいことに食いついてきた。 (立候補って……ちょっと、待って。桜田さんってあっち側の人だった!? そうなの?)  立候補のことも気になるが、高槻の中で一番重要なことは、桜田も梶浦と同じ「ゲイ」ということなのだろうか。――とはいえ、簡単に訊けるような間柄でもないので、実際のところどうなのか真相はわからない。  少なくとも、桜田は梶浦のことを好意的な目で見ている。  それは間違いない。  もしかしたら、同じ仲間だとわかった上での、梶浦のあの態度だったのだろうか。  それより――。 (梶浦さん、なんて答えたのかな)  ツキン、ツキン、と胸が痛む。  その場を去るときに聞こえてきた、焦って高槻の名前を呼ぶ梶浦の声。  勘違いされたと思っているのだろう。  別に勘違いもなにも、梶浦と高槻は「まだ」なにもない。 「……まだ?」  思わず声に出していた。  ――まだってなんだ、まだって。  そう思いながら、高槻は事務所にあるパソコンのロックを解除する。同時にインターネットを起動させて、ポータルサイトを開く。  よく、高槻もお世話になっているポータルサイト。  調べものにはうってつけで、情報には助かっている。来月の特集リストはもう作ってあり、再来月の特集リストは慌てる必要もなかった。  しかし、どうしても逃げる口実が欲しかったのだ。 「はあああ……」  なにやっているのだろうかと、我ながら思う。  特集するキーワードを検索ワードに入力し、検索する。そこで出てきたリストを印刷し、他にも別のキーワードで検索しては印刷の繰り返し。  在庫のチェックがしやすいようにエクセルも開く。  ふと手が止まり、あのあと梶浦はどうしただろうかと気になって仕方がない。梶浦もいい大人なのだから、桜田に押されても紳士に対応するだろうと思うが、それもなんだかおもしろくない。 (いやいや、なに考えてるんだろう。あんな可愛い子に立候補されたら嬉しいだろうに)  先日、梶浦の口から桜田のことを「苦手」と言われた。  だから、そう易々と「候補にしてあげますね」とは言わないはずだ。  こんな気になってまで仕事に集中できないなんて、梶浦からアプローチされまくっていた時期を思い出す。今アプローチされていないというわけではないが、桜田がいるときはそこそこ邪魔をされてしまうのだ。  週三日勤務とはいえど、桜田の存在が目立つ。 「……大丈夫かな」 「――大丈夫じゃないですよ」 「……っ!?」 「なんとか理由をつけて逃げてきました。桜田さん、結構しぶといので、逃げてくるの大変でしたよ」  困り果てた笑みを浮かべる梶浦に、高槻も同様の笑みを浮かべる。 「高槻さんが心配しなくても、桜田さんの立候補はお断りしていますので」 「や、べ、別に僕はそんなこと……!」 「俺は嫌ですよ。好きな人は高槻さんで十分なのに」  そこまでして気づいたのか、梶浦は続けて言った。 「今思うと、俺も高槻さんに立候補紛いなことしてますね」 「……あ」  改めて言われてしまうと、確かにその通りだ。  今まで、全くもって考えたことすらなかった。 「今更ですし、気にしていません」 「高槻さんが気にしていなくても、俺は高槻さんのこと諦めませんから」 「し、仕事中ですっ」 「焦ってる高槻さんも可愛いですね。それに、その特集リスト、急ぎじゃないですよね」  よく見ているなと思う。 「桜田さんには、仕事中ですから困ります、とはっきり言っているので安心してください」  梶浦なりに強く言いすぎないように、それなりとしっかり桜田に伝えたということが窺える。  それなら仕事に集中できると思い、梶浦とフロアへと戻った。  研修期間を終えたばかりの桜田をひとり残すのは申し訳なかったが、はじめから何事もなかったかのように、高槻は桜田に近寄り「大丈夫でしたか?」と声をかけた。  桜田は、高槻を見ては目を細めて睨みつけてくる。少し吊り上っている猫目な桜田だが、もともと可愛い容姿なのも相俟って可愛いと感じてしまうのは事実。  梶浦が他に余計なことを言っていなければいいのだが、これ以上刺激を与えないようにと、高槻は優しい口調で声をかける。 「なにかわからないところがあれば、僕でも梶浦さんでもいいので言ってください。手作りポップなんて、梶浦さん、センスあるんで参考にしてみるのもいいですよ」  ここまで言っておいて、なにが「これ以上刺激を与えないようにしないと」だ。  これだと、桜田の背中を押しているようなものではないか。 「へ~そうなんですね! なら、バイト仲間でもある梶浦さんに、手取り足取り教えてもらいますね!」  睨んでいた表情からは打って変わり、桜田は満面な笑みを浮かべた。 「そ、そうですね。そのほうが気兼ねなく仕事できますしね……」  言っていて悲しくなってくる。  心の中で梶浦に謝りながら、高槻は桜田の背中を押してしまったことを、のちに後悔するのである――。  ◇  桜田が入社してから三ヶ月以上は経ち、十一月を過ぎた頃、遅い歓迎会兼いつもの定例会が開催された。仲間入りした桜田は、週三日勤務とはいえど、梶浦へのアプローチが少しずつ露骨になってきていた。  とにかく距離が近い。――いや、これを言えば、今まで高槻をアプローチしてきた梶浦も距離が近かったので、人のことは言えない。  次に、プライベートなことを次々と聞きだそうとする。  桜田を苦手な梶浦はなんとか当たり障りなく壁を作ってみるもの、必要以上に迫ってくる桜田に手を焼いていた。若いって凄いと思わず感心してしまうが、そう仕向けてしまったのは高槻だ。  高槻は、それとなく梶浦と桜田の距離を離そうとするも、目を離せばまた距離が近くなっているため、正直心中穏やかではなかった。 「あはは! もう、梶浦さんったら~」 「ほら、さくちゃんもそう思うでしょー?」  梶浦の歓迎会兼定例会のときは、高槻の隣を梶浦がキープしていたが、今は桜田が梶浦の隣をキープしている状態だ。  そのため、隣に梶浦がいないだけで静かに感じてしまう。  周囲は会話で盛り上がっているはずなのに。 (……なんでだろう……痛い、な)  なにが、とは自分自身に問わない。  何度も味わったことのある、ツキン、ツキン、の正体。 「あ、しのちゃん。ちゃんと呑んでる?」 「……! は、はい。呑んでますよ!」  気にかけてくれた高槻に、真壁が話しかけてきた。  真壁を見れば、視界に梶浦と桜田の二人が入ってしまう。  ツキン、ツキン、と徐々に痛む胸。 (……田中さんに、相談すればよかったのかな……)  彼女も母親になり、忙しい時間を過ごしている。  そんな中、相談を持ちかけるなんて申し訳ない気持ちになってしまい、なかなか連絡を取ることができないでいた。  全く彼女と連絡を取り合わなかったというわけではない。彼女も忙しい中での楽しみも必要なわけで、たまに商業BLのことで長時間連絡を取り合うこともあった。  楽しい話はできる。  でも、悩んでいることに関しては畏縮してしまうのだ。  ぐるぐるとそんなことを考えていたそのとき、珍しく桜田が緊張した面持ちで口を開いた。 「……あ、あの!」 「どうしたの、さくちゃん?」  なんだか嫌な予感がするなと思ったほど、その予感は的中してしまう。 (あーあ……もっと、真剣に考えればよかったのかな……)  今更そんなことを思っても、時間は戻らない。  桜田の言葉に、高槻はこれまでにない心臓の痛みを味わった。  お酒には強いほうだ。  滅多なことでは酔わない。  なのに、いつもより呑みすぎている自覚はある。 (――……理由はわかってる)  梶浦は高槻と目を合わせようとせず、それなのに酔っている高槻を心配しているように窺えた。  心配するほど高槻を気にしているのに、どうしてそういうことになったのか経緯を説明してほしい。あんなに、苦手なんです、と苦笑を浮かべていた梶浦はどこへいったのか。  高槻にはもう意味がわからなくなった。  それは、遡ること一時間前――。  桜田の口から出てきた発言は、全員を驚かせる内容だった。 「……隠し事なんて無理なんで言っちゃいますけど……――俺、梶浦さんと付き合うことになりました!」 「ええええっ!?」  居酒屋の個室とはいえど、思わぬカミングアウトに全員驚く。  もちろん、高槻もその内のひとりだ。 (え? 今、桜田さん、なんて言った……?)  手に持っているグラスを落としそうになった。 「本当は、言うか迷ったんです。だって、俺たち同性だし、でもすぐ態度に出ちゃってばれるなら……ね、梶浦さん!」 「……俺は――」 「へー、びっくりはしたけど……そっかー、二人ともそういう関係なんだね。あれ? でも梶浦さん、気になってる人がいるって前に……」 「それ、俺のことなんですよ! お互い、行きつけの店の常連客で――」  そんなこと一度も聞いたことない。  真壁は「驚いたなあ」と言いながら、顔色ひとつも変えない。  周囲も、「確かに驚くけど、イケメンと美男子……お似合いじゃないかな」と認めてくる。チラッと梶浦のほうを見るが、高槻とは目を合わせず、なにも言葉を発してくれない。 (だって、梶浦さんは僕のことを……え? いつの間に?)  それに、苦手だと言っていたではないか。  梶浦の珍しい一面を知った瞬間だったのに、どういうことだろうかとずっと頭の中で疑問符だけが宙に浮いたまま。  散々人を「小動物」「可愛い」と言ってきた梶浦が、「俺と恋愛してみませんか」と口説いてきた梶浦が、桜田と付き合うという現実に、頭では理解が追いつかない。 「しのちゃん的に、リアルはどうなの?」 「……え?」 「ほら、しのちゃんBL好きだから、なんでも好きなのかなって」  真壁に話を振られてしまい、高槻は戸惑う。  ――どうしようか……。  好きです、と言えば、この二人が付き合っていることに対して祝福しているようにも思われそうで、どうも胸がもやもやする。 「……僕は、コミックスや小説のBLが好きなだけであって、リアルまでは、その、求めてないです」  なんだか苦しくなってきた。重たい唇を動かしながら出した言葉に、梶浦の眉がピクリと反応を見せたのは気のせいだろうか。  だって、高槻が言ったことは、否定しているのも同然。 (……痛い。痛いな……胸が……)  これが、仮に高槻と梶浦であれば、こんなにも胸が痛まずに済んだのだろうか。 (……ううん。わからない)  あくまでも勝手な想像だが、散々アプローチしたけれども梶浦と付き合う気が全くないとわかった高槻に愛想を尽かし、苦手だと言いつつも言い寄ってきた桜田に絆された――ということも、あながちありえなくはない。  はじめこそ苦手だと思っていたタイプが、あとから実はいい人だとわかり、気づけば一番仲良くなっていることがある。  梶浦もそれに当てはまってしまったのだろうか。  まだ、梶浦の言い訳も聞いていないのに。 (――……いや、聞くまでもないのかな)  周囲が祝福している中で、高槻はこのあたりからお酒を呑むペースを速めていった。

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