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第21話

 お開きになる頃には、高槻はべろべろに酔っぱらっていた。  完全なる悪酔い。 「しのちゃん、俺が送っていくから住所教えて?」 「まかべ、しゃん……、らい、じょうぶ、でふって……」 「いやいや、完全に呂律が駄目だよ~」 「んんー! らいじょうぶ、らいじょうぶ……」 「あー、もうー、どうしてこんな悪酔いしたのかなあ」  困り果てる真壁に、梶浦が声をかける。 「真壁さんは、高槻さんと逆方向じゃなかったですか? 俺なら高槻さんと同じ方向ですし……俺が送りますよ」 「でも、浦ちゃんはさくちゃん送ってあげなよ」  せっかく付き合いはじめたんだから、と言う真壁の言葉が耳に入ってきたのか、高槻も「そーら! そーら!」と、普段なら大きな声も出さないのに、このときだけは悪酔いからくるノリが絶好調に出てしまっていた。  真壁と肩を組み、身体を支えてもらっている高槻を無理矢理引き離すと、そのままタクシーを呼びつけた。 「支えてくれてありがとうございます、真壁さん。あとは大丈夫です。桜田さんも、高槻さんと同じ方向なら送ってあげてと言ってるんで」 「そうなの? それならいいけど……」 「はい。……ほら、高槻さん、タクシーに乗ってください」  覚束ない足取りのまま、梶浦に支えられながらもタクシーに乗る高槻。続いて梶浦もタクシーに乗り込もうとしたとき、桜田に声をかけられた。 「梶浦さん。高槻さんの家に着いたら、ひとことだけでもいいので連絡ください。そんな風になってる高槻さん、心配なので……」 「……わかりました」 「浦ちゃん、しのちゃん頼むね。普段だったら、ここまで悪酔いはしないんだけどなあ……どうしたんだろう……」  相当、真壁も心配している。  鞄の中から、高槻の住所が記載されてある保険証の入った財布を取り出し、梶浦は行き先を運転手に告げた。 (……あれ、……?)  なにかに揺られている感覚。  まだ、ふわふわしている頭で物事を考えようとしても、酔いがいい具合に邪魔をしてくる。 「――家に着くまで、寝ていて大丈夫ですよ」  優しい声が脳へと染み込んでいく。肩を抱き寄せられ、高槻は梶浦へと凭れかかった。 「……かじ、うら……しゃん?」 「悪酔いしたらこうなるなんて……今後、一切悪酔い禁止ですから」  ――いいから寝ていてください。  言われるがまま、高槻は梶浦の温もりを感じながら意識を完全に手放した。  行き先を告げたタクシーは、高槻のアパートへと辿り着いた。 「高槻さん、着きましたよ」  軽く揺さぶっても起きる気配がない。 「んん~……っ」 「ほら、支えてあげますから歩いてください。それとも、お姫様抱っこでもされたいですか?」 「ん~……」  なにも答えない高槻に、梶浦は痺れを切らす。結局、お姫様抱っこをして、高槻が住んでいる玄関前まできた。  しかし、肝心な玄関の鍵がどこにあるのかわからない。  恐らく鞄の中にあるのだろうが、梶浦は軽く高槻を揺さぶり起こそうとした。 「高槻さん、家の鍵はどこにありますか?」 「かばん、の、なか……」 「もう、高槻さんったら……」  少しずつ呂律も聞き取れるような形にはなり、苦笑しながらも梶浦は「失礼します」と言いながら鞄の中を漁った。内側にある小さなポケットに入っていた鍵を取り出し、玄関を開ける。  玄関先に高槻を座らせ、靴を脱がせた。 「俺はこれで帰りますからね」 「……みず……」 「……もう、高槻さんは……」  普段では見られない高槻の姿。  なにが高槻をこうまでさせてしまったのか、自分が原因ということを知らないでいる梶浦は気づかないままでいた。 「仕方がないですね。それではお邪魔します。高槻さん、もう少し頑張って歩いてください」 「うーん……」  眉を寄せながら唸っている。  部屋に高槻を運び、ベッドへ横たわらせる。本当は着替えたりしたほうがいいのだが、そんなこと梶浦にはできなかった。  冷蔵庫になにか飲み物はないだろうかと物色すると、牛乳とミネラルウォーターが入っていた。  改めて、高槻の匂いが充満している部屋にいることが不思議で堪らない。部屋の中にある小さな本棚には、高槻の大好きな商業BLのコミックスや小説が並べられてある。  そんな部屋に入れたことが嬉しくもあり、同時に寂しい気持ちにもなった。 「高槻さん、起き上がれますか? 水、持ってきましたよ」  高槻の背中を支えながら、上半身を起こす。 「う……あり、がとうございます……」 「それじゃあ、本当に俺はこれで帰りますからね」  早く立ち去りたい。  今、高槻と一緒にいられる時間は嬉しいが、罪悪感でいっぱいだ。  それなのに、神様は意地悪をする。 「――……桜田、さんの、ところに、ですか……?」 「え?」 「桜田さんのところに、帰るん、ですか?」  呂律はしっかりしていても、まだふわふわとしている。  喋り方がいつもより柔らかい。 「きちんと自分の家に帰りますよ。……今、桜田さんは関係ありません」  この発言がいけなかったのだろう。  ――関係ない。  この発言に、高槻はわなわなと唇を震わせた。  グラスを持つ手も震え、いつ水が零れるかわからない。高槻からグラスを取り上げ、梶浦は代わりにテーブルの上に置いた。 「……桜田さんとは、その、お付き合い……してるんですね」 「それは……」  初日から毛並みがふかふかで大型犬のように見えていた梶浦が、今は水に濡れて痩せ細っているような犬にしか見えない。 「……僕のこと、冗談……だったんですか? 散々、僕で遊んでたんですか? 楽しかった、ですか?」 「ち、違います……! これには……!」 「っ、聞きたく、ないっ!」  酔った勢いで次々に出てきてしまう言葉。  こんなことを言ったところで、胸が痛くなるのは高槻だ。 「僕が、いつまで経っても梶浦さんとのこと曖昧にしてるから……梶浦さんは、アプローチしてくる桜田さんを受け入れたんですよね……あーあ……」  なにが、あーあ、だ。  梶浦のことを本気で考えずに、なあなあと曖昧にしていた罰が当たってしまったのだ。  桜田に取られてしまい当然だ。  それに、梶浦と桜田が並ぶとお似合いだと感じる。  平凡な高槻にとっては、梶浦の隣に立たなくて正解。 「……それ、本気で言ってますか?」 「だって、梶浦さん、苦手、苦手だ、って言っておきながら……桜田さんと、付き合ってるじゃないですか……!」 「だから、これには理由があるんですって!」 「理由ってなんですかっ……『俺と恋愛してみませんか?』と言ってきたのは、梶浦さんですよ……なに、この、罰ゲーム感……」 「っ……!」  罰ゲームとは聞き捨てならない。  さすがの梶浦も、高槻の言い分に少しずつ苛立ちが隠せなくなってきた。 「俺だって! ……ずっと、ずっと、高槻さんのこと好きでいましたよ。桜田さんと付き合っても、高槻さんを好きなことには変わりません」 「なん、ですか……それっ」 「だから、きちんと理由があると、言っているでしょう!」  思わず身を乗り出し、高槻を押し倒してしまった。  大型犬の暴走だ。 「や……かじ、うらさんっ……」 「それに、罰ゲームってなんですか。俺は、誰とも賭けをした覚えもなければ、やったこともありません」 「でも、僕には、もうっ……」 「その言い方だと、高槻さん、俺のこと好きになってるじゃないですか」 「ちがっ、わからない、ですっ」 「それこそ、高槻さんのほうがタチ悪いじゃないですかっ」  苦しそうな表情を見せる梶浦の声は、とても必死だった。  売り言葉に買い言葉。  お互い、こんなにも小競り合いになっているのははじめてだ。 「梶浦さんだって、僕のこと、そ、その、す、す、好きって言っておきながら、桜田さんと付き合うって……なんなんですかあ……」 「……っ」 「もう、意味が、わからないっ……もう、や、だっ……」  胸が高鳴るのも、痛くなるのも、全て忘れたい。  梶浦といて楽しい時間もあった。  でも、今はそれがつらい。 「……なにを言われても、俺は高槻さんのことが好きです。高槻さんに、こんなことをしたいくらいには……――」 「え……ふ、んっ……!?」  梶浦の顔が近づいてきて、そのまま唇を塞がれた。  驚きのほうが勝ってしまい、目を見開いたままキスを受け入れてしまう。 「っは、……こんなことになるなら、もっと強引にいけばよかったと後悔してます。……無自覚すぎる高槻さんが悪いんですよ」  そう言われて、再びキスされた。  完全に酔いが醒めたわけではないが、身体がうまいこと動かない。 「んー、んー!」  そもそも体格が違うため、力でどうこうしようとできるわけがない。  鼻の奥がツンとなり、じわじわと涙が目の縁に溜まっていく。  そして、とうとうその涙は目尻から頬を伝って流れた。  男同士での性行為については、商業BL作品で何度も読んできた。だからとはいえ、商業BL作品が指南書というわけでもなければ、参考書でもない。  あくまでも、ファンタジーの世界。  もちろん、実際にそういったハウツー本は存在するが、実際にそれを自身が体験することになるとは思いもよらなかった。  浮かされた熱のことを思うと、夢ではなく現実だと嫌でもわかってしまう。 「っ、や……かじ、うらさ……っ」  暴れないように、両手を頭上で縫いつけられる。それから、無理矢理に脱がせたズボンで痛くないように縛りつける。  下半身だけ丸裸にされ、中途半端な格好に羞恥心が襲う。 「な、に……なんで……ひっ」 「……怖がらないでください。俺は、こういったことを高槻さんとしたいと、ずっと願ってました」 「だからって、あ、やっ……!」  まだふにゃっとしている柔らかい高槻の性器に、梶浦の指先が触れた。指先が触れただけで、ひくん、と反応を見せる。  これから起こることなんて、商業BLであるような展開しか想像できず、しかもそれが現実的になろうとしている。小さく抵抗を見せても梶浦は目もくれず、身体を戦慄かせている高槻を更に追い詰めた。  それなのに、触れる指や手つきが優しい。  それが、もっともつらいことだ。 「俺は、……俺は、高槻さんが好きです」  ――嘘つき。  だって、梶浦は桜田と付き合っているではないか。  どの口が「好きです」と言うのか。  もう頭の中がぐちゃぐちゃで、わからなくなる。  梶浦は高槻のことが好きだが、高槻の知らない間に桜田と付き合うようになった。  最初は戸惑っていた梶浦のアプローチだが、一度も迷惑だと思ったことはなく、むしろ少しずつ近づいていく距離感に、違う意味で戸惑いを見せていた。  それが今は――。 「あ、やっ……だ……!」 「付き合うなら、高槻さんとがよかった」  思いつめた表情をしながら言う梶浦の手は、高槻の性器を勃たせるまで軽く扱き続けた。びくびくと反応し、少しずつ芯を持ちはじめた性器は、暫くしたら完勃ちした。  膨らんでいる亀頭部分を弄ればじわりと滲み出てくる露。  それを、指の腹で馴染ませるように塗りつけ、弄る。 「あ、あっ……や、めっ」 「やめてって言いますけど、高槻さんのここ、嬉しがってます」 「っ、なん、で……」  ――なんで、こんなことするの?  何度も何度も問いたいのに、口から零れるのは、吐息交じりの喘ぎ声。BLで読んできた台詞が、今、自分の口から出ている。  聞きたくなくて耳を塞ぎたくても、手は縛られている。  梶浦の動かす手は止まらず、くちくちと鈴口を刺激してくる。 「ふ、あ、あっ」 「はー……可愛い、可愛いですよ……高槻さん」 「ん、あ、ああ……!」 「次から次へと溢れてくる……もっと、可愛がりたくなります」 「やあ、……ぅ、んぁ!」  今まで性欲に対しては淡泊なほうだった。だから、自慰をする回数も人よりも少ないほうだ。  そんな高槻の性器を、梶浦の長く、節くれた指が触れている。 「あ、あ、あっ」 「もしかして抜いてないですか? 熱くて、ガチガチで、びくびくしています」  少し強めに握られ、扱かれると、あっという間にぴゅ、びゅく、と腰を揺すりながら飛沫が迸った。 「あ、や、ン――ッ……!」  強張っていた身体が一気に弛緩し、はー、はー、と高槻はゆっくりと呼吸を整えた。  なにも言葉が出てこない。両手も縛られ、身動きも取れず、梶浦の手によって性器を弄られた。絶頂へ達するまでの時間はそれなりに短くても、高槻の中では長く感じられた。  鈴口から出てきた体液を梶浦が指で掬い取れば、それを奥深くに秘められている箇所へと塗りつけようと、臀部の谷間を這ってくる。 「ひっ!」  さすがの高槻も焦る。  最悪、脚は動かせる。全身怠く感じるも、抵抗する力だけは僅かに残っている。――というか、はじめからそうすればよかったのだ。  それでもそうしなかったのは、触れてくる梶浦の手が優しいから。 (……嫌なはずなのに、色々と矛盾しすぎてる……)  脚を動かし、抵抗を見せる。  こんな形で奪われたくない。 (……こんな形って……僕は……)  結局、梶浦とどうなりたいのか。  本当は、ずっと前から答えが出ていたのではないだろうか。 「っ……好き、好きです。高槻さん」 「……あっ! ふぁ、ああ、っ……あ、あっ」  後孔へ指先が触れれば、挿入することはなくただ撫でるだけ。それでも、高槻は身体を捩じって更なる抵抗を見せた。  梶浦とて、本当は無理矢理できる性格ではないはずだ。  苦い表情を浮かべながら、梶浦は再び高槻の性器を握りこみ、今度は強めに扱きあげた。絶頂を迎えたばかりの性器はすぐに硬度を増し、鈴口からは先走りが滲みでていた。  燻っている熱が集まり、解放を求めて暴れ出す。 「は、はっ……いや、や……あ、あ、あっ」 「高槻さん、高槻さんっ」 「ひ、ああ、あ、あっ!」  梶浦に名前を呼ばれながら、高槻は梶浦の手の中で二度目の熱を解放させた。 「――……はぁ、……はぁ……」 「……ごめんなさい、高槻さん。でも俺は……高槻さんを好きなことには変わりないです。例え、桜田さんと付き合っていようとも」  なんともずるくて、酷い人だ。  桜田と付き合っていても尚、高槻のことを好きだなんて、なんて残酷なのだろうか。  ふわふわしている思考の中で、真面目に後始末までして静かに部屋を去っていく梶浦の姿を、高槻はなにも言わずにただ見ているだけしかできなかった。  時計の秒針がカチ、カチ、と静寂の中、音を立てる。  ズボンで縛られていた両手はいつの間にか解かれ、自由に動けるはずなのに、まだ縛られているかのような感覚が残っており動かせないでいる。 (……桜田さんと付き合ってるくせに、どうしてまだ僕のことが好きなの?)  ――ねえ、梶浦さん。僕は、もう意味がわからないよ。  好きなら、どうして断らないのか。  好きなら、なにしたっていいのだろうか。  好きなら、どうして強引にでも恋人にしてくれなかったのだろうか。 「――……え?」  ここでようやく声が出た。  ここまで来てしまうと、今まで無意識に梶浦のことを――。 『でも、僕には、もうっ……』  あのとき、関係ない、と言いかけた。 「僕は……」  今まで、どんなことでも、梶浦に対してドキドキしたり、苦しくなったり、痛くなったり、一喜一憂してきた。  でも、その気持ちの正体を曖昧にしてきた。  好きかどうかもわからないでいた。  だけど、今ならはっきりとわかる。  好きなことが「わからない」のではなく、いつの間にか高槻の中で自然と好きになっていたから「わからなかった」のだ。 「でも、もう梶浦さんは桜田さんと……」  付き合いはじめたのだ。  自分の気持ちに気づくのが遅すぎた。あれだけ梶浦にアプローチをされ、嫌な気持ちにもならなかったはずなのに。戸惑ったことは多くても、梶浦との時間は不思議と居心地はよく、ふわふわとしたようなものだった。  だからこそ、桜田と付き合うと知ったとき、ショックのあまり悪酔いをしてしまった。  平然を装ったつもりでも、相当ショックが大きい。 「はは……こんなことされて、ようやく気づくなんて……」  思っていた以上に、梶浦のことを好きになっていた。  それも、自然と、無意識に。 「……もうこれ、どんなBL作品なのさ……」  冗談でも言っていないと、精神が持ちそうにない。  それでも自然と流れてしまう涙に、高槻は目を覆うように両腕で顔を隠した。

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