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第22話
恋愛に疎いのは昔からだ。
梶浦と商業BLみたいな展開になってしまった。
お陰で、という言葉を選ぶには不釣り合いだとは思うが、高槻自身、己の気持ちにようやく気づくこともできた。
――もう、手遅れではあるけれども。
「……はあ」
出勤する前に、高槻は必ずカフェに寄る。席で大きなため息を吐きながら、淹れたてのコーヒーを飲む。
どんな顔をして会えばいいのだろうか。一日休みを挟んだとはいえ、あの夜の出来事をなかったことになんかできない。忘れたふりをしようと思っても、不器用なのでうまく演技をすることなんて、とてもじゃないが無理だ。
こんなにも、気まずい思いをするのははじめてだ。
そもそも、悪酔いしていたからといって、そのときの記憶がぶっ飛ぶ高槻ではない。こういうときに限って、悪酔いしても思いきり記憶は脳内に残っていることが憎い。
ただ、顔を合わせづらいと思う反面、それとは別に謎が残ったまま。
今まで高槻に好意を寄せ、アプローチをしてきた梶浦が、どうして急に桜田と付き合いはじめたのか。梶浦からは「理由がある」と言っていたが、その理由とはなんなのか。
――付き合うことに理由、か……。
好きだから付き合うのではないのだろうか。
でも、その理由が「好き」以外であればどうだろう。
そう思うと、ますますわからなくなってくる。
正直なところ、梶浦が桜田のことを好きだとは思えない。
桜田になにを言われて付き合いはじめたのかはわからないけれども、今までみたいに梶浦からアプローチされないのだと思うと、心が寂しくて仕方がなかった。
「好き、か……」
自分にしか聞こえない声で呟く。
それから、続けて無意識に何度もため息を吐いてしまう。
「……駄目だ。これから仕事なんだから」
自身を奮い立たせ、高槻は時間を確認してカフェをあとにした。
勤務はシフト制であるが、ほぼ高槻と梶浦はシフトが被っている。こういうとき、少しでも時間がずれていたり、どちらかが休みであれば多少気まずさは半減するが、神様はいつでも意地悪だ。
従業員出入り口を通り、事務所を抜けて、更衣室兼休憩室へと入る。すでに早番のスタッフがちらほら何人か出勤している。
朝礼の時間になるまで、椅子に座って自由に過ごしていた。
これから、朝礼がはじまる時間ギリギリになるまで、次々とスタッフが出勤してくるのだ。
高槻も早速着替えて、事務室にあるパソコンの電源を点けた。
ホワイトボードに記載してある、各社員の予定表を確認する。
「今日は店長が休みで――」
メモ帳に書き記し、パソコンの画面がデスクトップになっているのを確認すると、メールを起動させた。なにか重要なメールは受信されていないか、朝礼のとき全体に伝えることはあるかなどチェックしていく。
そのとき、事務室のドアが開いた。
「おはようございま……す……」
「……お、……おはようございます……」
ドアの開く音で反射的に視線が動き、捕らえてしまった。
入ってきた人物は梶浦で、梶浦も高槻の姿を捕らえれば、お互い変な挨拶になってしまった。
視線は合わないまま、梶浦はそのまま更衣室兼休憩室へと向かった。
(そりゃ、そうだよね)
お互い、一日休息を取ったからとはいえ、全てがなかったことにできないのだ。忘れられるわけがない。顔を合わせただけで、思い出してしまう。
何事もなかったかのように、今日一日振舞えることができるのだろうかと不安にもなった。
「……頑張ろう」
そろそろ朝礼がはじまる。気まずいものは気まずいかもしれないが、仕事に私情を持ち込むことはよくない。
立ち上がり、高槻は先にフロアへと出た。
「しのちゃん、おはよー」
「真壁さん、おはようございます」
「昨日はしっかり休めた?」
「あ……は、はい」
「悪酔いしたしのちゃんを、浦ちゃんが送ったんだよ」
「……そのあたり、実は覚えてます」
タクシーの中で優しく介抱されたことも、お姫様抱っこされたことも、そのあと梶浦の優しい手が高槻の性器に触れたことも――全て鮮明に覚えている。
悪酔いすると、記憶がぶっ飛ぶタイプだったらよかったのにと、何度も後悔した。
「でも、珍しいよね」
「なにがですか?」
「だから、悪酔いのことだよ」
「そう、ですね……そうなりたい気分だったのかもしれません」
「へー、しのちゃん、そういうときあるんだ」
「ええ……」
困った笑みを浮かべて、高槻は「朝礼はじめましょうか」と話を逸らした。
朝礼が終われば、各フロア準備をはじめる。
担当ごとに連絡事項を確認しては、開店準備に入るのだ。
BLコーナーでは、梶浦と高槻の仲はぎこちないオーラ―が漂っている。いつも「高槻さん」と柔らかい声で名前を呼ばれるのに、今日の梶浦は口数が少ない。
お互いに、お互いのことを気にしすぎている。
こういうとき、桜田が出勤日じゃなくて助かった。
あれほど、心の中で私情を持ち込むのは駄目だと考えていたはずなのに、無意識に持ち込んでしまっている。
「えっと……れ、連絡事項ですが、午後から営業の方が見える予定なので、その間は梶浦さんにフロアをお任せしますね」
「は、はい」
「営業の方が来ると言っても、コーナーにはいるのでなにかあれば声かけてください」
声は震えていなかっただろうか。
変だと思われていなかっただろうか。
バクバクと心音を響かせながら、梶浦に連絡事項を伝えていく。
今までなら目を見て話していたが、気まずさから梶浦の目を見て伝えることができなくなっている。
一度でも目が合えば、心臓が鷲掴みされるくらい苦しくなりそうで、怖い。
「あの、高槻さん……」
「――あと、午後から搬入もあるので、時間を見て動きましょう。ただ、営業の方が来る時間が搬入と被ったら、僕の代わりに同じコミックスフロアからヘルプ出しますね」
「……はい」
高槻に手を伸ばしかけた梶浦を遮るように、高槻は言葉を被せた。
梶浦の言いたいことは、なんとなく想像できる。
恐らく、あのときの心配をしているのだろう。あんなことがなければ単純に嬉しいはずなのに、梶浦からかけられる言葉に関して、今は苦しい。
「今日、仕事終わったあと、時間ありますか?」
「……すみません。用事があるので……」
「……わかりました」
桜田との言い訳をするつもりでも、高槻は聞くつもりは毛頭なかった。付き合いはじめたのなら、後ろめたいことはお互いに忘れて前に進むだけ。
遅れて気づいた想いにも、心の中に閉じ込めておくだけ。
(……なんだか、恋人を作らない、割り切った攻めのセフレをしている気分かな。セフレだろうと、本当は攻めのことが好きで……)
心が寂しい。
梶浦のことを、すでに「好きになっていた」と気づいてから、行き場をなくしている想いが宙を彷徨っている。
「そろそろ開店時間です。……気持ち、切り替えましょう」
「……はい」
梶浦に向けて微笑むも、視線は合わせない。
梶浦がどんな表情をしているのか、また梶浦から見た高槻がどんな表情をしているのか、お互い知らないままでいる。
◇
気まずい空気が日々続く中、二人の間に昔みたいな甘い空気は存在しない。ぎくしゃくしたまま仕事をこなし、最低限の会話だけを交わす。
いつも気さくに話しかけてくる梶浦も、高槻に話しかけようとするたびに顔色を窺っている様子が感じ取られる。
(……この状況が駄目なのはわかってるんだけど……)
それでもって、桜田が出勤すれば、高槻の前で甘い空気を醸しだそうとするものだから――だが、それは桜田が一方的に梶浦を構っている――高槻は、その場から逃げ去りたくなる気持ちでいっぱいだ。
今まで、恋人でなくとも、笑って冗談を言い合いながら仕事を梶浦としていたはずなのに、桜田に全て奪われた。
だからといって、誰も悪くない。
人を好きになることも、誰かと付き合うことも。
(あえて悪いというなら、僕かな……)
あれだけ梶浦にアプローチされて、自身の想いに気づくことすらできなかったのだから。
鈍いにもほどがある。
梶浦に触れられた翌日、何度も彼女に相談しようかとメッセージアプリを起動させては閉じての繰り返しばかりで、一日を過ごしてしまった。
それも、大好きな商業BLすら補給するのを忘れて。
「――梶浦さん」
「はい」
「休憩ですが、僕が先に十二時から入ってもいいですか?」
「いいですよ。なにか、俺がやっておくことありますか?」
「いえ、特に今のところは大丈夫です」
今まで、どんなことを喋っていただろうか。
最近だというのに、もうずっと長いこと笑い合っていない錯覚に陥る。
「梶浦さん!」
こんなとき、桜田が姿を見せる。
「……桜田さん」
「今日の休憩、どっちが先なんですか?」
「えっと、僕ですが……」
「あの、よかったら俺とお昼一緒に休憩どうですか?」
突然のことに、高槻は目を見開いた。
にこにこと笑顔で高槻の返事を待っている桜田は、一体なにを考えているのだろうか。
できれば、ひとりで休憩したい気分ではあったが、断る理由がうまく思い浮かばない。
「……僕でよければ、その、いいですよ」
「本当ですか!? 俺、高槻さんと一緒に休憩入ってみたかったんですよね」
嬉しそうにしている桜田に、高槻はどう答えればいいのか困惑した。
「あっ! 話をしていたら休憩の時間ですね。梶浦さん、高槻さんお借りしまーす!」
「え、あ、梶浦さん、休憩行ってきます」
行きましょう、と強引に腕を引っ張ってくる桜田に圧倒されながら、高槻は慌てるように歩きだした。
二人の後姿を「いってらっしゃい」と言いながら、眉を八の字にさせて苦しそうな表情を浮かべている梶浦がいたなんて、高槻は気づくはずもなかった。
外で食べましょう、と言う桜田に、高槻はどこで食べようかと悩んだ。
「それなら、高槻さんと梶浦さんが行ったお店はどうですか?」
「……え?」
「俺と一緒に、そのお店に行くのは嫌ですか?」
「あ、いえ、そういうわけじゃ……」
顔に出てしまっていただろうか。
高槻は「混んでなければいいですけどね」と言いながら、桜田を例のカフェへと案内した。
「へー、意外と近い場所にあるんですね」
「僕も梶浦さんに教えてもらうまではわかりませんでした。とは言っても、梶浦さんが来るまでは、ほとんど休憩室で過ごしていたことが多かったので……」
「そうなんですね。あ、おすすめってなんですか」
「おすすめは……――」
ハンバーグプレート、と言いかけて、口を噤んだ。
梶浦と二人だけの思い出の場所と言ったら大袈裟かもしれないが、高槻はこの思い出の場所くらいは楽しい気分でいたかった。
だから、桜田には申し訳ないが、別のランチメニューをおすすめした。
教えてもらったこのカフェも、二人で一緒に頼んだハンバーグプレートも、高槻の中ではいい思い出にしたい。
「仕事は順調ですか?」
「はい、なんとか! 周りもいい人たちばかりだし」
「それならよかったです。真壁さんは優しい人なので、なにか困ったことがあったら頼るといいですよ」
「はい!」
桜田と話す内容と言ったら、仕事の話題くらいしか出てこない。
梶浦のことを話題に出してもいいが、自分で傷を抉ってしまうのは確実なので、あえて話題にするのはやめた――はずなのに、仕事の話題がぴたりとやむと、今度は桜田が新たな話題を出してきた。
高槻からは話題にしなかった、梶浦のこと。
「高槻さんは、ずっと梶浦さんとあのコーナーで一緒に仕事をしているんですか?」
「ええ、まあ」
色々あって、と付け足そうとしたが、余計な詮索をされるのも困ったため言葉にはしなかった。
「いいなあ……梶浦さんとほとんど一緒の時間を過ごせるなんて、羨ましいです」
それは、桜田が梶浦の「恋人」だから言える言葉。
「でも、梶浦さんって少女漫画が好きなんですよね?」
「そうですね。BLも読むには読むと言ってました」
「ならなんで少女漫画の担当じゃなくて、BL担当になったんですか?」
結構、突っ込んでくる桜田。
「そのとき、丁度担当していた社員が退職することになって……」
間違ってはいない。これ以上、余計なことを質問されないよう、慎重に言葉を選んでいく。
「へー、そうだったんですね。話は変わるんですけど、俺、梶浦さんって、高槻さんのことが好きなんじゃないかって思ってました」
「……え?」
「お待たせしましたー!」
丁度いいところで、料理が運ばれてきた。
会話は途切れてしまったが、冷めないうちに食べようと「いただきます」と手を合わせて食べはじめるが、桜田は会話を再開させてきた。
「実は、この書店でアルバイトはじめたの、梶浦さんを見かけたことがきっかけなんです。かっこいいなあって思って」
たったそれだけで、このアルバイトをはじめたというのか。
「だから、採用されて、同じフロアで働くことができて嬉しかった。……俺もゲイなんです。梶浦さんと付き合っているから、高槻さんに言いますけど」
「そ、そうなんですね……」
そういえば、梶浦のときもこのカフェで「ゲイ」だとカミングアウトされたなと思い出す。
「梶浦さん、俺の理想にぴったりすぎて! でも、梶浦さん、ずっとつらそうな顔してて……見ていて、俺までつらくて」
「……」
原因は、言われなくてもわかっている。
恐らく、高槻とのこともあるが、それ以前に桜田が来たときあたりから梶浦の様子はおかしくなったといえる。
「なにか知ってることがあれば教えてほしいなー……なんて」
「……どうして、僕なんですか?」
「だって、梶浦さんがあんな顔するなんて、高槻さんくらいしかいないかなって」
思い違いかな、と言う桜田に、高槻はなにも答えなかった。
「先日の定例会のあと、なにかありました? 恋人の俺にも言えないようなことが……」
「……っ」
「なーんて! これじゃあ脅迫ですよね。ごめんなさい」
わかったような口ぶりで訊いてくる桜田に、心臓をばくばくとさせて、変な冷や汗をかいた。
「けど、これだけは言わせてください」
「はい?」
――梶浦さんは、俺のなんで。
可愛く微笑みかけられたが、桜田の目は笑っていなかった。
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