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第23話

 正直、心に余裕なんてなくなっていた。  先日、桜田と一緒に休憩したのはよかったが、警告された。  梶浦のことを好きだと気づいたが、今更、桜田から奪い返そうとは思わない。  逆に、梶浦には申し訳ないことをした。  このままではいけないと思っていても、今まで通りの平静を保つことができないでいる。  そんなときだ。彼女から連絡が入ったのは。  ――久しぶりに会わない?  そうメッセージが届いた。  狙ったかのようなタイミング。相談しようと思った結果、彼女に連絡を取らなかった罰なのか。  全てを知りつくされていそうな感覚。 「……どうしよう」  いつもなら、ふたつ返事で承諾するのだが、今の状態で彼女と会ってもいいのかと悩んだ。  会ったところで、彼女に見透かされてそうで怖い。  変な詮索はしてこないだろうけれども、勘のいい彼女だ。  それでいて、高槻にとってよき理解者でもある。  ――丁度、話したいことがあったので会いたいです。  心に余裕がなくなってきている状況で、ひとりで抱え込むなんてきつかった。全部ではなくても、それとなく事情を知っている彼女に話して、少しでも心を軽くしたかった。  スケジュールの確認をして、改めて連絡することを約束して、高槻は彼女と会うことになった。 「久しぶりね! 梶浦さんと一緒に食事会して以来かしら」 「そうですね。お子さん、元気ですか?」 「それがね、子供の成長が早いのなんのって……――」 「はは、そうなんですね」  彼女との他愛のない会話を繰り広げていく。たったそれだけでも、高槻の心は救われている。  でも、頭を過るのは、梶浦と桜田のこと。  そして、梶浦と自分自身のことだ。 「――で?」 「……え?」 「なんか元気ないわね。大方、梶浦さんとのことで悩んでるのかしら」  遠回しではなく、ストレートに訊いてくる彼女にドキッとする。  視線を彷徨わせ言葉に詰まってしまう。 「言い方を変えるわね。梶浦さんとなにかあったでしょ」 「……っ」 「いつもの高槻くんって感じがしないのよね。それに、話したいことがあるって、連絡くれたでしょ」  そんなことをメッセージアプリで返事をしたなと、高槻は今になって思い出す。 「アドバイスはできるかわからないけど、悩みがあるなら聞くことはできるわ。それで、高槻くんが少しでも心が楽になるのなら私に話してみて?」  優しい口調で尋ねられ、今まで張り詰めていたものが零れ落ちそうになった。人に聞かせるような内容ではないけれども、恋愛絡みで悩むことに関しては高槻もはじめてで、もうどうすればいいのかわからないでいた。 「梶浦さん絡みなのは間違ってないでしょ?」 「……はい」 「ゆっくりでいいから、話してみて。時間は十分にあるわ」  ――可愛い高槻くんのことなんだからね!  えへん、と胸を張る彼女に、高槻は笑みを零した。  高槻は彼女の言葉に甘えて、ゆっくりと話しはじめる。 「コミックスフロアに、新しい子が入ってきたんです」 「へえ、どんな子なの?」 「二十一歳の男性で、小柄で可愛い顔立ちをしてるんです。その辺の女子にも負けないくらいの……」  言っていて、自分の傷を抉っていく。 「早い話、その子が梶浦さんと付き合うことになって……」 「はあ!?」 「ちょ、ちょっと、田中さん! 声が大きいですよ!」 「周り、誰もいないから大丈夫よ」 「そ、そうかもしれないですけど……!」  昼時のチェーンカフェ店ではあるが、都心からはだいぶ離れているのもあり、店内にいる客もまばらだ。  店内奥、壁際のテーブル席で話をしているとはいえ、大声を出せば周囲は注目してしまう。 「……まあ、頑張って声を抑えるわ」 「驚くのも無理ないかもしれないですけど……お願いします」 「わかったわ。……それで、なんで梶浦さんは、その子と付き合うようになったのよ」  はじめての食事会。  あれだけ高槻のことを嬉しそうに話をしていたはずなのに、彼女には信じられないことだった。 「僕にも、はっきりとした理由はわかりません。でも……」  言いかけたそのとき、定例会の夜が頭を過る。 「でも?」 「……」  言うか、言わないか迷ってしまう。言ったところで、彼女が軽蔑することはないと性格上わかっていても、言い淀んでしまう。 「……梶浦さん、付き合ってるには理由があると言ってました」 「理由? なにそれ。どういうこと?」 「僕にもわかりません。でも、そう僕に言ったんです」  結局、彼女には梶浦との間になにがあったのか言えないまま、話を進めた。 「そう……高槻くんは怒らなかったの?」 「僕は……」 「あれだけ梶浦さんにアプローチされてたのに、怒らなかったの?」  怒る、怒らないでいったら、前者だ。  悪酔いした挙句、梶浦に惨めな姿を見せてしまった。  これまで散々アプローチしてきたのに、梶浦が選んだのは桜田なのだ。冗談だったのか、遊んでいたのかと梶浦に問い詰めたが、明確な答えを得ることはできなかった。  これには理由がある、と言った梶浦を拒んだのは高槻だ。  だから、理由なんてわからない。 「……まあ、いいわ」  小さくため息を吐く彼女。 「高槻くんはさ、本当のところどうなの? これでいいの?」  ――これでいいの?  彼女にそう言われた高槻だが、正直「いいわけない」と心の中で答える。梶浦との間に起こった出来事のお陰で気づけた気持ちもある。梶浦になにか理由があって、桜田と付き合っているのもわかっている。  気持ちに気づいたのが遅くても、まだ遅くはない。 「本当は、好き、でしょ。梶浦さんのこと」 「……っ」 「高槻くんがなかなか言ってくれないから、私が代弁したまでよ」  不安に押しつぶされそうな高槻の表情を、心配そうな顔つきで見つめる彼女は、母親でもあり姉のようだ。 「大方、梶浦さんがその子と付き合いはじめたきっかけで、高槻くんが気づいたってことだろうけどね」 「ま、まあ、だいたい合ってます」 「詳しくは聞かないけど、大丈夫よ。今はつらいかもしれないけど、BLの神様は高槻くんを見守ってるわ」 「どうしてそこで、BLの神様なんですか」  ふっ、と笑みが零れた。  梶浦のことを考えるだけでつらく、笑顔を作る余裕もなかった。  だから、ちょっとした冗談でも、今の高槻には必要なのだ。心が救われる。 「だいたい、高槻くん一筋だったじゃないの。いきなり他の人と付き合うなんておかしいわよ。急に気持ちが変わるなんて」 「……そう、でしょうか」 「そうよ! こういう展開、BL作品でも見かけるでしょ」 「ふふ……読みますね」 「今みたいに笑ってればいいのよ。つらいだろうけど、いつか梶浦さんが理由を話してくれるはず。どうしてその子と付き合ったのか。私は、今でも梶浦さんは、高槻くんのことが好きだと思っているわよ」 「……だと、いいですけどね」  苦笑を浮かべながら、高槻は答える。  自信がないから、そういう表情しかできない。 「なにかあったときは、私が梶浦さんを殴ってあげるわよ!」 「えっ、あっ、や、それは、ちょっと……!」  さすがに、暴力沙汰になることだけは避けたいと思い、慌てて止めた。  もう仕事上での相方でもないのに、趣味が一緒ということだけで、退職した今でも高槻の相談に乗ってくれる。  もし、彼女との関係がこうでなければ、高槻はひとり悶々と悩み続けていただろう。 「……田中さん」 「ん?」 「ありがとうございます。お話、聞いてくれて」 「可愛い、可愛い、弟だからね」 「後輩の間違いでしょ」 「言葉の綾よ。同じ趣味を持ってるっていうのもあるけど、なんだか高槻くんって放っておけないのよね」  ――お節介かもしれないけど、見守らせて。  ね? と、微笑みかけられ、高槻は感謝の気持ちでいっぱいだ。  だが、そんな高槻を見つめながら、彼女は心の中で謝っていた。  彼女は高槻と会う約束をする前に、梶浦から先に相談を受けていたのだ。高槻が言えなかった梶浦との出来事を、彼女は口にしてはいないが実は知っているのだった。  ◇  気まずい状況は一向に変わらず、また、梶浦と桜田の関係も変わらないままでいた。  もちろん、高槻と梶浦の関係も。  週三日しか出勤しない桜田。梶浦と一緒にいる姿を見るのも、週三日。週三日だけでも、高槻は助かっていた。  これが、週休二日の週五勤務であれば心はもっとボロボロになっていただろう。  二人きりで仕事をするときは、仕事以外の言葉は特に交わさず、真壁や店長、他のスタッフや桜田が間に入れば勘繰られないように多少は言葉を交わすようにしている。  それなのに梶浦はずるい。  喋るときに見てくる視線が、とても熱っぽく感じる。 (桜田さんがいるのに、なんて目で僕を見るのさ……!)  困惑させないでほしい。  そんな目で見つめないでほしい。  胸のあたりで、エプロンをギュッと掴んだ。 「あ、そうだ。しのちゃん、店長が呼んでたよ。午後に話がしたいって言ってたから、浦ちゃんと相談して時間作ってね」 「わかりました。ありがとうございます」  梶浦の視線から逃げるように、真壁の言葉に耳を傾ける。  それよりも、今月で今年も終わってしまう時期に、店長からの呼び出しというのはどんなことなのだろうか。クリスマスフェアか、年末年始のことか。それとも他に――もし、仕事の話であれば参加者の中に真壁がいてもおかしくないが、真壁は店長に呼ばれていない。  ――浦ちゃんと相談して時間作ってね。  わかりました、と言った手前ではあるが、梶浦と言葉を交わすのが怖い。いや、怖いというより、最初の頃に戻ったかのように緊張してしまう。  近くに桜田の存在があるのもひとつの理由だが、もうひとつあげるのであれば、自身の気持ちがいつかポロッと出てしまいそうだ。  だから、極力仕事以外での話は避けるようにしている。  そもそも、桜田も聞いている場所で余計なことは言えない。梶浦と高槻が今まで以上に言葉を交わしていないことも、桜田は気づいているに違いない。  それ以前に、はじめて桜田と休憩を過ごした時に警告されたのだから尚更だ。  ――今更、なにを話せばって思うけど……。  あんなに「高槻さん、高槻さん」と尻尾を振って、優しい笑みを浮かべながら高槻に近寄ってきた梶浦はもういない。 「梶浦さん、桜田さんに教えてるところ悪いんですが……」 「あ、はい!」 「梶浦さん、またあとで教えてくださいね」  二人して作業台で手作りポップを作っているだけなのに、並んでいる姿を見るだけで胸が鋭利なもので刺されたような痛みを感じる。勤務中なのだから気にしないようにしようと思っていても、結局気になってしまい、視界に入れてしまう。  作業台に桜田を残して、高槻は梶浦と新刊コーナーがある棚の前に移動した。 「桜田さんに手作りポップの作り方、教えてるんですね」 「俺が教えられる範囲ですけどね。ジャンルは違っても、やることはほとんど一緒なので」 「そうですね。梶浦さんは教えるのも丁寧なので、自信を持ってください」 「はい。高槻さんにそう言ってもらえると嬉しいです。ありがとうございます」  柔和な笑顔を浮かべる梶浦の姿を見るのは久しぶりで、先程まで痛んでいた心は落ち着いていた。 「さっき真壁さんに言われたんですが、午後から店長に呼ばれているので時間を見て抜けようと思うんですが……」 「確か、今日は午後搬入ありますよね」  ポケットの中から新刊リストを取り出して確認をする梶浦。 「いつも十日発売の新刊が今回は日曜に被っているので、土曜日が発売日……ええっと、結構タイトルありますね」 「ええ。なので、とりあえずバックヤードまでの移動は僕も手伝いますので、そのあと店長のところに行っても大丈夫そうですか?」 「わかりました。そのほうが俺も助かります。高槻さん忙しいので、本当は他の人に頼んでもいいんですけど……」 「……?」 「高槻さんと一緒に仕事がしたいので」 「……!」  眉を八の字に下げて笑う梶浦。  そんなことを言うが、ほとんど一緒に仕事をしているようなものではないか。 「わ、わかりました。搬入の連絡が来たら声かけますね。そしたら、今日の休憩はどちらが先に入りますか?」 「搬入のこともあるんで、二人一緒は駄目……ですか?」 「えー、二人で一緒に休憩するんですか?」  作業台からひょっこりと顔を出して尋ねてくる桜田に、思わず「地獄耳だ」と言いたくなったがぐっと堪えた。  羨ましそうな顔でこちらを見てくる。 「桜田さんは、真壁さんから休憩時間言われてますよね? いくら梶浦さんと付き合っているからといって、一緒に休憩できるなんてそうそうないですよ」 「ち、違いますよ!」  図星をつかれ、桜田は慌てた。  定例会のときに梶浦と付き合いはじめたとカミングアウトしたからといえど、仕事は仕事だ。そんな恋愛脳で仕事をやられても困る――と言いたいところだったが、これまでの梶浦の行動を考えれば、同じことは言えなかった。 「高槻さん?」 「あっ、二人一緒で休憩……ですよね」 「はい!」 「……わかりました。確かに、搬入のことを考えたら、そのほうが一番いいかもしれません」 「ですよね! なら、お昼一緒に――」 「……すみません。お昼はひとりにさせてください」  今更、どんな顔をして梶浦と一緒に休憩時間を過ごせというのだろうか。  梶浦はなにか言いたげな表情をしていたが、高槻はなにも気づかなかったことにした。作業台からひょっこりと顔を出していた桜田と目が合えば、桜田は無表情のまま高槻を見つめてくる。 (別に、桜田さんから梶浦さんを取ったりしないよ……)  じわじわ、心臓が痛みだす。その痛みを忘れたくて、高槻は「バックヤードに行ってきますね」と伝えて、BLコーナーをあとにした。  働いている限り、この二人をずっと見続けては勝手につらい思いをしていくのかと考えると、高槻は深いため息を吐いた。

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