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第24話

 休憩は高槻が宣言した通り、梶浦と過ごすことはなかった。  休憩の時間ですね、と声をかけたとき、恐らく梶浦はもう一度高槻を誘おうとしたのだろう。言いかけようとしたところで、高槻はすかさず先に非常階段へと向かった。  ロッカーで財布と携帯を取り出し、事務所を出ようとしたところで梶浦とすれ違う。引き止められるだろうかと思ったが、梶浦は高槻を引き止めることはしなかった。 (……諦めたのかな)  桜田も見ていないこの場所であれば、強引にきてくれるのだろうかと僅かな期待をしてしまった。  結果、それはなかったのだ。 (前なら、尻尾振ってでも近寄ってきたのに……)  そこまで考えて、頭を振った。  休憩はいつものカフェだと梶浦もいると考え、高槻は表通りにあるカフェで休憩時間を過ごした。  休憩を済ませてコーナーへ戻れば、梶浦はすでにいた。  桜田の姿がないのは、入れ違いで休憩に入っているのだろう。  少しだけ安堵した。 「早いですね」 「お帰りなさい。……あまり食べる気がなくて。でも、お腹は空いているので軽く食べましたよ」 「え、まさか、食べてすぐに戻ってきたんじゃ……」 「食べて、そのままゆっくりしてましたよ。ここには、十五分前には戻ってきました」  食欲があまりないと言うが、見た感じ、特に顔色が悪いわけではなさそうだ。  どうしたものかと思いながら、高槻は尋ねた。 「もしつらいようでしたら、早退しても大丈夫ですよ?」 「あ、いえ、違うんです。そういうことじゃ……」 「あっ」 「……」  お互い沈黙してしまう。  食欲のない梶浦の理由は、あの日のことを引きずり、高槻とまともに話し合うことができていないことに違いない。  むしろ、それしか考えつかない。 「……すみません」 「いえ……」 「あ、あの……! 俺に、謝る機会をくれませんか?」  ――それすらも駄目ですか?  犬の耳が垂れ下がり、小さな声で「くぅーん」と鳴いているような幻覚が見える。  そんな切なそうな表情で見つめないでほしい。  なにしろ、梶浦に謝られたところで、高槻の気づいた想いは成就するわけではないのだから。 (なんか、NTRに近いこの感じ……)  昼間からなにを考えているのだろうこの脳内は、と心の中で叱責した。 「し、仕事しましょう」  時計を見ればとうに時間はすぎている。  搬入の連絡が入るまで、気まずさはあるもの、二人で新刊コーナーの棚を空ける作業をはじめた。  梶浦への返事は保留だ。 「これだけタイトルが多いと、高槻さん読むの大変じゃないですか?」 「た、大変ですけど、それだけ幸せなのでいいんです」  思わず声が上ずってしまったが、なに意識しているのだろうか。  仕事中に梶浦と軽い雑談という雑談を避けていたため、高槻は久しぶりの会話にドキリと胸打った。 「また、高槻さんとアニメショップ行きたいです」 「……っ」 「高槻さんと沢山話もしたいし、なにより高槻さんの……――」 「あー、二人でなにしてるんですか?」  ひゅ、と小さく喉が鳴った。  新刊コーナーを覗き見るように声をかけてきたのは桜田だ。  思わず身体が竦んでしまったが、高槻はすぐに平静を取り戻して、休憩から戻ってきた桜田に「おかえりなさい」と伝えた。 「なんだか、珍しく盛り上がってませんでしたか?」 「き、気のせいですよ」 「ふーん」  そうなんだ、と言う桜田は、すぐに梶浦の隣へ移動した。 「梶浦さん、ポップの作り方教えてくださいよ!」 「いや、でも明日の新刊準備が……」 「いいですよ。僕がやっておきますので。梶浦さんが、入荷するタイトル分を空けてくれたので、あとは僕に任せてください」 「高槻さん……」 「ほらほら! 高槻さんもこう言ってるんだし!」  ぐいぐい腕を引っ張ってくる桜田に梶浦は戸惑っていたが、高槻は気にしないように仕事を続けた。目は新刊コーナーに向けて、なにも考えないように行動する。  ――嘘。本当は気にしている。  気づかれないように、小さく「はあ」とため息を吐いた。  ため息を吐くと幸せは逃げる、とよく聞くが、リラックス効果もあると云われているので、精神的に落ち着きたいときに出るんだろうなと、高槻はポジティブに捉えている。  それでも、結局は幸せを掴み損ねているので、逃げてしまっていることには違いなかった。  それよりも仕事だ。 「レーベルも増えれば、発売されるタイトルも増える……」  新刊コーナーの前で、さてどうしたものか、と考える。  毎月のタイトル数が決まっているわけではないが、少なからずタイトル数が増えている気がするのだ。増えることは高槻にとっては嬉しいことで、作品を読むことで幸せを噛みしめられる。  ただ、仕事となると棚作りに悩んでしまう。  配置や見せ方など、難しいが棚作りは楽しい。 「それでもこの仕事はやめられないよ」  新刊を迎えるために空けておいた場所は、準新刊で見栄えよくしておくために面展にしておき、平台には三冊ずつをひとつの山にして敷き詰めておいた。  ひと通り準備を終え、時間を確認すれば十五時近くなっていた。 「今日は遅いな」  少しだけ様子を見に行ってみようかと、サービスカウンターへ行く旨を梶浦に伝えようとすれば、タイミングよく真壁がやってきた。 「しのちゃーん。搬入よろしくね!」 「あ、わかりました」  桜田に教えているところを邪魔するのは気が引けるが、高槻は恐る恐る声をかけてみた。 「あの、梶浦さん」 「高槻さん、もしかして……」 「ええ。搬入お願いしたいんですが、今、大丈夫ですか?」 「はい! 今から一緒に行きます」 「ありがとうございます」 「いえ。桜田さん、結構センスあるので、もう俺が教えなくても大丈夫かなと。それに、真壁さんフロアに残ってるんですよね?」 「はい。真壁さんは残ってくれます」 「なら、安心です。桜田さん、なにかあれば真壁さんに聞いてください」  早くこの場から去りたいのか、桜田に淡々と言う。なにか言いたげそうな表情をしている桜田だが、わかりました、と持ち前の明るさで元気に返事をした。  搬入を終えて、バックヤードまで運び終わったのが十六時近く。店長のところへ行くのが結局夕方になってしまい、高槻は梶浦と真壁にフロアのことを任せ、店長のいる事務室へと急ぎ足で向かった。 「店長。今、大丈夫ですか?」  ドアをノックし、開けると共に声をかける。  事務処理をしていた店長は、お疲れさま、と労いの言葉を高槻にかけ中へと招き入れた。 「今日の搬入は大変だったね」 「ええ。久々に大量でしたけど、もう落ち着いたので大丈夫ですよ。……ところで、話というのは?」 「ああ、そのことなんだけど、高槻くんは今、契約社員だよね」 「ええ」 「来年度から三年目に入っちゃうから、話をしておきたくて」  ――ああ、もうそういう時期になってきているのか。  契約社員で入社している今、来年度の春で三年を迎える。 「入社前にも話をしたけど、正社員登用もあるのは伝えてるよね?」 「はい、聞きました」 「あとは高槻くん次第なんだけど、正社員登用を希望するなら半年前には教えて欲しいんだ」  詳しい正社員登用事項は書類に書いてあるから――と、書類を渡される。  本が好きで、BLが好きで、地元の書店に就職してもよかったけれども、なんだか味気ないなと思い上京してみた。今の書店に契約社員として入社して、そろそろ契約期間も来年度で残り一年となっている。 「なにか不安なことがあったら、遠慮なく言ってね」 「ありがとうございます。正社員のこと、考えさせてください」 「うん。考えた上で、話してくれると嬉しいな」 「はい」 「ごめんね。時間取らせてしまって」 「いえ」  店長との話が終わり事務所を出た高槻は、正社員登用の詳細が書かれてある書類を眺めた。 「……正社員、か」  忘れていないわけではなかった。ゆくゆくは契約社員から正社員になって、書棚を弄ることができるならいいなと思っていた。  だが、改めて正社員の話題が持ち上がると、すぐに答えを出すことはできなかった。  書類を二つ折りにしてエプロンのポケットに入れる。  そして、高槻はBLコーナーへと戻った。 「――今、戻りました。いない間、大丈夫でしたか?」 「はい。特になにも問題なかったです」 「そうでしたか。ありがとうございます」 「いえ」  梶浦にお礼を言い、仕事を再開させた。  搬入した新刊たちはバックヤードに保管してある。残り一時間弱で通常勤務は終わってしまう。新刊のことを考えると、二時間ほど残業が必要だろうかと思案する。  本当は、梶浦にも少しばかり手伝ってもらおうかと考えたりもしたが、桜田がいるから残業はしないだろう。  そんな勝手な憶測を、変に心配をかけないようにと、梶浦へ声をかけた。 「梶浦さん。新刊準備は明日出勤したらやるので、残業はなしで大丈夫ですよ」 「え……でも、今日ある程度準備しなくて大丈夫ですか?」 「はい。タイトル数はそれなりにありますが、特典も付きませんし、明日の開店前に準備しても間に合います」 「高槻さんがそう言うなら……わかりました。今回はいつも通りあがりますね」  新刊が発売されるタイトルの数や、高槻が翌日休みで判断に迷いそうなときは、発売日当日の開店前に準備していることもあるのだから、別に不思議なことはない。  だが、こういうときに限って、梶浦は聡かった。  退社時間になり、梶浦は桜田に押されるように「お疲れさまでした」と挨拶をして、非常階段のほうへと二人一緒に消えていった。釣られるように「お疲れさまです」と返事をして、高槻もあとを追いかけるように非常階段へと歩いていく。  梶浦にああ言った手前、ひとりだけ勝手に残業していることがばれないように、一度高槻も事務室へと向かう。  事務所を通り抜け、更衣室兼休憩室のドアを開ければ、まだ二人の姿があった。 「あ、高槻さん、お疲れさまでーす!」 「桜田さんもお疲れさまです」 「高槻さん、今日はまっすぐ帰るんですか?」 「え、ええ。今日の夜、荷物が届くので。今にもそわそわして仕方がないんですよ」  ――なんて、本当は荷物なんて届かない。  嘘は吐きたくなかったが、こうでもしないと聡い梶浦はなにかと頭が働く。 「そうですか。それは届くのが楽しみですね」  優しい梶浦に嘘を吐いてしまったことに、罪悪感を抱いてしまう。 「それじゃあ高槻さん、俺たち先に失礼しますね!」  これ以上、梶浦と高槻を話しさせまいと、梶浦の腕をぐいぐい引っ張る桜田。焦ったように出ていく梶浦の様子に、内心大変だなと思ってしまった。 「さて、と」  小さく呟くと、ロッカーから携帯を取り出し少しだけ弄る。  SNSをチェックして見逃していないか、BL関連の情報をチェックしていく。確認が終われば、再びロッカーに預けてフロアへ出ようと事務室を通り、店長へと声をかけた。 「店長。明日の新刊準備で一時間……最大、二時間の残業して帰ります」 「大丈夫なのかい?」 「今日は特に用事もありませんし、今回タイトル多いので」 「高槻くんがいいならいいけど……無理はしないでね」 「はい」  きっちり一時間で終わればいいが、各タイトル二箱分ほどシュリンク作業すればいいだろうかと考えながら、そのままバックヤードにある作業用エレベーターに乗り、BLコーナーがある三階まで移動した。  フロアに出ることはなく、バックヤードでひとり、シュリンク作業をしていく。ガコン、ガコン、とボックスの中にシュリンクされたコミックスが重なって入っていく。ある程度溜まれば、それを再び入っていた箱に詰めていく。  コミックスが終われば、次は小説だ。 「……」  単純な作業ではあるが、きちんと見ていないとしっかり包まれていなかったりするので注意が必要だ。  シュリンクされていく様子をジッと見つめながら、高槻は正社員のことを考える。  もし、正社員を希望しないのであれば、契約期間は満了となり退職という形になる。もしくは、アルバイトとして再契約するか、転職するかだろう。  割と居心地のいいこの書店は、高槻の中ではもうお気に入りになっていた。慣れないことも多く、逆に学ぶことも多かった。  今の気持ちを考えると、離れたほうがいいのだろうかとも考えてしまう。 (自分のためにも、梶浦さんのためにも……)  梶浦の本当の気持ちもわからないまま、勝手に決めて、勝手に離れようとすれば、梶浦は怒るだろう。  自分勝手だと思われても仕方がない。  いくら平静を保っていても、高槻は桜田と梶浦が一緒にいる姿をこれ以上見るのがつらかった。  ただ、その考えは完全なる公私混同。考えないようにしていても、見ないようにしていても、結局は無意識に、気づけば視線が追いかけているのだ。  ――自覚したばかりに……。  高槻自身も、梶浦も、桜田も、全員、公私混同している。  いくら仕事をきっちりこなしても、意識してしまう。 「……はあ」 「――高槻さん」 「ひっ……!?」  バックヤードに今いるのは高槻ひとりだけだと思っていたのに、急に声をかけられて素っ頓狂な声をあげてしまった。  隣を見れば、私服姿の梶浦がその場に立っていた。 「……なんで――」 「なんだか、高槻さんの様子がちょっと違うと思って……荷物が届くと言っていた割には、そんな急ぐような素振りにも見えなかったので」 「……桜田さんは?」 「駅で別れました。用事を思い出したと言って、戻ってきたんです」  予想通り、聡い梶浦は桜田と別れたあと書店に戻ってきた。事務室にいた店長に高槻がまだ残っていないか尋ねると、残業していることを聞いて現在に至る――というわけだ。  少し怒っている様子の梶浦に、高槻は「えっと、やっぱり残業したほうがいいと思いまして……」と、苦し紛れに伝える。  高槻の視線は、ずっとシュリンクの機械を見つめているまま。  その態度が、更に梶浦を怒らせる要素となった。 「……最初は、少しずつ話せるようになったから安心してましたけど、気まずいからといって、ひとりでなんとかしようとしないでください!」 「っ、別に……そういうわけでは……」 「確かに全部ではありませんが、同じ担当なんですよ」  言っていることは正論だ。  痛いところを突かれる。 「それに、公私混同しているのは俺も一緒です。気をつけようと思っていても、その、桜田さんが……」 「……僕は気にしていません。きちんと仕事さえしてくれれば、その、大丈夫なので……。でも、いつ、どこでお客さんが見ているかはわからないので、今後は気をつけてください」 「えっと、そのことなんですけど――」  流れ的に真実を伝えようとする梶浦を遮り、高槻は「それでどうしましたか?」と、間髪を容れずに尋ねた。 「もし、手伝いにきたわけじゃないのなら、退勤したので帰宅してください」 「……高槻さんひとりで、仕事させるわけにはいかないですよ。俺、手伝います」 「いや、でも……!」  高槻の言葉も聞かず、梶浦は邪魔にならないように鞄とコートを脱いで端に置き作業に取り掛かった。 「シュリンクしたもの、箱に詰めればいいですか?」 「……」 「高槻さん」 「……はい」  こんなときに限って、お互い意地を張ってどうする。 (それなのに、……こういうところ、ずるい)  不覚ながらも、心が締めつけられる。  近かった距離は遠くなり、気まずい空気になりつつも、こうやって高槻を助けてくれる。  梶浦も同じことを感じているだろうと思いたい。 「……俺、謝る機会がほしいと言いましたよね」 「……」 「話がしたいです。高槻さんに、沢山」 「……それは、桜田さんと付き合ってごめんなさいってことですか?」  それは嫌味にしかすぎないと、我ながら意地悪すぎる。 「……それでも俺は、高槻さんが好きですから」  その言葉は幾度となく聞いてきた。  そう言われて本当は嬉しいはずなのに、胸は痛いばかり。 「……あと、三タイトルで終わりですね。ほら、二人でやったほうが早く終わりますよ」 「そう、ですね。……ありがとうございます。残業のことは、あとで店長にも言っておきますので……とはいえ、まだ終わりじゃないですから。早く終わらせて帰りましょう」 「はい」  それ以上なにも言ってこない梶浦に、ほんの少し安堵した。  梶浦の言う通り、二人でやると残業する時間も短縮され、一時間半で作業は終わった。 「梶浦さん、ありがとうございます。助かりました。これで本当に終わりなので、先に帰って大丈夫です」 「……前なら、このままカフェに、と誘えたんですが、そうもいきませんよね」  寂しそうな表情をする梶浦に、高槻はただ「ごめんなさい」と言うだけでいっぱいだった。

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