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第27話
退勤後、三人はカフェに来ていた。
高槻がはじめて、梶浦におすすめカフェだと連れてきてもらったチェーン店。注文したものが届くまで、三人とも無言状態のまま、誰も喋ることはなかった。
注文した飲み物が届くと、三人はひとくち飲んで喉を潤した。
「――……あの、……」
先に口を開いたのは高槻だ。
「先に、僕から話をしますね」
誤解を解いた上で、梶浦の話を聞こう。
「異動の件ですが、真壁さんの早とちりです。その、正社員になろうとしていることは本当です。二人とも知っている通り、僕は今、契約社員として働いてます」
「自己紹介のときに社員って言っていたから、てっきり正社員だと思ってました」
「勘違いさせてすみません。それで、この書店には正社員登用があるからどうするかという話になりまして……」
「……あ。もしかして、店長に呼ばれたのは……」
「ええ、そういうことです」
「正社員になるか、迷ってました」
すぐに答えが出なかったのは確かだ。
「……俺と、梶浦さんのことを気にして?」
「……まあ、そうですね。それでも、この仕事が好きで、この書店が好きで」
もやもやして、彼女に相談することになってしまった。
その彼女に相談したお陰で、改めて正社員になろうと決意した。
「梶浦さんとも気まずい雰囲気のまま、ここで仕事をしてもいいのだろうかとも考えましたし、相談もしました」
「それって田中さんと?」
「ええ。あ、田中さんって人は、僕が入社したときの教育係で、面倒を見てくれた人なんです。あと、BLコーナーの相方でもありました」
入社時に彼女が教育係でなければ、今の高槻はいなかっただろう。
今でもそんなことを思ってしまう。
「仮に異動できるのか、配置換えができるのか、そういった話もしました。それを聞いた上で、お二人のことは抜きにして、改めて自分で考え直して、正社員になろうと答えを出しました」
「異動とかは、もしものことも考えて?」
「……はい。異動の件は、念のため話を聞いておきたかったんです。田中さんにも聞いたとは言っても、以前と変わってるかもしれませんし」
それなのに、店長と真壁の前で異動に対しての曖昧な返事をしてしまったのは高槻が悪い。
「そして、一週間ほど離れるのは秋頃です。正社員になるためには、一度本社へ行き、筆記試験と面談を受けないといけません」
――だから、異動のための研修ではありませんよ。
そう伝えれば、二人は安心しきった表情を見せた。
そこまで安堵するには理由があるからだろう。
「僕の異動の話はこれで終わりです。あとは、試験と面談次第ですね、正社員になれるには」
「高槻さんなら、正社員になれます。……いや、なってくれないと困ります」
「梶浦さん……」
寂しそうな表情を見せる梶浦に、隣に座っていた桜田がコホン、と咳払いをした。
「今度は俺が話してもいいですか?」
「え? 桜田くんが?」
「梶浦さんが話してもいいですけど、俺も話しておきたいんで」
そう言うなり、桜田はテーブルに両手を置いて頭を下げた。
「ごめんなさい! 全部、俺が悪いんです!」
「え、えっ、ちょっと!?」
さすがの高槻も焦った。
なにより、周囲の視線が気になって仕方がない。
「あ、頭を上げてください」
そう促し、桜田は頭を上げた。
「高槻さんがこうなってしまったのも、俺が悪いから」
「それなら、俺も同じです」
「桜田さん、梶浦さん……」
「結論から言えば、俺と梶浦さん、本当はお付き合いなんてしてません。……梶浦さんが好きなのは本当ですけど、一度振られてますし」
「え?」
突然の真実を突きつけられて、高槻は目を丸くした。
それから、梶浦と付き合いはじめた理由を、桜田はゆっくりと話しはじめた。
◆
高校卒業してからは、アルバイト生活を送っていた。
特にやりたいこともなく、ただ生活をするためだけ。そんな中、ある日仕事も休みで暇を持て余していたときに、妹が持っていた少女漫画を勝手に読みはじめたのをきっかけにのめり込んだ。
恋をしたことがないといったら嘘ではあるが、少女漫画のような恋愛に憧れを抱いていた。
(こんな少女漫画みたいな恋、味わえないって……そもそも、男を好きなんだからさ)
自分の性癖に気づかされたのは、中学のとき。
友達の兄が持っているAVを、数人で鑑賞していたときだ。友達は画面のAV女優に興奮していたが、桜田は男優に釘付けだった。
気づけば勃起しており、情けないことに下着の中で絶頂を迎えていた。恥ずかしい思いと、その男優の攻め方に興奮して、身体が反応してしまったことに戸惑いを隠せないでいた。
もしかしたら「たまたま」だったのかもしれない。
はじめてのAV体験。友達には恥を忍んで、再度鑑賞会をしないかということで、友達の家で再びAV鑑賞会を実施した。
結果は同じだった。
女優のほうではなく、どうしても男優に視線がいき、勃起しては下着の中で熱が吐き出される。女優と同じで、腰を振っている男優の姿を見て、自分にもしてほしいという願望が生まれてしまい、このとき、はじめてお尻が疼いた。
改めて、「俺の身体は、男にしか反応しないのか」と、痛感した。
それから、何人かと付き合ってみた。
そういったコミュニティで出会いを見つけて付き合ってみたが、桜田の恋愛はそうそうまともではなかった。
身体だけの関係――所謂セフレ。桜田自身は付き合っているかと思っていたが、相手からすれば、都合のいい性欲処理だと思われていた。
最悪だったのは、同級生から「桜田のこと、可愛くて好きになった」と告白されて付き合いはじめたのに、本当は罰ゲームだと知ってしまった真実。
こんなことになるのなら、しばらくは誰とも付き合いたくはない、誰も信用したくない――そう思った。
そんなときに出会ったのが、妹が持っていた少女漫画だ。
男が少女漫画なんてみっともないと思ったが、これが想像以上に桜田の心に突き刺さった。もっと少女漫画を読みたい、この世界観に浸っていたいと思い、普段行かない書店に足を運んでみたのが高槻と梶浦が働いている書店だったのだ。
少女漫画を買うにしろ、男が堂々と購入することなんて羞恥心が勝る。通販の手もあったが、直接手に取って確かめたかった。中身の確認をすることはできないけれども、読んでみたい少女漫画が沢山見つかるかもしれない。
しかし、どうしたものかと悶々しているときに、高槻と梶浦が話しているのを耳にした。少女漫画を読むと知った梶浦の存在に嬉しくなり、あとになって桜田は、次第にこの書店を週に一回は訪れることになるのだった。
このときは少女漫画一冊と、あまり読みもしない少年漫画一冊を一緒に購入した。
書店に通うことで梶浦を見つけては、「今日もいた」と心が躍り、高揚した気持ちで少女漫画を買い漁って帰宅する。
気づけば、梶浦を気にして「そういう」対象で見てしまっている桜田自身がいた。
ただ、向こうは気づいていないし、気づいたところでよく来店する客のひとりとしか思われていないだろうと思っていた。
ふたつアルバイトを掛け持ちしていた桜田は、その内のひとつが店を閉店することになり自動的に退職となる。実家暮らしなのでアルバイトをするならひとつでもいいが、家を出て自立もしたかったので、なるべく多く貯金をしかった。
他になにかいいアルバイトはないだろうかと悩みながら、いつものように少女漫画を購入しに書店へ行けば、急募でアルバイト募集をしている貼り紙が目に入る。
(あの人に近づけるチャンスかもしれない)
そう思った桜田は、すぐに履歴書を揃え、書店へアルバイト応募の連絡を入れたのだ。採用されるかどうかはわからないし、書店で働くこと自体もはじめてだ。かけもちをすることになってしまうため、覚えるのに時間もかかるかもしれない。
面談のとき、のちに教育係となる真壁に自分の想いを伝えた。
それが功を奏したのか、コミックスフロアの担当として採用の連絡をもらえた。コミックスフロアをなると、もしかしたら、という淡い期待もあった。
初出勤日。説明を受けてフロア案内をされたときに、高槻と梶浦の姿があった。
姿を見ただけで胸が高鳴る。
「今日からよろしくお願いします!」
大丈夫かな。声、裏返ってなかっただろうか。
そんなことを思いつつ、桜田はこのときはじめて梶浦と会話を交わした。梶浦が少女漫画好きだということは事前に知っていたが、ここで「知ってます」と言えば、どうして知っているのか不審がられてしまう。なるべく話を合わせて「そうなんですね」と相槌を打ちながら、梶浦との距離を縮ませた。
しばらくは誰とも付き合わない、誰も信用しないと思っていたが、梶浦を見かけてからは自然とそういう気持ちもなくなり、告白をするなら今しかないと思った。
これは賭けだった。BL担当をしている梶浦は、少女漫画も好きだが、BLも嗜む好青年。事前にもスタッフから恋人がいないかどうかも確認済みで、その上で梶浦に「立候補してもいいですか」と先に伝えたのだ。
だから、桜田に好意を寄せられているとうことは、梶浦も手に取るようにわかっていだろう。
「――梶浦さんが好きです」
高槻が休みの日を狙い、退勤後に梶浦をカフェに誘い出して告白をした。
小さな声で、はっきりと。
しかし、梶浦の返事は「ごめんなさい」だった。
理由を訊いてもいいですか、尋ねた。
梶浦は高槻のことが好きで、恋人候補としてアピールしている最中だという。桜田が告白をしたときに梶浦自身、自分のゲイだということは伝えているが、高槻はノンケだ。
いくらBLが好きでも、梶浦を好きになるかわからない。
それでも、梶浦はゆっくりと高槻との距離を大事に保ちながらも、想いを届けていた。
それを聞いて、桜田からしたら「ずるい」と感じた。
いや、「羨ましい」だ。
心の中で悪魔であるもうひとりの自分が囁く。
『それをネタに脅せば、付き合えるかもしれない』
駄目だ。高槻がノンケだろうと、一途に想う梶浦の気持ちを踏みにじることなんてできない。
けれども、自然と口が開いていた。
「――俺と付き合ってくれないと、高槻さん襲ってもいいですか?」
「っ、なにを……」
「梶浦さんがこんなにも想っているのに、高槻さんと付き合えないなら意味がないじゃないですか。それなら、梶浦さんを好きな俺と付き合ったほうが自然だと思いません? ゲイ同士、付き合ったほうが気持ちも楽になりますよ」
「なにを言われようと、俺は高槻さんが好きです」
「なら、高槻さんを好きなままでもいいです。だから、俺と付き合ってください。でないと、本当に高槻さんを襲います」
悪魔の囁き通り、脅してしまった。
「……わかり、ました。高槻さんを襲わない、なにもしないというなら。付き合うことはできても、俺の心は高槻さんしかいませんので」
「それでいいですよ」
我ながら卑怯すぎる。
これでは、過去に付き合ってきた恋人がしてきたことと、なにかしら変わっていないではないか。
「これから恋人としてよろしくお願いします」
「……わかりました」
こうして、桜田の歓迎会兼いつもの定例会で梶浦と「付き合っている」宣言をしたのだった。
◆
桜田の話を聞き終えて、高槻はなにも言葉にできなかった。
「……今まですみません。本当は、俺がきちんと言うべきだったんです」
悲しく、つらそうな表情で伝える梶浦。
「あの飲み会以来、梶浦さんと高槻さんがぎくしゃくしているのに気づいてました。そうさせたのは、全部、俺のせいです」
「最初は気のせいかなと思ったんですけど、桜田さんの存在に入社前から気づいてました。桜田さん、週に一回は来てましたよね。高槻さんと距離を詰めるときに、周囲に見られないようによく確認するんで、あれ? と思いました」
「……梶浦さんは、気づいてたんですね。だから、新人が来ると伝えたとき、微妙な反応を……」
「はい」
点と点が繋がった瞬間だ。
梶浦の言っていた本当のこと。
桜田と付き合っている本当の理由。梶浦の気持ちをわかっていながらも脅し、自分のものにしてしまった桜田。
「高槻さん。その……真剣に梶浦さんのこと、考えてくれませんか?」
「……僕は、」
「人の気持ちにお願いをするのも変な話ですよね……ただ、梶浦さんと俺の間に、一切特別なことはありません。過ちはなにひとつもありません。……あるとすれば、梶浦さんの気持ちを、自分がされたみたいに踏みにじってしまったことです」
「そこまで自分を責めなくても……」
「でも、許されることではないです」
そう言われてしまうと、なにも言えなくなる。
「あの、こんなことを訊くのは駄目だと思うんですけど、実際に高槻さんは梶浦さんのことをどう想ってるんですか?」
「へ!?」
「桜田さん!? なに訊いてるんですか!」
「ここまで来てしまうと、なんだか気になってしまって……」
へへ、と苦笑を浮かべる桜田に、高槻は戸惑った。
自分の想いは閉じ込めた。
蓋をしたのだ。
もう伝えることはないだろうと思っての、蓋を――。
「もう俺のことは関係ないです。高槻さんの気持ち、知りたいです」
「気持ち……」
「関わってしまった以上、高槻さんの本音が知りたいです」
「……あー、もう……」
桜田の横で、梶浦が顔を覆った。
(……蓋を、開けてもいいのかな)
脅されても尚、一途に想い続けて、桜田との誤解を何度も解こうとしていた梶浦。それを聞きたくないと一蹴して、聞く耳すら持たなかった高槻。
そんな高槻のことを、梶浦は今でも好きでいるのだろうか。
「……梶浦さん、ひとつ、訊いてもいいですか?」
「え? あ、は、はい」
「僕のこと、……まだ、好き……ですか?」
「……っ、す、好き、好きですよ!」
ガタッとテーブルの音が鳴るも、立ち上がるのを堪えた梶浦。
その様子を桜田が呆れた笑みを零していた。
「……高槻さんが、好き。好きです。今でも好きです」
「わ、わかりましたから。その、何度も言わなくて、いい……です……」
恥ずかしい。
桜田に見守られながら、なんたる羞恥プレイ。
恥ずかしさのあまり、カップに視線を向ける。そのままの状態で、高槻は言葉を紡いだ。
「梶浦さんに好意を寄せられるようになって、はじめは戸惑いました。どうして僕なんだろうって。それこそ桜田さんじゃないですけど、珍しいから、からかわれているだけなんだろうって……でも違いました」
「……」
「梶浦さん、本気で想ってくれてるんだなって、少しずつ、僕の気持ちにも変化が見えるようになってきました」
「……高槻さん」
「僕、自分の恋愛には疎いです。BLを沢山読んできたはずなのに。曖昧な態度しか取れず、はっきりと気持ちに応えることができないことに申し訳なさも感じながら、それでも僕のことを想ってくれる梶浦さんのことを真剣に考えればよかったと、桜田さんの告白で自覚させられました」
自分の気持ちに気づけたのは、桜田のお陰でもある。
やり方は酷かったもしれないけれども。
「……僕は、……梶浦さんが、好き、……です」
「高槻さんが自覚したのって、俺が梶浦さんと付き合う宣言してからなんですよね?」
「あ、想いに自覚したのはそのあとですね。ややこしい言い方をしてすみません」
苦笑する高槻に、桜田は梶浦に視線をやった。
すると、梶浦はなんだか気まずそうな雰囲気を纏っていた。
「……梶浦さん、高槻さんに〝なにか〟しましたか?」
「い、いや、なにも……」
「いかにも、その顔には〝なにかしました〟と書いてありますけど?」
まさに、飼い主に怒られている飼い犬の図だ。
「梶浦さん」
強く梶浦の名を呼べば、梶浦は間を空けてゆっくりと言い出した。
「……高槻さんを……」
「高槻さんを?」
「お……」
「……まさか、襲った、とか言わないですよね」
「……カッとなって、つい……」
「……! つい、じゃないですよ! なにしてるんですか!」
年下に怒られている梶浦を見て、高槻は目を瞠った。
今にも胸倉を掴みかかりそうな桜田を、高槻は慌てて止める。
「だ、大丈夫です。お、襲われ、ましたけど、その、掘られたわけじゃないですしっ」
「ほ……! 高槻さんの口から掘るって言葉、聞きたくないんですけど! てか、なんで恥ずかしそうにしてるんですか!」
襲われたんですよ、と高槻も同様に怒られる始末。
「さ、触られただけです……本当に」
「本当にですか? 梶浦さん、どうなんですか?」
「……本当です。その、高槻さんが言っていること、間違いないです」
「はー……なにやってるんですか……」
顔を覆う桜田に、高槻も梶浦も「すみません」と謝った。
桜田がもし彼女だったら、彼女も同じようなことをしていただろうなと重ねてしまった。
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