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第29話(完)

 誤解も解けた数日後、早とちりしていた真壁と、高槻の異動のことはなんとも思っていないはずの店長に改めて伝えた。 「――……ごめんねー、俺が早とちりしちゃって……ひょっとして、喧嘩でもした?」 「ちょっと誤解があったようなので訂正しておきました。僕が曖昧な返事をしてしまったばかりに……すみませんでした」 「再確認なんだけど、異動のことは考えてないんだよね? 高槻くん、ここでの仕事生き生きしてるからね」 「あ、ありがとうございます。異動のことは考えてません」 「しのちゃん照れてるー」 「もう、真壁さんっ」 「恐らく、九月に試験と面談があるから頑張っておいで。詳細はまた追って連絡するね」  よろしくお願いします、と挨拶をして事務室を出た。  真壁と一緒にコミックスフロアに戻りながら、高槻は誤解されたときの様子を話した。 「――特に梶浦さんなんて、質問攻めだったんですからね」 「ごめんって、しのちゃん」 「桜田さんに至っては、店長と真壁さんが真剣に話しているから邪魔するのはいけないと思って、静かに聞き耳立てていたなんて言うんですよ」 「あはは」 「全く……真壁さん、どういう教育してるんですか」 「……うう、しのちゃんが苛めてくる」  たじたじになっている真壁に、高槻は微笑んだ。 「一週間とはいえ、しのちゃんがいないのは寂しいね」 「……一週間なんて、あっという間ですよ」 「それもそっかあ」 「そうですよ。真壁さん、早とちりする前に、先に僕に確認してください」 「りょーかい。しのちゃんなら大丈夫」 「どうなるかわかりませんって。でも、頑張ります」 「そうだね。じゃあ、またね」  サービスカウンターに戻る真壁と、BLコーナーに向かって歩いていく高槻。  あの大型わんこは、今頃なにをしているだろうか。  楽しみにしながらもコーナーへ戻ると、特集コーナーを弄っている梶浦の姿があった。 「あ、おかえりなさい」 「戻りました。店長と真壁さんにも、きちんと異動の誤解を話してきました」 「よかった……これで、ひと安心ですね。そうそう、見てください!」  先程から弄っていた特集コーナーを、満足気な表情でいる梶浦に高槻は視線を向けた。 「……梶浦さん」  深いため息が出る。  正式な恋人同士になってからは、公私混同しないように注意しようと言っておいたのに、特集コーナーのとある一段だけが変化している。 「とりあえず、説明してもらってもいいですか?」 「特集コーナーで小説を取り扱うようになって、意外と高槻さんに似ている受けの子が多いなと思っていたら、いつの間にか集めてました」 「……今月の、もう決まってますよね」 「高槻さんいなくて寂しいときに、これを見ればいいと思って」  晴れやかな表情で言いきる梶浦に、高槻は頭を抱えた。  明るく、気さくで、爽やかな好青年。  しかし、実際には最近追加された「残念」な、わんこ属性。  そんなところだ。 「だ、だいたい、今はまだ本人が目の前にいるじゃないですか」  高槻も高槻で、なにを言っているんだろう、と自分で呆れてしまうことが多々ある。 「……あのー、二人でコントしないでください」 「さ、桜田さん!」  コントなんてしてないです、と訂正を入れる。  桜田との関係も元通りになり、今では梶浦が高槻に誘惑しないよう見張っているそうだ。  ありがたいといえば、ありがたいのだが、仕事だけはきちんとしてほしいと願う高槻だった。  ある日、高槻と梶浦は彼女を呼び出した。  半分は巻き込んでしまったことへの謝罪と、二人の関係についての報告である。 「本当、一時はどうなるかとヒヤヒヤしてたわよ」 「う……すみません」 「もう終わったことだから言うけど、高槻くんが梶浦さん絡みの相談を受ける前にね、先に梶浦さんからも相談受けてたの」 「え?」 「とんでもないことをしてしまいました、って」  言っていることからして、彼女のはあのことについて知っていたことに高槻は青褪めた。慌てて彼女が「大丈夫だから!」とフォローを入れる。 「でね、一発お見舞いしてやったわよ。顔だと腫れてバレるだろうから、お腹に一発ね」 「ええっ!?」 「田中さんには、正直に全て話しました。取り返しのつかないことをしてしまった。どうすればいいのかわからない、と。話をした上で怒られました。高槻さんに対する想いはそんなものだったのか、とまで言われました。……情けないですよね」 「きちんと丸く収まったからよかったものの、修復不可能なくらい駄目だったら、本当にコテンパンにやってたわよ」 「お、落ち着いてください」  梶浦は思い出す。  全てを話したあとの彼女は、とてつもなく般若より怖かったな――と。 「だって、可愛い後輩を傷物にしたんだよ!?」 「そ、それは誤解です! まだ傷物にしてません!」 「まだ!? まだなの!?」 「二人とも! なに言ってるんですか!」  全員、BLの読みすぎだ。  第三者がいれば誰もがそう言うだろう。  むしろ、暴走にならないよう、桜田も連れてくればよかったと少しだけ後悔している。 「……最後までいってないのか、チッ」 「田中さん! 舌打ち!」 「なになに、もしかしてだけど正社員になったら~とか、そんな甘いこと考えてたり?」 「~~~~っ」 「え、え? マジで? 高槻くん、……そうなの? そうなの!?」  みるみる顔を真っ赤にする高槻に、彼女は鼻息を荒くして大興奮。 「もう! 田中さん! 高槻さんを揶揄うの止めてください! 可愛いですけど!」 「……梶浦さん、本音漏れてます」  すでに会話の内容がカオスになっている。  やはり、紹介がてら桜田も連れてくればよかった。 「ちなみに、梶浦さんはそれで我慢できるのかしら?」 「なに下世話なこと訊いてるんですか!」  顔を真っ赤にしながら「答えなくていいですからね!」と梶浦に言うが、梶浦も梶浦で楽しくなって答えてしまう。 「別にセックスはしなくてもいいんです。気持ちが繋がっていれば」 「ひゅー! 爆ぜろ!」 「もう! 田中さん!」  楽しい会話を繰り広げながらも、高槻は幸せに浸っていた。 「……田中さん、ありがとうございます」 「んー、いいのよ。私のご馳走になってくれたみたいだから」 「言い方!」  台無しじゃないですか、と笑いながら言えば、彼女は「啼かせてもいいけど、泣かせたら今度は顔をぶつから」と冷ややかな笑みを浮かべながら、梶浦に忠告した。 「もう大丈夫ですよ。高槻さんは、はじめて俺が好きになった人ですから。思いっきり甘やかせて、愛してあげます」 「だってよ、高槻くーん」 「……っ、は、はい」  梶浦は幸せな笑みを浮かべて、高槻を愛おしそうに見つめた。  ◇  残暑の残る中、あっという間に九月を迎えた。  高槻は正社員になるべく、地方にある本社へと旅立とうとしていた。筆記試験と面談が二回に分けて行われる今回、高槻はとても緊張していた。  最終便で本社のある地方に向かうため、高槻は一週間分の荷物をまとめて、キャリーケースを休憩室に置いていた。  旅立つときは絶対に見送りたい、と強く言っていた梶浦と共に退社してから、現在空港にいる。 「一週間なんて、あっという間ですよ」  そう、梶浦にとっては。  高槻も、寂しいと言っていた真壁に、あっという間ですよ、と言っていたが、本当のところ地獄のような一週間である。  実質、一週間全てが試験、面談というわけでもないのだから、少しくらいはゆっくりする時間も取れる。  落ち着いて臨みたいが、気持ちはそれどころではない。 「頑張ってきてくださいね。メッセージ送ります。無理に返事しなくてもいいので」 「ありがとうございます。今の自分を、精一杯に見せてきます」 「高槻さん、少し変わりましたね。こんなこと言われたくないかもしれませんが、大きく変わったわけではないけど、少し自信がついたというか……」  高槻をずっと見続けていた梶浦。  そんな風に見られているとは思わなかった。 「初日のときは、自信なさげに研修してくれたじゃないですか。そんな姿も可愛いなって思いましたけど」 「かわっ……まあ、そんなこともありましたね。あ、そういえば……」 「どうかしましたか?」 「曖昧にしか覚えてないんですけど、確か、人懐っこいから誰とでも打ち解けるっていう話をしてたと思うんです」  よく覚えてますね、と高槻は驚く。 「初対面の僕にも、結構ぐいぐい来たじゃないですか。それで、話が途中になってたような……」 「高槻さん、記憶力すごい……そうですね。高槻さんのこと、BL好きな人とわかっていたので、そんな高槻さんのことを知ってみたいと思ったのと、はじめて対面したとき小動物みたいで可愛い印象なのもあり、最初から飛ばしてしまった……みたいな」  言おうとしていたことを覚えているあたり、梶浦もそれなりに記憶力がすごい。 「そ、そうですか……照れますね」 「はああ……ここで思いきり抱きしめたいですけど、我慢します。そろそろ時間ですもんね」  時間を確認しては、そうですね、と残念そうに答える。  本当は、別れの抱擁を交わすのもありだとは思うが、恥ずかしくて素直に言えない高槻は言葉を飲みこんだ。 「そうだ。梶浦さんに、渡しておきたいものがあるんです」 「渡しておきたいもの?」  身に覚えがない、というような表情を見せる梶浦。  高槻は、飛行機に持ち込みする鞄の中から、一冊の本を取り出した。カバーがしてあるためどんな表紙なのかはわからないが、高槻のことだ。BL書籍に違いないだろうなと、含み笑いをした。 「……僕からのおすすめ小説、ずっと忘れていましたよね。今更で申し訳ないんですけど、これでも読んで待っていてください。読み終わったあとは、返さなくていいので」  そう言って、梶浦の手に渡した。  地味に生きてきた主人公が、ひとりの青年と出会い、人生を謳歌していく話――なのだが、梶浦にはどんな内容なのかは教えてあげない。  これを読んでどう思ってくれるのか。 「感想、教えてくださいね」 「高槻さん……ありがとうございます。これ読んで、高槻さんが帰ってくるの待ってます」  感想を聞くのが今から楽しみで仕方がない。  高槻は「いってきます」と笑みを向けると、出発ロビーを歩きだした。  ここから新しい物語が、再び動き出す。  終わり

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