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鮫島モンスター②
◆ ◆ ◆
三時間程眠り、知らぬ間に昼が過ぎていた。長く眠れなかった理由は昼間だからということと、部屋の中央で物音がしていたからだ。
俺が目を覚ました時、部屋の中には俺と男以外にもう一人、人間が存在していた。ハッとして、視線をキッチンの方に向ける。すると、"彼女"と目が合った。
悪いことだとは思うが、寝起きの頭で理解するために彼女のことをジロジロと見てしまう。
綺麗な人だ。失礼なことを言ってしまうと、綺麗な熟女だと思う。染めているのか、派手じゃない長い赤茶の髪を後ろの低い位置で一つに纏め、気品溢れる服装に花柄のエプロン。
彼女は一体、誰なのだろうか。
「あら、起きた?鮫島くん、何も言ってなかったけど、君はお友達?」
ニコッと笑った顔に今、俺は凄く癒されている。
離したく無かったが、視線を彼女の方から離し、未だに俺の上で器用に眠り続けている毛布に向けた。
この男、鮫島というのか。苗字だけでも知ることが出来て、これから名前を呼ぶことが可能になった。
「いや……、あの……、初めまして。西海史スエキです」
視線を戻し、何を言えば良いのか分からず、馬鹿な俺は取り敢えず、名前だけを言った。
「私、灰原多栄子(はいばらたえこ)って言います。灰原さんでも、多栄子さんでも、好きなように呼んでね。こっちはスエキくんって呼んで良いかな?」
「あ、はい!」
腹が空いているにも関わらず、意外と元気な返事が出た。
「仲良いのね。嫉妬しちゃうなぁ。でも、鮫島くんにこんなに仲の良いお友達がいるなんて知らなかった」
手をモジモジとさせながら灰原さんが言う。言われてよく考えてみたが、鮫島と呼ばれたこの男と俺は仲良しとは程遠い関係だ。
「……違う」
俺が灰原さんに対して、「違います」と答えようとした瞬間、鮫島という男が始動した。
「近くで喧しいなと思ったが、お前は俺の下で何をしているんだ?」
まるで俺が悪いような言い方をする。
「は?あんたが俺の上に倒れて来たんだろうが?」
「記憶に無い。───おい、多栄子。俺はな、コイツのこと嫌いなんだよ」
記憶に無い、だと?嫌いってなんだ?俺もあんたのことは大嫌いだ。ただ、まだ生きていたいからな。此処に居る。
「それ本人を前にして言うことかよ?俺のこと、なんだと思ってんだ?」
いつの間にか払いのけられていた左手で、身体を起こした鮫島の胸倉を掴んだ。イラっとしたからな、仕方ないだろう。出て行けと言われようが、知ったこっちゃない。
「お前のこと?そりゃ……、犬だろ?そう思ってなきゃ、構ってられない」
冷たい瞳が言い放った。おまけに大きなあくびまで……、けしからん。
「なっ!」
西海史スエキ、人として見られていない事件が勃発。勢い良く、ワシャワシャと頭を掻き回され、俺は奴の胸倉を離してしまった。
コイツ、本当に大嫌いだ。
「ちょっと、ちょっとー。私のこと忘れないでよ?ヤキモチ妬いちゃうわよ?」
ムッとした顔で言っているのかと思えば、灰原さんはやけに嬉しそうな顔をしていた。
「そりゃ、困る」
スッと俺の上から鮫島が居なくなった。移動先は料理をしている灰原さんの隣だ。身長の差が見て取れる。
「どう?」
「うん、美味い」
味見をした鮫島が頷いているのが見えた。二人を見ていて思ったことがある。鮫島と灰原さんは年の差カップルなのでは?と。
鮫島は灰原さんのことを呼び捨てにしているし、灰原さんはこの家に住んでいるようだ。俺は邪魔者なのだろうか。
何故だか、胸の辺りがモヤっとした。
「なぁ、多栄子。アイツが家事を出来るようにしてくれないか?」
アイツとは俺のことだろうか。
「私が教えるってこと?」
「そうだ。このままだと使いものにならない。多栄子、料理教室やってたよな?」
それは俺が人として使いものにならないということか?失礼だな、おい!此方なんざ見てないことは分かっていたが、俺は鮫島を睨みつけた。
「良いけど、週三くらいかな。スエキくん、来る?」
皿に盛られたお好み焼きを手に、ガラスのテーブルへとやってきた灰原さん。良い匂いがしていたのは、コレだったのか。
「……っ」
目の前に置かれたお好み焼きをジッと見つめる。俺みたいな奴でも、こういう美味そうなものを作れるようになるのだろうか……。
俺の中で気持ちが闘っている。悩んでいた所為か、俺より先に鮫島が口を開いた。
「多栄子、やっぱり今の話は無かったことにしてくれ。コイツに出来るわけが無い」
何もかもが出来ないみたいな言い方をされた。会ったばかりのコイツに俺の何が分かるのか。奴の発言を俺のプライドが許せる筈も無く、俺は何も考えずに「行きます」と答えてしまった。
「じゃあ、明日もあるから、地図描いてあげる」
自分の鞄からピンクのメモ帳とシンプルな黒ペンを取り出し、地図を描き始める灰原さん。
一方鮫島は、決まれば後のことはどうでも良いのか、黙々とお好み焼きを食している。
「此処から近いから、多分迷わないで来れると思うけど……」
「ありがとうござ……」
礼を言いながら手渡されたメモを見て、俺は驚愕した。灰原さんの描いた地図は建物が立体だったのだ。
あの短時間で、こんなに精密な絵が描けるものなのか?料理も出来て、絵も上手い……。俺はピンクのメモ紙に見入ってしまった。
「スエキくん、どうかした?」
顔の前で手を振られ、やっと我に返る。
「いやいや、何も」と俺が笑顔で答えていると、お好み焼きを平らげた鮫島が、また鼻で笑ってきた。
「お前、多栄子のこと好きだろう?」
此方を見ず、ボソリと奴が言う。
「はぁ!?何、言ってんだ?」
まあ、確かに彼女の笑顔には心揺れたかもしれないが、人の彼女に惚れるなんてことは、断じて無い!有り得ない!
「どうだかな。──多栄子、ご馳走さん」
鮫島の場合、ニヤリと笑ったりしないため、それが冗談で言っているのか、本気で言っているのか分からない。
皿を持って立ち上がった鮫島がキッチンの方へ歩いて行く。そして、直ぐに皿を洗う音が聞こえ始めた。奴が自ら皿を洗っているのだ。
「鮫島くん、良いよ。私、洗うから」
俺の近くから灰原さんが言うが、答えは無い。食器洗い用洗剤の匂いがしている。オレンジの匂いだ。
「スエキくんも食べて、冷めちゃうから」
まだかつお節が踊っているお好み焼きを俺の前に移動させ、灰原さんが言う。
「いただきます」
皿を洗い終えた鮫島の後の行動も気になるが、今飯を食べ損ねたら、次はいつになるか分からない。俺はゆっくりと、お好み焼きを食べ始めた。
「美味い!灰原さん、美味いです!これ!」
感動の剰り、緑色の箸を皿に置き、俺は灰原さんの両手を掴んだ。しかし、また鮫島に心に刺さる一言を言われることになる。
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