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鮫島モンスター③
「多栄子、そいつのことセクハラで訴えて良いぞ?多分、誰にでもそういうことをしてる」
俺のことを指差しながら、鮫島が未知の部屋の扉を開いた。
「失礼だな!してねぇよ!」
「いや、本当にしてないので」なんて言いながら急いで灰原さんの手から自分の手を離したが、ハッとする。
過度に否定するのは逆効果だったのでは?と気付いたのだ。
「ほぉ、どうだかな?」
何か反論出来る言葉は無いかと頭の中を掻き回したが、全く見つからず。結局、俺が何も言い返せないまま、鮫島は未知の部屋に消えて行った。
「ふふっ」
何故、笑っているのか。灰原さんが隣に腰を下ろしてきたが、異様に俺との距離が近い。美人な熟女に心奪われ、今、心臓発作で死んでも良いと思った。
心臓……。
心臓といえば、彼女の笑っている理由を聞けたなら、俺の心のモヤモヤも少しは消えるだろうか。浅はかな考えだ。
結局、お好み焼きを食べている間は特に話すことも無く、隣の灰原さんはずっとニコニコしていた。
「……ご馳走様でした」
丁寧に両手を合わせた後、俺も皿を洗わなければならないと思い、立ち上がる。
「良いよ、良いよ。私、洗うから」
横からスッと伸びてきた手に皿を奪われてしまった。そして、そのままキッチンの方に移動して行く。
「いや、俺やりますよ?……まだ、人間で居たいですし」
慌てて後を追う。自分は根に持つタイプでは無いと思っていたが、それは違ったらしい。盛大に根に持っている。
「やだー、スエキくんったら、気にすること無いのよ?」
「いやいや、気にしますよ」
一応、俺も人なのだ。気にするなという方が難しい。苦笑いを浮かべながら、手際良く皿を洗う両手を目で追った。
「──私ね、今日、ビックリすることが三つあったの」
その声にチラッと視線を上げると嬉しそうに笑う灰原さんと目が合った。日常生活で何かあったのか?
「三つもですか?」
どう反応して良いのか、分からない。
「そうなの。一つはね、鮫島くんに仲良しなお友達が居たこと。二つ目は鮫島くんが自分でお皿を洗ったこと。三つ目は鮫島くんがあんなに喋ったこと」
なんだ、全て鮫島の話か。やはり、灰原さんはアイツが好きなんだな。思わず、灰原さんから視線を逸らしてしまう。
「俺、あの人の友達とかじゃ無いですよ?」
「あら、そうなの?でも、仲良しじゃない?鮫島くんが、あんなに人に隙を見せてるところなんて滅多に見れないから、ビックリしちゃったもの。あ、これ、四つ目発見!」
また、隣で灰原さんは笑っているのだろう。しかし、あれは、ただ奴が寝ぼけていただけだ。だから、鮫島自身も記憶に無いと言っていた。
ん?ちょっと待てよ?気になる点がある。
「あれ?鮫島さんって、普段、自分で皿洗わないんですか?」
一応、奴も年上だろうから、さん付けしてやる。
「うん、いつも食べたままで部屋に戻って行っちゃうから、私が洗ってるの」
カタンと水切りカゴに皿が置かれた。アイツ、人には「家事出来るようにしろ」とか言っておいて、自分は普段しねぇのかよ?
何故だろうか、既に洗われた皿を見て、自分は頑張ろうと思った。
「それにしても、今日の鮫島くん。楽しそうだったなぁ。もっと笑えば良いのにね?」
アイツの何処が楽しそうだったのだろうか。チラッ、チラッと見た灰原さんの小首を傾げる姿にキュンとした。
「ど、どうなんでしょうね?」
俺に聞かれても困る。アイツは一昨日から、一切変わっていないのだから。
「鮫島くんが楽しそうだと、私も嬉しいな」
灰原さんの言葉には、とても優しい愛情が含まれている気がした。
「灰原さん、鮫島さんのこと好きなんですね」
俺はいつも素直に思ったことを口にしてしまい、言わなければ良かったと後悔することがある。今が、その時だ。人の恋愛に口出しなんて、してはいけない。見ていれば分かるじゃねぇか、俺の阿呆。
「うん、好きだよ?多分、好きじゃなくて、大好き」
ニヘッと笑う灰原さん。俺に対しての言葉では無いが、聞いている此方が恥ずかしくなった。
心が苦しいと言っている。
自分から尋ねたにも関わらず、何も言えなくなってしまった。
「スエキくん。私と鮫島くんの複雑な関係、教えてあげようか?」
悪戯に笑う灰原さんを見て、俺はまた彼女に惹かれていた。年の差カップル以外に何かあるのだろうか。果たして、他に何かあるとして、俺の予想を遥かに超えるような答えがあるのか?
「って、思ったけど。私、そろそろ帰るね?うちの旦那さん、帰って来ちゃうから」
「え?ああ、はい」
エプロンをスルッと外し、カバンに突っ込む灰原さん。そんな彼女に対して、気付けば、俺は曖昧な返事を返していた。
帰る?旦那さん?灰原さんは、此処に住んでいるんじゃないのか?もしかして……、鮫島は浮気相手なのか?
疑問だけが俺の頭の中をグルグルと回っている。この時点で既に俺の予想を遥かに超えた答えを知ってしまった。
「スエキくん、明日、待ってるから。じゃあね」
あの鍵の付いた黒い扉から灰原さんが慌てたように出て行った。そして、直ぐに鍵の閉まる音が静かな部屋に響く。やはり、あの扉の向こう側は外だった。
「はぁ……」
自然と溜息が出る。暫く、彼女が出て行った扉をぼーっと見つめ、俺は悩んでいた。明日、本当に俺は料理教室とやらに行って良いのだろうか。俺はどんな顔をして、灰原さんに会えば良いのだろうか。
いや、灰原さんに非は無い。全ては鮫島という男が悪いのだ。「浮気なんて、あんたは何をしているんだ!」とあの未知な部屋に怒鳴り込みたい気分だが、やはり、人の恋愛に口出しをするべきでは無い。その意見に落ち着いた。
何もしない時ほど時間は長く感じると言ったのは誰だ?それは、全くの嘘だ。刻、一刻と時間が過ぎて行く。
この部屋に居ると窓が無い所為で時間の感覚が無くなるが、時計の針は夜の九時を指している。
それにしても、一体、奴の趣味はどうなったのか。昨日も部屋から出て来ず、今日も部屋から出て来ず。中で死んでいなければ良いが。
そう思いながらも、俺は一日を終えるため、風呂に入り、寝室に向かうのだった……。
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