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鮫島モンスター④
◆ ◆ ◆
ピンポーン──。
家のインターホンが鳴っている。いや、俺が鳴らしているのだ。
今朝、やはり鮫島は未知の部屋から出て来なかった。奴が使わないからと俺が勝手に奴のベッドで寝ているからだろうか。
そんなこと関係ないか。
洗濯されていた服を着て、勝手に家を出てきた。何時に行けば良いのか分からず、午前九時に家を出て、建てたばかりのような綺麗な一軒家のインターホンを今、鳴らしている。
鮫島の家から歩いて十分くらいの所だ。こういうのを目と鼻の先と言うんだろう。
「はい」
カメラの付いたインターホンから、灰原さんの声がした。
「さい……、スエキです」
自分の名前が長いことがたまに嫌になる。
「あ、スエキくん?いらっしゃい。今、開けまーす」
インターホン越しの灰原さんは、今日も朝から元気だ。
「ごめんね。昨日、時間教えてあげるの忘れちゃった」
扉を開けて顔を出した灰原さんは、昨日とは違う髪型をしていた。降ろした髪の先が綺麗に巻かれている。さらにセレブ感が増した。セレブ感、というより実際セレブなんだと思う。
「三時からだから、まだまだなんだけど。どうする?一回帰る?それとも、うちで待つ?」
果たして、俺に「一度帰る」という選択肢はあるのだろうか。
ふと、思ったのだ。料理教室に行けというのは、俺を家から追い出すための口述なのでは?と。きっと、もう鮫島の家には帰れない。
なぁ、神様は俺を見放したんだろう?
「時間まで、そこら辺ぷらぷらしてきます」
灰原さんのお宅にお邪魔するわけにもいかない。たが、五時間以上ある時間をどうやって消費すれば良いのか。言ってしまってから、俺は頭を抱えた。
「うちで時間潰すのね?分かった」
「え?」
俺に他の選択肢は無かったみたいだ。灰原さんがあまりにも優しい言い方をするもんだから、俺は何も訂正出来なかった。
「あ、でもうちには小さな怪獣が二匹居るんだけど、良いかな?」
「小さな……、怪獣?」
「そう、小さな怪獣」
右手の人差し指を二階の方へと向け、灰原さんが上に視線を向けた。確かに、バタバタという音が二階から聞こえる。一体、何を飼っているのか。
「どうぞ、上がって」
家の扉が全開になり、綺麗な玄関が露わになった。とても珍しいコンクリートの壁だ。奥に見える柱は赤く、工事で使われている鉄の柱のように見える。お洒落な家だ。
「不思議な家でしょう?私の旦那さん、建築士なの」
俺がポカンとした顔をしていたからだろう。灰原さんが照れたように笑った。
「素敵な家だと思います」
つられて此方も思わず笑みを浮かべてしまう。
「ありがとう。さあ、入って。外、寒かったでしょう?」
「お、お邪魔します」
グイグイと腕を引っ張られている。別に逃げる気は無いんだがな。
「スエキくん、プリン食べる?」
そう聞かれたんだと思う。だが、残念ながら、俺の意識は別の所に行っていた。二階への階段を通り過ぎようとした時だ。徐に見上げた階段の先から、そっくりな顔が二つ、並んで此方を見ていた。
幼い双子だ。俺の予想からすると、恐らく三つか四つだと思う。
「あの、灰原さん?」
あまりのそっくりさに俺は混乱していた。階段を見上げたまま動けなくなる。
「出た?怪獣」
ニヤニヤと笑いながら、灰原さんが俺の横からチョイチョイと手招きをする。二つの顔がお互いに顔を見合わせ、ゆっくりと階段を降りてきた。二人共、両側にある手摺を互いに一つずつ譲り合い、手を繋いでいる。
なんだか微笑ましいな。俺の前に立った二人の第一声は何だったと思う?
「ようじー!」
「えいじー!」
二人して右手をピンッと挙げ、叫んだ。
「待て待て、お二人さん。勝手に個人情報流さないの。お名前は?って聞かれたら言うんでしょう?」
どうやら、第一声は名前だったらしい。灰原さんを含めると、まるで三人でコントをしているようだ。
「えいじー!」
「ようじー!」
真顔を決め込んだ二人が尚も叫んでいる。
「駄目ね、これ」
首を横に振り、呆れる灰原さん。この感じだと、もう一度くらいありそうだと思い、俺は身構えた。
「ようじー!」
来た!
「えいじー!」
来たぞ!
「すえきー!」
今だと思ったのだ。ノリで二人と同じように手を挙げ、叫んでみせたが、完全にスベってしまった気がする。まるで時が止まってしまったかのようだ。双子も灰原さんもポカンとして……。
「……ぷふっ」
何かを言わねばと思っていた時、灰原さんが吹き出した。そのまま笑ってしまえば良いのだが、何故だか、彼女は必死に堪えている。
「すえきー!!」
双子は両手を広げ、俺に勢い良く抱きついてきた。俺から同じような波長を感じ取ったのだろうか。
「ふふっ、スエキお兄さんでしょ?」
女神のような微笑みが二人に向けられている。
「すえきー!プリンー!」
抱きついたまま顔を上げ、俺を見つめてくる四つの大きな瞳。
「もう!それじゃあ、スエキくんがプリンみたいじゃないの。ほら、二人共。スエキお兄さん、一緒にプリン食べよう?ってちゃんと言って」
顔を両手で覆い、恥ずかしがる灰原さん。
「すえきー!プリンー!」
やはり、駄目だった。双子に両端から両手を掴まれ、何処かに連行されていく俺。
気付けば、俺は広いリビングの背の高い椅子に座っていた。まるでバーのようなテーブルに三人並んで座っている。恐らく、左が「ようじ」で右が「えいじ」だ。
そっくりな双子に挟まれた俺の目の前にスプーンが置かれた。そして、横からようじにプリンが手渡される。
手作りでは無く、既製品の三連になっているやつだ。パキッと繋ぎを割る音が聞こえた。残り二つになったプリンが俺に回ってきたんだが、このまま割れば良いのだろうか。
えいじの顔を見つめてみたが、何の反応も返ってこなかったため、俺は恐る恐るプリンのカップを二つに割いた。小さな手が右から伸びてくる。どうやら、俺の行動は正解だったようだ。
「いただきます」
俺がプリンを食べ始めた時、両隣は一足先に食べ始めており、ご機嫌に足をプラプラと揺らしていた。
俺は、一体、何をしているんだろうか。自分の生きている意味が分からなくなってきた。だが、意外と自分は子供に好かれ、意外と自分は子供が好きなんだと分かった。
そっくりな双子も何故か、なんとなく見分けることが出来る。
それに気付いたのは、プリンを食べ終わり、オモチャで遊び始めた時だった。
「うわぁぁぁん」
俺が久しぶりに見たブロックに夢中になっている最中、後ろで双子の片割れが泣き始めた。つまり、双子の喧嘩が始まったのだ。
「ようじ、どうした?泣いてたら、分からないだろう?」
泣いていたのは「ようじ」だった。性格的にいうと、「えいじ」より「ようじ」の方が大人しい気がする。いや、気の所為か。
「えいじ、それ、ようじが先に遊んでたやつじゃないのか?ちゃんと貸してって言ったのか?」
「えいじ」が手に持っていたのは消防車のオモチャだった。俺がブロックに夢中になる前、それは「ようじ」が遊んでいたと俺の頭が認識している。
黙り込み、ムスッとした顔で「えいじ」が首を振った。
「ちゃんと、ごめんって言わないと駄目だぞ?自分も取られたら嫌だろう?」
ジッと「えいじ」の目を見つめ、言い聞かせる。このくらいの歳になれば、ちゃんと言い聞かせれば分かる筈だ。
「ようじくん、ごめんね」
実の兄弟を、くん付けで読んでいるのか。ムスッとした顔は変わらないが、ちゃんと謝ることが出来た。子供って、やっぱり素直なんだな、と思う。しかし、何故だか、俺の脳裏には鮫島の顔が浮かんだ。
素直な子供と全く正反対の人間の顔が頭に浮かぶなんざ、俺の頭はイカれている。奴の顔があまりハッキリ思い出せないのは、あのむさ苦しい髭と髪型の所為だ。
俺も多少は秘密を持っているが、鮫島は全てが謎だ。奴は一体、何者で、何をしていて、どんな素顔を持っているのか。
「すえきー、おんぶしてー」
「すえきー、だっこしてー」
考え込み、ぼーっとしていた俺に対して、すっかり仲直りをした小さな怪獣が、また勢いよく飛び付いてきた。
「よし!やってやろう!」
そうは言ったが、二人の言葉は完全に無視し、俺は二人を両脇に抱え、立ち上がった。
「エキゾチック・トルネード!」
技名を叫びながら、子供部屋の中央で、グルグルと回り出す。部屋に響き渡る悲鳴混じりの笑い声。双子は存分に楽しんでくれているようだった。
「すえきー!もう一回!」
目が回り床に倒れこんだ俺と上から満面の笑みで俺の顔を覗き込んでくる双子。
「ジュウデンチュウデス、ショウショウオマチクダサイ」
ぶっ壊れたロボットの真似をしているが、実際のところ俺の体力が少しばかし危うかっただけだ。もうすぐ三十路をナメてはならない。そう自分に言い聞かせた。
「ジュウデンカンリョウシマシタ。うりゃああー!」
三歳の子供というのは、キロにして、どのくらいの重さなのだろうか。結構な負担が腕に掛かっている。フルフルと震える俺の腕。運動不足なのだろうか、俺が。
「キャハハハっ」
軽く、二人を丸い大きなクッションの方に放り投げた。灰原さんが居たら注意されるんだろうな。だが、今は居ない。恐らく、下の階でもうすぐ始まる料理教室の準備をしているのだろう。
「ずどーん」だか、「どどーん」だか、よく覚えていない言葉を口走りながら、俺は二人の間に仰向けに倒れ込んだ。少しだけ目が回っている。いや、かなり回っているかもしれない。学生時代、運動会でグルグルバットという競技をやった時以来の目の回り方だ。
ゆっくりと目を閉じる。腕を広げると、両脇に二人が引っ付いてきたのが分かった。子供の体温って高いんだな、と思う。
「すえきー!好きー!」
「ようじも、すえき好きー!」
どうやら、双子に好かれたらしい。
「俺も、ようじとえいじ好きー!」
真似をしてやると、また二人はキャッキャっと笑い出した。
俺は何をしているのだろうか、と頭の中に何度同じ言葉が流れてきたことか。ただ今だけが良ければ良いというわけでは無い。
両隣の双子が寝息を立て始めた頃、俺もウトウトし始めていた。ハッキリしない頭の中、双子の顔と鮫島の顔が同時に浮かんでくる。
双子の親父さんは見たことがないから分からないが、双子と鮫島は心なしか似ている気がしたのだ。髪の茶色感とか、色素の薄い茶色の目とか。まさか、鮫島の……。
いや、小さな時は皆こんな感じか。良くないことを考えるもんじゃないな。反省しつつ、俺は天使のような双子に挟まれ、するつもりも無かった昼寝の世界へと堕ちて行ったのだった……。
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