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活字レプリカント④

 この流れから言うと凄く強面な野郎が出てきたと思うだろうが、それは全くの間違いだ。かと言って、凄まじく貧弱な男が出てきたわけでも無い。 「どうもぉ、灰原さん。久しぶりだけどー、元気にしてた?」  なんと表現すれば良いのか、率直に言うと凄く"やらしい"女性だと思う。  黒い長い髪を何処かの議員の秘書みたいに結い、赤い眼鏡と赤い口紅、スーツのスカートは際どい短さで胸元の大きく開いたワイシャツと共に目のやり場に困る程だ。そして極め付けは、網タイツと赤いハイヒール。  本能的に、この女は敵だと思った。 「挨拶は良い。早く車を出せ」  そう言った鮫島が、何故か俺を助手席に押し込んだ。 「ぬぉ!」  隣の運転席には既に彼女が座っていた。  やめろよ。こんな危ない香りのする女の隣には座りたくない。どうして、鮫島さん、あんたが後ろに座ってるんだ?そんなに端に座っているなら、俺にその後部座席の余っている部分をくれよ。 「ほんっと、人使い荒いわよねぇ。あたし、ずっと待ってたんですけどー」  もう外は暗いというのに、ボヤきながら隣で赤縁眼鏡を外し、サングラスを掛け始める彼女。何処ぞのスパイに見えるのは気の所為か? 「それがお前の仕事だろう?」  何を言っているんだ、と後ろで呆れたように鮫島が溜息を吐いた。スーツを着ている所為か、今日は格段と偉そうに見える。 「もうっ!まじムカつくんだけど!」 「痛っ!なんで俺を叩くんだよ!」  彼女に膝を思いっ切り叩かれた。八つ当たりじゃねぇのか? 「やだ!コイツ生意気!」  人のことを指差すんじゃねぇよ。  突然、車が動き出した。何故か、嫌な予感がする。 「コイツって言うんじゃねぇよ。俺にはな、西海史スエキっていう名前がちゃんと……」  敬語を使おうとは思わなかった。俺には最初から彼女とは仲良く出来ないということが、分かっていたからだ。  ダッシュボードの上に無造作に置かれた赤縁眼鏡が滑り、俺と彼女の前を行ったり来たりしている。つまり、彼女の運転が荒いのだ。 「スエキチさんだか、なんだか分からないけど、シートベルトしないと、知らないわよ?」  スエキチさんって、なんだ?まるで時代劇に出てくるお侍さんみたいじゃねぇか。何故、あんたも後ろの鮫島も俺をスエキチと呼ぶ?  バックミラー越しに鮫島の顔を見てみたが、なんてこった。どんなナイスなタイミングだ。ミラー越しに奴と目が合ってしまった。  何、見てんだよ。  恨めしそうな目で見返してやる。それでも変わらない鮫島からの視線に俺が堪えられなくなり、急いで視線を逸らし、慣れない手つきでシートベルトを締めた。視線を前に集中させる。  それにしても、彼女の運転は非常に怖い。細い路地でも何でも、急発進、急停車を繰り返す。鮫島が俺を助手席に押し込んだ理由が分かった気がする。奴は俺に恐怖を味わわせたかったのだ。 「はい、到着!さっさと降りて、何処かに行っちゃいなさい」  俺が慣れない手つきでシートベルトを外している横で、しっしっと彼女が追い払うジェスチャーをしてくる。後ろでパタンと扉が閉まる音がした。既に後部座席に鮫島の姿は無い。  この女と車内に二人切りなんざ、最悪だ。早く出なければ、と思った瞬間だった。スッと運転席の方から手が伸びてきたかと思うと、赤い爪が俺のネクタイに食い込んだ。  いや、正確には鮫島のネクタイなのだが、彼女はそれを掴み、自分の方へと俺を引き寄せた。 「ねぇ、あんた……」  吐息が掛かりそうな程、彼女の顔が近くにある。 「なんだよ?」  俺が問いかけると、瞬時に目の前の眉間に皺が寄った。 「史(ふびと)に近寄んないでくれる?あんたが必要以上に近付いたら、あたし、史のこと殺すから」 「はあ?」  近寄ってねぇよ。寧ろ、アイツが近寄って来てんだろうが。 「殺すって何だ?勝手にすれば良いだろ」  俺が思うに彼女は史、つまり鮫島のことが好きで、俺が馴れ馴れしく奴に近寄るのが嫌だから、殺して自分だけのものにしてやるということだろう。  別に俺には関係の無いことだ。 「離せよ」  少々乱暴に彼女の手をネクタイから取っ払う。サングラスで表情がよく分からないが、恐らく、彼女はムッとした顔をしている。  何か言うのか?  そう思い、車から降りる瞬間まで気を張っていたが、何も言われなかった。彼女が車から降りてくる気配は無い。  車外に出ると、先に行ってしまったと思っていた鮫島が直ぐ近くに立っていた。言葉は無くとも、何をしていたんだ、と言われているような気がする。何でもねぇよ、という雰囲気で返そうとしたところ、奴が意外な行動に出た。 「……一体、あいつに何をされたんだ?ネクタイ、曲がってるぞ?」  スッと静かに伸びてきた両手が俺のネクタイを整え始める。 「やめろ、触るな」  奴から離れようと後ろに数歩、後ずさった。嫌なわけでは無い。 「いや、違う。……触らないでくれ」  ただ、車の中で彼女が見ていたら、と思うと……。別に俺には関係の無いことなのだが、もし、彼女が本気だったとしたら、俺は一生自分を許せなくなりそうだ。  頼むから、近寄らないでくれ。  今の俺は凄く嫌な奴だと思う。鮫島も同じことを思った筈だ。だから、そうやって俺から離れて歩いて行くんだろう?  鮫島が俺に背を向け、歩いて行く。そこで初めて、俺は自分が何処かの地下駐車場に居ることに気付いた。大きな駐車場だ。上に建っている建物も恐らく、此処に比例している。今更、遅いんだろうな。  後ろでタイヤと床が擦れる音がした。彼女が凄いスピードで駐車場から走り去ったのだ。今更、彼女の監視から解放されても、遅い。  謝った方が良いのだろうか。いや、そんなことをする必要は無いだろう。何故、俺がよく分からん女の所為で謝罪しなければならないのか。  グルグルと同じ悩みが頭の中を回り続け、上に向かうエレベーターの中でも、俺と鮫島は一言も会話を交わさなかった。  エレベーターが二十一階に到着し、鮫島の後に続いて降りる。デカくて煌びやかな宴会場のように見えるが、果たして、此処は何なのか。 「招待状をお預かりします」 「ああ、宜しく頼む」  受付と書かれた台を挟み、案内係らしき人間と鮫島が何かやり取りをしている。 「この札を左胸に着けておけ」  暫くして、奴が戻ってきた。差し出されたのはゲストと書かれた名札で、俺は恐る恐る受け取った。 「ど、どうも」  くそ、気まずいじゃねぇか。  左胸に名札を着けた後も奴は動こうとせず、また俺に変な箇所があるのだろうか、と思う。 「あまり遠くに行くな。分かったか?」  意味が分からない。 「了解」  意味が分からないまま返事をした。此処から自由行動だということは理解したが、こんな所に一人、残されてもな。そう思った時には既に遅く、俺は独り、広い会場の真ん中に取り残されていた。  満員御礼、老若男女問わず、会場には人が溢れている。何の会なのかと思えば、前には「谷川先生、◯◯賞受賞記念祝賀会」と書いてあった。そもそも、頭の悪い俺には◯◯賞が何なのか分からないが、きっと凄い賞なのだろう。  前に並べられた机の上に受賞作と書かれたボードが置いてあり、小説の写真が印刷されていた。少しだけ、理解出来た気がする。恐らく、これは谷川先生という人が書いた小説が◯◯賞を受賞した祝いの会だ。  俺が少々、会の趣旨を理解したところで、会場が暗くなった。前の一段上がったステージのような部分だけがライトアップされている。 「谷川先生、どうぞ、此方へ。皆様、拍手でお迎え下さい」  司会進行役のタキシードを着た男性が元気よく言うが、俺にはそんな元気は無い。拍手なんざせず、ただ、ぼーっと前を向いていた。周りが皆、大きな拍手をする中、今晩の主役が入場してくる。

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