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活字レプリカント⑥

 ◆ ◆ ◆ 「……おい」  翌朝、声の主にソファの端を蹴られ、俺は目を覚ました。ずっとうつ伏せで寝ていた所為か、首が痛い。そして、自分がスーツのまま眠ってしまっていたことに気付く。  昨夜、支えられる必要が無いにも関わらず、俺は鮫島に支えられ家に帰ってきた。だが、そこからの記憶が無い。  酔っ払わないクセして、どうでも良い記憶は無くすんだな。自分の頭のことだが、都合が良すぎると思った。 「おい、起きろ」  再度、ソファの端を蹴られた。俺の頭の方から声がする。 「……っ、起きてるから、蹴るのはやめてくれ」  意識がハッキリして、久しぶりに少し頭が痛い気がした。ソファの肘掛けを掴み、まるでゾンビのように頭を上げて行く。すると、目の前に鮫島が手を差し出してきた。  なんだ、その手は?起き上がる手伝いをしようってのか?  奴の手を目前にして、ジッと考える。  まさか、昨夜の記憶があることがバレているのか?  いや、深く考え過ぎか。消したくとも消せない、雪降る昨夜の記憶。俺の頭の中に存在している鮫島という人間は、少なくとも一瞬だけは優しさを持っていた。  そうだ。多栄子さんも、鮫島のことを優しいと言っていたではないか。ならば、やはりこの手は救いの手か? 「俺、昨日、何してたんだっけかな?」  記憶が無いフリを決め込みながら、奴の手の上に自分の右手を置き、引っ張り上げられるのを待っていた。しかし、俺の手が引っ張り上げられることなど無かった。 「ほう、少しは利口になったのか」  振り払われることも無く、俺の手は奴の右手の上に乗っている。見下ろされている所為か、リアルに見下されている感じがした。それにしても、意味が分からない。見下されているのか、褒められているのか。 「は?何、言ってやがるんだ?」  身体を伏せたまま、左手でズキズキする頭を押さえる。 「俺はお前にお手と言った覚えは無い」 「んなっ!おい!だ……」  誰がお手なんかするものか、と手を引っ込めようとして、見事に失敗した。  なんなんだよ。  引っ張り上げるつもりなんざ無いクセに、今更、鮫島は俺の右手を掴んできた。 「ついでに言うと、お前にそんな芸を仕込んだ覚えも無い。やっぱり、お前は生粋の犬だな」  皮肉混じりの声が頭上から降ってくる。 「犬と言うな」  顔を顰め、鮫島を睨み付けた。そんなことをしても、奴の表情は変わらないと知っていたんだが。 「分からない奴だな、黙って時計を返せと言っているんだ」 「あんた、そんなこと一言も言ってなかったじゃねぇか」  コミュニケーション能力が欠損しているにも程がある。黙って手を差し出されれば、人はなんだろうかと考えるだろう?考えに考えて、一度はそんなものに騙されるかと思ってはみたが、やはり善の方を信じてみようとした結果が、これだ。 「あんたに手を掴まれてたんじゃ、返せるもんも返せねぇよ」  自分で言って、ハッとした。「それもそうか」と鮫島が緩めた瞬間に手からするりと抜け出し、急いで腕時計を外す。そして、「時間、返したからな」と言いながら、強引に掴んだ奴の手首に腕時計を嵌めてやった。 「とんだ猿真似だな。お前が猿に昇格する日も近いのか?」  折角俺が嵌めた腕時計を外しながら鮫島が言う。普段のあんたの格好にその時計は合わないもんな、と勝手に思うことにした。 「なんで、疑問形なんだよ?俺はどう見ても人間だろうが」  というか、尋ねるんじゃねぇよ。 「お前が人間?犬の方がお似合いだ」  また鼻で笑われ、奴に先日「お前のこと?そりゃ……、犬だろ?そう思ってなきゃ、構ってられない」と言われたことを思い出す。人として認識するようになったら、あんたは俺のことを構わなくなるのか? 「……っ」  そんなことを本人に聞けるわけもなく、俺は開きかけた口を閉じ、押し黙った。 「何も言うことが無いのなら、俺は行くぞ?お前に構っている時間が勿体無い」  俺に構っている時間が勿体無いだと? 「んなこと面と向かって、言わなくたって良いじゃねぇか!あんたが俺のこと嫌いなのは知ってるし、俺もあんたのことなんか大嫌いだ!家に置いてもらってるのは感謝してる、だけどな、仕事見つけたら、直ぐに出て行ってやるよ!」  つい、イラッとして怒鳴ってしまった。言ってしまってから、大人気無いと、いつも悔やむ。  全ての権利は鮫島にあり、奴はいつでも俺を追い出すことが出来る。今直ぐにでも、出て行けと言われると思った。しかし、鮫島は「……スーツ、多栄子の所に持って行け」とだけ残し、顔色ひとつ変えず、また未知の部屋へと姿を消した。  苛々する。俺が職を失ったのは、この性格に原因がある。我が儘で損な性格だと言われた。そんなこと、自分が一番知っている。 「くそ、なんなんだよ……っ」  そう呟いたのは、気付いてしまったからだ。自分に掛けられていた一枚の黒い毛布に。  いや、これは俺が此処で眠りに落ちる前に自分で持ってきたのかもしれない。もし、奴が持ってきたものだとしても、俺に風邪を引かれては面倒だと思っただけだろう。きっと、そうだ。そうでなければ困る。  俺が理不尽に怒鳴り散らしても、鮫島は顔色ひとつ変えなかった。恐らく、何とも思っていないんだろう。俺に何を言われようが、へっちゃらなのか?こっちは、こんなにもモヤモヤしているというのに。  ずっと同じことを考えている訳にもいかず、その場でジッとしていることも出来ず。俺はスーツから着替え、鮫島宅を飛び出した。

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