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葛藤コンフリクト①
【人生、葛藤、葛藤、葛藤ばかりです】
「あれ?スエキくん、こんな朝早くからどうしたの?」
俺の呼び出しに応えて扉から顔を出した多栄子さん。朝の八時だ。そりゃ、ビックリもするだろう。
「すみません、朝早くに。鮫島さんにスーツ持って行けって言われたんですけど、どうしたら良いのか分からなくて」
苦笑いを浮かべながら、スーツを上に持ち上げた。一応、もとのようにハンガーには掛けてきたんだが。
「そっか、そっか」
変わらぬ笑顔にスーツが貰われて行く。
「てっきり、また鮫島くんと喧嘩したのかと思った」
てへっ、という二児の母親と思えぬ表情に心を射抜かれ、俺は正直に言葉を発してしまいそうになった。だが、「また」とは何だろうか。
俺と鮫島が喧嘩をしている姿など、多栄子さんに見せたことがあっただろうか。いや、そもそも、俺と鮫島は喧嘩なんざしたことは無いと思う。
「あらまあ、図星かしら?」
母親というものは恐ろしい。良い意味でも、悪い意味でも。
「いや、そんな事ないです。俺、帰りますね。スーツ、宜しくお願いします」
これ以上、心を悟られないように笑顔で去ろうとした。
「ちょっと、待って!スエキくん、丁度良かった」
「え?」
多栄子さんが剰りにも俺を必死に止めるものだから、何かと思う。
「うちの双子ちゃんを朝風呂に入れてやってはくれまいか?夜は怖くてお風呂に入れないって言われちゃって、大変なのよ」
「どうしたんですか?」
彼女の武士のような喋り方に笑いそうになるのを必死で堪えながら返答する。一体、どうしたというのだろうか。この前は普通に夜風呂に入っていたような気がするが?
「昨晩、パパが怖いテレビ見てて、二人とも一緒に見ちゃったの。で、怖くてお風呂に入れないって言われちゃって。でも、当の本人は朝早くから仕事に行っちゃったでしょ?私は二人に嫌いとか言われちゃって。だから、スエキくん、お願いします」
何故、多栄子さんのような良い母親が子供に嫌われるのか。この前は寧ろ、好かれているように見えた。
「……分かりました。ついでに俺も風呂を借りて良いですか?」
昨日は帰って来て、そのまま寝てしまい、冬だといっても一日風呂に入らないというのはな、と思ったのだ。
「良いわよ、良いわよ!シャンプー、トリートメント、ボディソープ、じゃんじゃん、使って良いから!」
腕を引っ張られ、家の中に招かれた。グイグイと背中を押されながら廊下を移動して行く。中に入れば、そこからは早く、まだ寝ボケているみたいな双子を多栄子さんが連れてきて、一緒に脱衣所に詰め込まれた。
「じゃあ、宜しくね」
ニッコリと笑った多栄子さんが手を振り、扉を閉める。まるで、何処かのアトラクションのお姉さんのようだった。
「すえき……?」
眠気眼を擦りながら、洋双がゴニョゴニョと言った。
「ああ、こらこら。あまり目を擦るな。栄双、そんなに引っ付いたら動けないだろうが」
勢い良く目を擦る洋双の手を止めつつ、後ろに引っ付いている栄双を剥がしに掛かる。服を脱がすのにも時間が掛かった。
この家の脱衣所と風呂場が暖かかったから良かったものの、俺が前に住んでいた所の寒い風呂場でこんなことをしていたら、確実に風邪を引いていたと思う。そして、何とも悪いタイミングか。
「すえきー!頭ー!」
風呂に入った瞬間に二人の意識がハッキリしてしまい、どうしたものかと悩んだ。鮫島の家の風呂場と違い、至って家庭的な風呂場で助かったと思った。
「おい、洋双さん。三十秒数えて待っててくれ」
栄双の頭を洗いながら、湯船に浸かる洋双に手でジェスチャーを送る。待ってくれ、と。
「わかったー!いーち、にー、さーん……」
大人しく数え始める洋双。しかし、十二ぐらいに差し掛かった時、異変が起きる。
「じゅーにー、じゅーいちー、じゅーごー……」
「洋双ー、ズルするなー。俺には聞こえてるぞー?」
シャワーをジャージャーと流し、栄双の頭を洗っているから聞こえないと思ったら大間違いだぞ?
だが、そういう訳では無いらしい。
「だって、分からないんだもん」
そう言って、洋双が頬を膨らませる。仕方ないか、三歳だもんな。俺が同じ歳の時は数さえ数えられ無かったかもしれない。いや、それは冗談だが。
……ふと思う、鮫島はどんな子供だったのかと。腹違いの兄弟だ、もしかして、この双子に似ていたのだろうか?
いや、今と変わらず、一定の時しか喋らない無口だったのかもしれないな。三歳になっても一言も喋らず、親を心配させたに違いない。そう考えると、少しだけ笑えた。
一方的に喧嘩を売ったのは此方のほうだが、こんな時に奴のことを考えている俺は頭がイカれているのかもしれない。少しだけ、後悔している。小さな餓鬼じゃ無いんだ、構うの構わないだの、しょうもないことを気にした俺が馬鹿だった。
「すえきー、ちゃんと数えたー」
バチャバチャと水面を叩きながら洋双が言う。
「お、おう。じゃあ、栄双、交代だ」
どうやって数えたのか分からないが良しとしよう。あまり長く浸からせていると逆上せてしまうからな。洋双の頭に水色のシャンプーハットを被せ、シャワーをかけていく。
「ふふふ、くすぐったい」
ご機嫌が宜しいようで、良かったよ。
「いーち、にー、さーん……」
隣の湯船では栄双が数を数えている。合間合間に「あれ?」とか「およ?」とか困っている声が聞こえてきて、なんとも微笑ましいと思った。
「はい、終わり」
双子の全身を洗い上げた後は凄い達成感があった。自分もパパッと洗い、急いで二人を風呂から上げなければと、奔走する。
「すえきー、拭いてー」
風呂場の扉を開けた瞬間にバスタオルの元へと駆け寄る二人の幼児。取り合いになるのでは無いかと思ったが、決してそんなことは無かった。
「すえきー、あげるー」
小さな四つの手がピンク色のデカイタオルを差し出してくる。
「おー、ありがとな」
受け取り、思わず笑顔になった。それが嬉しかったのか双子も互いに顔を見合わせ、キャッキャッと笑う。
「さー、拭くぞ!」
バサッと開いたタオルを二人の頭から掛け、同時に拭いていく。拭き終わった後は早かった。俺が自分の身体を拭いている間に二人が自ら服を着たからだ。三歳というのは此処まで出来るのか、と感心する。
仕上げに三人ともドライヤーで髪を乾かし、脱衣所から出ると多栄子さんが待っていた。
「スエキくん、ありがとう。すっごく助かった」
「いえ、大したことしてないですよ。寧ろ、こちらこそ、ありがとうございました」
なんだか、凄く照れ臭くなった。
「ママー、すえきひとりじめだめ!」
「だから、ママきらい!」
俺の前に並んで立ち、頬を膨らませるそっくりな二つの顔。
「でもー?ほんとはー?」
向かい合った多栄子さんが二人に対して尋ねる。
「だいすきー!」
二人のタイミングがピッタリ過ぎて一つの声にしか聞こえなかった。照れたのか、悲鳴に近い奇声を発しながら、二人は各々部屋へと散って行った。
「もう、ツンデレなんだから……。今はそういう時期みたい。小さい子って面白いよね?」
「小さい子供にもツンデレの時期ってあるんですね」
世の中には年中無休ツンデレな大人も居るけどな。
「あれ?もしかして、スエキくん心配してる?そうなのよね。私もあの二人が鮫島くんみたいになるんじゃないかって、心配してるのよ」
そうは言うものの、多栄子さんの顔は嬉しそうだった。デレなんざ、微塵もない。あったと思っていたのは全て夢だ。
「いや、あの人、ツンしか無いですよね?」
思ったことを正直に口にした。だが、言ってから気が付いた。リビングのバーのようなテーブルに座る、鮫島の後ろ姿に。
い、いつの間に来やがったんだ!
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