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曖昧ワーク②
◆ ◆ ◆
「はぁ……」
そりゃ、溜息も出るだろう。こんな見ず知らずの場所に独りにされれば。知った顔なんざ、居るわけも無く。俺は本当に独りぼっちだ。
鮫島は何処に消えてしまったのか。まさか、ナゾナゾを解かせたくて俺を毎回連れて来ているわけじゃないよな?
奴が何をしているのか、皆目見当もつかない。まあ、探ろうとも思わないがな。
「……あの、すみません」
突然、後ろから声を掛けられた。中身が何の酒か分からないグラスを持ち、ぼーっと突っ立っていた俺は突然の声に驚いて、危うく近くにあったテーブルに突っ込みそうになった。
「俺ですか?」
答えながら振り返ると、そこにはニッコリと笑う見知らぬ女性が立っていた。美人と言えば美人かもしれない。ストレートの綺麗な黒髪が印象的だ。
「そうです。何処の出版社の方ですか?」
出版社?ああ、また今晩も何かの賞のパーティーなんだっけかな?
「いや、俺はコレなんで」
胸元に着けたゲストと書かれた名札を両手で掴み、彼女に見せる。
「あ、そうなんですね。あれ?ご結婚されてるんですね?」
丁寧に両手で掴んだ俺が悪かった。
「いや、……まあ、はい」
苦笑いしか出来ない。堪えろ、俺。
「残念です。この後、お誘いしたかったのに……」
お誘い!?
是非、乗ってしまいたかった。乗れるものならな。
「すみません」
乗りたくとも乗れない誘いを断り、仕方なく、俺は場所を移動した。いや、だが、これで良かったのかもしれない。その理由は俺が一文無しのジゴロだから。
しかし、望んでいなくとも、数時間の間に彼女たちは俺の元にやってきた。これは婚活パーティーだったか?と勘違いしたくなる程だ。その度に指輪で回避していたのだが、何人目からか、俺はとある質問をするようになった。
「灰原史という人物を知っていますか?」という質問だ。
だが、答えは全て「ノー」で質問を「鮫島史という人物を知っていますか?」に変えても、彼女たちからの答えは変わらなかった。全く情報が得られない中、ソイツは突然現れた。
「ああ、山田さん、こんな所に居らしたんですか?捜しましたよ」
軽く手を振りながら、一人の男がにこやかに笑い、此方に近付いて来たのだ。まあ、俺は山田じゃないからな、完全に無視したのだが、奴の動きは止まらなかった。
「ちょっと、顔貸してください。山田さん」
近付かれて、初めて気が付いた。いや、会うのが初めてなのだから、当然だが、コイツ……、背が低いな。恐らく、一六〇センチくらいだ。
巷で良く云う、可愛い系男子というやつか。いかにも染めていますみたいな茶髪にいかにも着せられていますみたいなスーツ。まるで、俺みたいだな。歳はまだ若い。
「山田さん、聞いてますか?」
「人違いだ」
知らない奴には関わりたく無い俺は胸の前で腕を組み、そっぽを向いて答えた。
「じゃあ、田中さん?」
「勝手に名前を付けるな」
何故、コイツは俺に近付いて来たのか。一度で引かないところを見ると、単なる人違いでは無いらしい。まさか、そういう趣味か?
「じゃあ、なんて呼ばれたいんですか?」
呼ばれたいんですか?そんなことを聞く奴が居るのか?いや、目の前に居るコイツがそうか。
「別に呼ばれたくない。なあ、放っておいてくれないか?」
いかにもイライラしていますという雰囲気で、言い放つ。
「そうですか、残念ですね。仕事の話なんですけど、要りませんか?仕事」
整った顔がニヤリと笑う。
コイツ、俺の何を知っているんだ?
「耳だけでも貸す気になりましたか?」
何故、上から目線になった?目の前のコイツは俺より有利な立場に居るということか。
「分かりました。結論から言いましょう」
可愛い顔して、すっかりセールスマンの雰囲気を醸し出している。普通ならば、奴は女性にモテそうだが、身長と性格に問題がありそうだ。
「すまないが、俺には難しい話は分からな……」
「三千万円差し上げます。仕事が成功すればの話ですが」
「は?」
一瞬、全てを含めた時間が止まった。
「それ以上の事は此処では話せませんので、やはり、顔を貸してください」
三千万、三千万。
俺の頭の中で苦手な数字がグルグルと回っている。だが、良く考えてみろ?内容に依るが、この仕事を受ければ、鮫島の家から出られるということだ。奴から離れるチャンスじゃねぇか。今、俺に失う物は何も無い。
「よし、分かった」
「では、ご一緒願いましょうか」
ニッコリと笑った男が身を翻し、エレベーターに向かう。その後を追いながら辺りを見回したが、やはり、鮫島の姿は無かった。
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