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曖昧ワーク④
◆ ◆ ◆
さて、引き受けたは良いが、どうしたものか。酒は飲んだ。今夜も俺は酔っ払いのフリに身を徹した方が良いのだろうか。
「はぁ……」
会場に戻る気も無くし、俺はホテルのロビーに居た。ふかふかの座りづらいソファに腰を降ろし、鮫島の職業を暴く方法を無い頭で必死に探している。
面倒臭ぇから、今日も酔っ払おう。
記憶が無いと偽るのは大変だが、俺も鮫島もお互い、その方が気持ち的に都合が良い。まあ、実際は全く酔っ払っていないし、記憶も残っているんだが。そんなこと、鮫島はこれっぽっちも気付くまい。
少しくらい気付けよ。ほんの少しだけ。まあ、こっちは何とも思ってねぇけどな。ただ、忘れられないだけ。鮫島のあの顔。あの表情だけは、どうしても嫌いになれない。酔っ払っていた俺がからかわれていたというのは分かっているが、鮫島はズルい人間だと思う。
─────俺、あの人のこと、嫌いなんだよな?
いや、別に嫌いじゃなくとも良い。好きでなければ良いのだろう。俺の好意は今、車のあの女に向いている。未だに名前を知らないが、恐らく、俺はあの女が好きだ。本能的にそう思っている。この気持ちは別に間違っていないと思う。鮫島なんざ、彼女の足元にも及ばない。
いやいや、待て待て、何故鮫島が出てくる?同じ家に居過ぎて、俺の頭は鮫島に汚染されたのか?奴が彼女と並ぶなんておかしな話だ。奴は男で、俺も男。この思考は間違っている。変なことを考えるな、俺の頭。
恋とはなんだ?
思考が一時停止し、俺の中に一つの問いが生まれた。バレるまで話したくは無いが、とある理由から俺はこの歳にして恋を知らない。つまり、愛も知らない。
俺には恋愛なんざ、必要無いのか?そんなことは無いだろう?だって、俺はこんなにも彼女に会いたいと思っている。だから……。
「おい、起きているか?」
自問自答を繰り返し、結論が出掛けた頃、悪いタイミングで鮫島がやって来た。
「寝てますけど、何か?ああ、帰るんですか」
イントネーションが変になり、関西人みたいになった。まあ、作り物だ。勿論、このおかしなテンションも作り物だ。
「また飲んだのか?」
相変わらず真顔の鮫島に顔を覗き込まれる。
「飲んで悪いんですか?あんたに迷惑掛けるから?良いよ、一人で帰るさ」
変な喋り方に加え、早口で捲し立てるように言い放ってやった。この方が酔っ払いっぽいだろう?幸い、ロビーに他の客は誰も居ない。言いたい放題、やりたい放題だ。自分でもわかる。本当、嫌な奴だ、俺。
「帰る気は無い」
何を言っているのか、全く理解出来ない。
「ああ、お泊まりですか?どうぞ、ごゆっくり」
ふー、と息を吐き、フラフラと立ち上がる俺。奴がどんな顔をしているかなんて知らねぇよ。見てねぇんだから。
「何を言っている?お前も、今日は此処に泊まるんだよ」
腕を掴まれそうになり、フラフラと後ずさった。
「はあ?あんたと同じ部屋は御免だ」
一体、何を言っているんだ?血迷ったのか?
「誰が一緒だと言った?それ自体が酔っ払いの考えだな」
「へいへい。どうせ、酔っ払いですよー」
血迷ったのは俺だったが、そんなこと酔っ払いには関係無い。只管、真っ直ぐ立っていられないフリを続ける。
「お前、ちゃんと歩けるのか?」
「ちゃんと立ってる」
恐らく、俺の答えに鮫島は怪訝そうな顔をしているに違いない。そんな、奴にしては珍しい表情を俺が見ようとしないのは、何もかもが面倒臭くなったからだ。
「ほら、掴まれ」
今度こそ、腕を掴まれた。鮫島の肩に掛けるように促される。この前も、こんな感じで支えられたっけかな。わざと体重を掛け、相当酔っ払っているように見せながら、エレベーターを乗り降りし、部屋の前まで辿り着くには少々時間を要した。
ピピっとカードキーで俺の部屋を開ける鮫島、引き摺られるように部屋の中を移動する俺。そんな俺がベッドに転がされたのは、その数秒後だった。扱い方がまるで物だ。
ベッドの上、動かないまま、様子を見る。特に何も無い。酔っ払った俺をベッドの上に放置し、鮫島はそそくさと自分の部屋へと消えてしまった。
隣の扉が閉まる音がした。
「……あの人、絶対にわざとだろう?」
そう呟いたのは、ベッドの直ぐ近くの床に鮫島の携帯が落ちていたからだ。人のナイーブな気持ちなんざ分からないクセに精密機械なんて名前しやがって。
ムカつくが、もう一度、鮫島に向こうから来られても困る。俺はスッと立ち上がり、酔っ払いになる準備をしながら、部屋から出たのだが、一つ準備を忘れたことに気が付いた。
しかし、時既に遅し。気付いた時には部屋の扉は閉まっていた。俺が忘れた準備、それは部屋から出る準備だ。オートロックの扉にまんまと閉め出された。
「あー!くそっ!」
そんなにイライラしていなかったが、怒りに任せてドンドンと鮫島の部屋の扉を叩く。周りの部屋から人が怒って出て来なかったのは幸いだ。
「……お前は何を暴れているんだ?」
直ぐに奴は扉を開け、姿を現した。
「コレ。あと、閉め出された」
眼前に左手で携帯を突き付け、右手で自分の部屋の扉を指差す。奴の部屋は俺の部屋の左隣りだ。
「馬鹿なのか?」
携帯を受け取りながら、奴が言う。凄く迷惑がっている気がするが、そんなこと、知るものか。
「馬鹿で悪いのか?」
「ああ、悪い。フロントに電話してやる」
まるで通報してやる、みたいな言い方だ。
「やめろよ」
扉が閉まりそうになり、慌てて手で止める。
「じゃあ、外で寝るのか?」
「違う!」
酔っ払いという設定を忘れちゃいない。小さな餓鬼みたいに駄々っ子を演じる。
「なら、なんだ?」
「部屋に入れてくれ」
奴の困った顔が見えた。珍しく眉間に皺が寄っていて、笑える。
「俺と同じ部屋は嫌なんだろう?」
「うるせぇな、気が変わったんだよ」
鮫島を押し退け、無理矢理部屋に入り込む。
ん?何故、既に小さなライトしか点いていないんだ?もしかして、もう寝る気だったのか?
そう気付いたのは、ジャケットを椅子の方に放り、人のベッドの上に腰掛けた後だった。俺は鮫島の安眠となる筈のものを邪魔してしまったのだろうか?
「横暴な奴だな」
決して広くは無い部屋、小さく点いた明かりの下を鮫島がゆっくりと歩いてくる。生意気だとか、馬鹿だとか、犬だとか、そんなことを言われた後じゃ、横暴なんて言葉はまだマシだと思った。だが、そう思うのは俺が横暴の意味をよく理解していないからだ。お頭が弱いのは充分承知している。
「横暴って、なんだ?」
別に奴に尋ねる気は無かったんだが、思わず口から言葉が転がり出た。言葉の意味を知らない訳ではなく、忘れているだけで、口に出せば思い出すかもしれないと内心、思ったのかもしれない。
「そんなことも知らないのか?お前みたいな奴のことだ」
また、俺みたいな奴と言う。全く答えになっていない。俺の目の前に立った鮫島に何か一言、言い返してやりたかった。何か、奴の心に刺さる文句を。だが、文句どころか、俺は一言も言えなかった。
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