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曖昧ワーク⑥

   ◆ ◆ ◆  窓際で小鳥が囀っている。明るい光がカーテンの隙間から部屋の中に入り込み、清々しい朝を連れてきた。そんな気持ちの良い朝を俺は望んでいたのである。  しかし、現実はそうは行かない。朝っぱらから、雷雨で部屋の中は薄暗い。隣には、ほぼ同時に目を覚ました全裸の鮫島が居り、確かに奴は困惑していた。 「お前、俺に何かしたか?」  そして、何故か俺も困惑していた。 「いや、あんたが俺に何かしただろ?俺は、ちゃんと服を着て寝たぞ?」  どうして、俺も全裸なんだ?  雷鳴轟く不穏な空気。 「してない」  サラッと言い放つ鮫島。だが、絶対に嘘だ。 「嘘吐くな、こっちに来るな、近寄るな」  デカイ枕を奴に押し付け、少しでも距離を取ろうと試みる。ハニートラップやら、職業を暴くどころでは無い。なんて危険な男なんだ。 「あんた、本当に何したんだ?俺、冗談抜きで記憶がねぇんだよ」  酔っ払ったフリをしていた時の記憶は確かにあるが、その後の記憶が無い。 「何も覚えていないのか?」  何故、そんなに怪訝そうな顔をする? 「だから、覚えてないって言っているだろ?」  好都合だ。俺が何も覚えていないと思ってくれ。 「はぁ……、これだから、酒癖の悪い奴は嫌いなんだよ。お前、これから酒飲むの禁止だ」  深く溜息を吐く鮫島の声は、少々残念がっているようにも聞こえるが……、表情が変わらないため、きっと、俺の気の所為だろう。いや、そうであってくれ。 「嫌だよ。なんであんたにそんなこと決められないといけないんだ?」  特段、酒が好きだとか、飲みたいだとかは思わないが、気付けば俺は奴に反抗していた。 「何故、酒に走るんだ?」  そう尋ねられ、よく考えてみれば、理由が曖昧だと気付く。最初はヤケ酒だったが、今じゃ酔っ払っているフリをするために酒に走っている。酔っ払いのフリをする理由?そんなもん、頭の深い所を探ったって見つかりゃしない。 「知らねぇよ。あんたが急に居なくなるからだろうが?」  ヤケ酒をした理由を口にして、ハッとした。 「つまり、俺が居れば酒に走らなかったと言いたいのか?」  真顔で言われ、腹が立つ。そんなことは一言も言っていない。 「いや、違う。今のは、聞かなかったことにしてくれ」  裏を返すと、それは、つまり……、俺があんたと一緒に居たかったみたいな理由になるじゃねぇか。断じて違う。勘違いも甚だしい。独りにされて、馴れない場所で何もすることが無く、暇だったからヤケ酒に走ったんだ。 「餓鬼みたいな理由だな。禁酒出来ないと言うなら、次回からお前は留守番だ」  独りで、お留守番─────。  それが奴の職業を暴く、絶好の機会になるということに俺は気付いて居らず、またしても逆上した。 「そんなことを言うんだったら、最初から俺なんか連れて来なければ良かっただろ?独りで留守番をさせて、何か悪さをされると困るから、俺を連れ回してたのか?」  言ってしまってから、まずいと気付く。今では、お決まりのパターン。 「家に残したら、悪さをするつもりだったのか?」 「だったとしたら、どうする?」  実際、そんなことをする気など無いが、何故だか俺のプライドが反抗を継続させる。 「悪さが出来ないように、柱に縛りつけてやる」  しまった、墓穴を掘った。柱に縛りつけられてしまっては、鮫島の職業を暴くことなど出来っこない。 「ご、拷問だろ?それ」  窓に土砂降りの雨が当たり、凄まじい音がしている。まるで、オーディエンスが騒いでいるようだ。 「拷問?お前は何かを自白する気なのか?」  枕の向こう側、奴と目が合った。別に見つめ合いたい訳じゃないんだ、勘弁してくれ。 「冗談じゃない。俺は悪いことなんざ一つもしてないだろ?」  逃げ出したい。だが、服が何処にあるか分からない。奴の服は俺が投げ飛ばした場所に存在している。 「自覚が無いのか?」  やれやれ、といった様子で枕を静かに元の場所に戻す鮫島。俺がそれを再度使おうと思わなかったのは、奴が俺に背を向けたからだ。 「なんだ?自覚って」  頭の中をガチャガチャと探るが、全く答えが出てこない。 「自分自身の立場・状態・能力などをよく知ること、だそうだ」  ベッドの横に置いてあった携帯で、今、調べたらしい。だが、違う。 「そうじゃねぇよ。俺が言ってるのは、何の自覚か、って事だ」  奴の背中に吠える。 「頭の悪いお前にも分かるように要約すると……、他人を困らせている自覚、だ」 「なっ……!」  丁度、俺の内心を表すかのようにビシャーンっと雷が何処かに落ちた音がした。全然、要約されていない。そのまんまじゃねぇか。 「面倒だ、拗ねるなよ?」  鮫島は見ていないだろうが、俺がムッとした顔で発言をしようとした瞬間に言われ、この後も勝てる気がしない。俺の存在自体が他人を困らせているのだろうか。非常に気になる。 「誰が拗ねるか!別にそんなこと言われたって気にしねぇよ」  くそっ、凄く気にしている。だが、「奴に悟られて堪るものか」と、ぐっと歯を食いしばり、堪える。  近くに落ちていた自らのワイシャツを着る奴の背中に「何故、俺を追い出さないんだ?」と尋ねられたら、どんなに楽か。しかし、実際、口に出してしまうと本当に追い出されてしまいそうな気がして……。 「お前、おめでたい頭をしているんだな」  また鮫島に鼻で笑われ、癪に触った俺が必死におめでたい頭という単語の意味を考えている隙に、奴はスッと俺の隣から消えた。  奴の肉体を見ると、自分の身体に自信が無くなってくる。俺が今、奴の行動を目で追わないのは、それが理由だ。負けないように鍛えよう。  そんなことも頭の中を過るが、次の瞬間、一瞬にして、俺の思考も動作も停止した。カチャカチャと音がしていたあたり、恐らく奴はスーツの下を履いていた筈だ。しかし、今は俺の隣に気配がある。ベッドサイドだ。 「ひとつ、言い忘れていた」  隣に立った鮫島が口を開く。  なんだ?妙に重苦しい雰囲気だが? 「───お前のその赤ん坊みたいな思考、どうにかした方が良いぞ?」  囁かれたのは、そんな皮肉混じりの言葉。また俺の感情を逆撫でするようなことを言う。食事中に寝ちまう赤ん坊みたいなことをした奴に言われたくねぇよ!と怒鳴りたくなった。  しかし、言えない。俺の中に酔っ払っている最中の記憶があるということが、奴にバレてしまう。許されることならば、昨夜のことなど本当に全て忘れてしまいたい。鮫島さん、あんたは俺のこと、正直どう思ってんだよ?  くるりと向きを変え、右手を奴の方に差し出した。 「なんだ?その手は」  勿論、そう言ったのは鮫島だ。さあ、考えろ、鮫島。 「だから、何だ?」  奴が間違って手を掴めば良いと思った。しかし、作戦は失敗だ。身なりを整えた鮫島が動くことは無かった。この伸ばしてしまった手をどうすれば良いのか。何も考えず、左手も奴の方に差し出した。自分でも何をしているのかと思う。きっと、これが血迷ったという現象だ。 「抱っこ」  血迷った行動に血迷った言動。追い詰められた者は、それをムスッとした顔でサラッとやり遂げる。もう何だって良い。あんたの職業を暴けば、そこでお別れだ。今だけは少し、妥協してやる。そうだ、この行動はあんたの懐に入り込むためのモノだ。頼むから、そういうことにしてくれ。 「……まだ酔っ払っているのか?」  鮫島が腕を組み、仁王立ちをする。雷が鳴っているだけで、何故、こんなにも憂鬱な気分に拍車がかかるのか。雨の影が部屋の中に映る。奴から離れるために、妥協をしなければならない。 「言わせんなよ。分かってんだろ?……甘えてんだよ」  あんたが俺を赤ん坊と言ったんだ。俺の腕と鮫島との距離は約十五センチ。届きそうで届かない。徐々に腕が疲れてきた。  今、頭の中で考えているんだろう?俺が単にふざけているのか、何か裏があるのか、将又、真面目に言っているのか。あんたは理性の狭間で揺れているんだろう?  引き摺られてしまえば良い……、と思う。だが、奴は一向に動き出さない。ピクリとも動かなかった鮫島が突然動き出したのは、それから数十秒後のことだった。  鮫島は俺との距離を詰めてきた。だが、奴は俺の腕をすり抜け、一瞬で俺の視界から消えた。そして、 「おふっ!」  突如として俺の顔面にぶつけられる布の塊。まあ、俺の服なんだろうな。 「くだらない事を言っていないで、早く服を着ろ」  ほらな。どうやら、ベッドの下に一式転がっていたようだ。 「へいへい」  服を目視で確認し、そう返事をしたのは既に奴がバスルームに移動した後だった。よく考えてみれば、つまり、俺はふざけていると認識されたわけだ。  何故、あんたは良くて、俺は駄目なんだ?これじゃあ、俺だけが単に恥ずかしいだけじゃねぇか。馬鹿らしい。  ムシャクシャしながら、下着やらワイシャツやらを着ていく。結局、服を脱がされたのか、自分で脱いだのかも分からねぇし。鮫島と居ると俺の心は静まる事が無い。大半は苛々させられている訳だが、奴は一体、何を考えているんだか。大層、御自分は表情筋がカチカチなんだろうな。たまにしか使わねぇんだから。 「……」  ふと、ネクタイを締めながら思う。鮫島でも感情を露わにして怒る時があるのだろうか、と。非情の中にある微かな感情。奴がそれを見せるのは、洋双と栄双と多栄子さん、それと……酔っ払っている時の俺、だけだ。  あんた、一体心の何処に、喜怒哀楽を置いて来ちまったんだよ?  少しだけ、奴の弱った顔が見たいと思った俺は、凄まじく趣味が悪いんだろうな。そう考えた時、自分が締めたネクタイが鮫島の着けていたモノだと気付く俺であった。

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