34 / 78

混沌クライシス③

   ◆ ◆ ◆  外国の親子が寝る前にやるようなことを何の恥ずかしげもなくやってしまう鮫島は、相当日本人離れしていると思う。そう考えると、俺は餓鬼扱いをされているということになる。イライラする。どうして、あんたと居ると、こんなにも苛立ちを感じるのか。まあ、当人はお出掛け中なんだが。 「くそ!ムカつく!」  どうにも出来ない怒りから、黒い扉の一つにクッションを投げつけた。カチャンと嵌る扉の音。扉が少し開いていたということだ。俺がクッションをぶつけたのは、未知の部屋へと繋がる黒い扉だった。普段ならば、内からも外からも鍵を掛けられるようになっている。鮫島が離れる時は鍵が閉まっている筈だ。  忘れたのか?  単純な俺は怒りなんざ忘れ、これをチャンスだと思った。奴から離れられれば、きっとイライラもしなくなる。  スッと立ち上がった俺は、一度辺りをキョロキョロと確認し、未知の部屋へと足を踏み入れた。上の方に小さな窓があるだけの暗い部屋だ。入り口付近の壁にあるであろう電気のスイッチを探していて、気付かなかったが、明かりを点けて初めて、この部屋の床が畳だということに気が付いた。扉から一歩踏み出すと、一段上がっていて、危うく躓くところだ。壁際に置かれたデカくて脚の短い木の机は、この部屋でただ一つの家具だ。畳の上に散らばる無数の白い紙。部屋の角には紙の束が積んである。 「やっぱり、翻訳家なのか?」  そう呟いた理由は、机の上に置かれたノートパソコンの横に原稿の束が置いてあったからだ。しかし、表紙の名前を見て、俺は驚愕した。  表紙に書かれていたのは、鮫島史でも灰原史でも無く、谷川泰子たにがわやすこという名前だった。そう、あの「紫陽花」の谷川先生だ。しかし、何故、ここに原稿があるのか。彼女の本を全巻揃えるほどのファンだからか?最初は、そう考えたが、時間が経つにつれて俺は気が付いてしまった。この題名の本は鮫島の本棚に置いていなかった筈だと。「陽炎と娘」という分かりやすい題名だから、置いていないと気が付いた。ならば、これは谷川泰子の新作ということか?  パンツのポケットからスマートなデジカメを取り出し、原稿の表紙を撮影する。これだけでは鮫島の職を完璧に証明することは出来ない。他に、何か無いのか?  ノートパソコンを開いてみたが、パスワードが分からない。渋々電源を切り、部屋の角にある紙の束に手を伸ばす。そして、謎は全て解けた。もしかすると、これは罠なのかもしれない。何故なら、パソコンの中からわざわざ印刷をして、原稿を束にしているからだ。原稿の表紙には、それぞれランダムに七人の作家の名前が書いてある。本棚に置いてある作家の作品だ。しかも、見たことのある題名ばかりで、これは既に出版されているものだと理解した。  無い頭をフル回転させつつ、カメラのシャッターを切る。撮るしかないのだ。鮫島が編集者ならば、あんなに毎日、家に居るわけが無い。すると、答えは一つしか無い。奴は 「ゴーストライター……」  ランダムに並んでいたように思えたあの本棚……、あれは鮫島が原稿を書いた順番だったのか。そう思った瞬間、玄関の扉が開く音がした。  ヤバい!鮫島が帰ってきた!  慌ててノートパソコンの電源を消し、原稿の束を整える俺。部屋の電気を消したは良いが、今更部屋の鍵は閉められない。音がしてしまうからだ。ノブを両手で強く握りしめ、扉が開かないようにした。まあ、俺の力が負ければ、開いてしまうだろうがな。心臓がバクバク云っている。  コンコンッ  そんな俺を心霊体験のように追い詰める、扉をノックする音。おかしい。鮫島ならば自分の部屋をノックなんざしない筈だ。  コンコンッ  俺がコソコソ、悪いことをしているからか?だから、幽霊かなんかが怒ったのか?部屋の電気を消してしまったことを後悔した。前方も後方も何か、この世のものでは無い何かが居そうな気がして、動けなくなる。そんな俺を助け出したのは 「鮫島くん?居るの?」  多栄子さんだった。今すぐにでも扉を開けて、「鮫島さんは居ませんけど、俺は此処に居ます」と飛び出したくなった。しかし、必死に耐える。 「ちゃんとご飯食べてる?スエキくんにも、ちゃんとご飯あげてるの?」  扉越しの多栄子さんの声は少々怒っているようだ。何故だろうか。凄く複雑な気持ちになる。俺はペットとして認識されているのか? 「冷蔵庫にシュークリーム入れておくから、ちゃんとスエキくんにもあげてね?」  去っていく気配。玄関の扉が閉まる音。多栄子さんが去った後、そろりと部屋から抜け出した俺は後手に部屋の扉を閉めた。  ───俺は、なんて無能なのだろうか。  リビングのソファに腰を降ろした時、俺は少しだけ、落ち込んでいた。確かに、俺は無職で、ヒモで、鮫島に食わせて貰っている。ただ、こんな生活を続けて俺自身は勿論、鮫島や多栄子さんに良いわけが無い。やはり、俺は仕事を全うして、此処を去ろう。そう決めた。今、確定した。  鮫島が掛けて行った毛布に包まり、奴の帰りを待ったが、一向に帰ってくる気配が無い。ずっと、何時間も待ち続け、俺はそのまま眠ってしまった。後で知ったんだが、鮫島は一人で何処かのパーティーに行っていたらしい。あの七人の中の誰かのパーティーだ。果たして、そこに、三千万の男は居たのだろうか……?

ともだちにシェアしよう!