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混沌クライシス⑧

 ◆ ◆ ◆  結局、俺はタクシーに乗せられ、鮫島宅に帰ってきた。 「何かあったら、俺を呼べ。良いな?」  俺から返事が返ってこなくとも、鮫島は俺を独りにするだろうと予想はしていた。きっと、俺を落ち着かせるために。予想はしていたが、風呂場に独り取り残されそうになり、黙ったまま奴の腕を掴もうとしたが、見事に失敗した。鮫島が後ろを向いた瞬間だったからか、タイミングが合わず、スルリと俺の手を抜けた鮫島の腕。運良く俺が掴めたのは奴の裾の端っこだった。 「なんだ?」  振り向いた鮫島と目が合い、俺の心臓が小さく跳ねる。 「……なんでもない。分かったから、行ってくれ」  自分の願望を口に出すことは出来ない、と気付いた俺は、直ぐにパッと奴の裾から手を離した。俺は一体、何をやっているのか。鮫島の目をジッと見ていることも出来ず、視線を逸らした。 「お前は本当に……」  呆れている声だ。また、素直じゃないだとか、生意気だとか言われるに決まっている。予想していた言葉を待っていたのだが、言葉の続きは、全く別のものだった。 「一体、誰に何をされたんだ?」 「……っ」  慌ててワイシャツの首元を右手でギュッと絞り、忌まわしい痕の数々を隠そうとする。それは、殆ど無意識に近い行動だった。 「酷い目に遭ったんだろう?」 「言いたくない……」  あんた、一体、何処から察しているんだ?  伸びてきた手が俺の手をゆっくりと外していく。抵抗をしなかったのでは無い。するのを忘れたのだ。全ては鮫島の所為。奴が耳元で「誰に何をされたのか、ちゃんと言えたら、俺が上書きをしてやる」なんて、ふざけたことを囁くからだ。こんな時で何だが、やはり、鮫島と洋世は兄弟なんだな、と思う。  本当は何があったのか、隠し通したかった。しかし、鮫島は絶対に感づいている。いや、こんな格好で居れば、鮫島で無くとも気付くよな。 「……男に、レイ……されました」  ボソリと、本当にボソリと呟いた瞬間、ゆっくりと抱き締められた。後ろから来た手が「よしよし、よく言った」と云っているかの様に俺の頭を優しく撫でる。鮫島は、いつもこうだ。微かな優しさを含んだスキンシップに流されそうにな…… 「痛っ!何しやがんだ!」  突然、肩に噛み付かれた。よく見れば、血が滲んでいる。そりゃ、痛いわけだ。 「痕を見て、些か腹が立った」  真顔でサラッと、そんなことを言う鮫島。  キスマークに対抗したということか? 「どうして、あんたが腹を立てるんだ?」  付けられたばかりの傷が疼くのを我慢して、尋ねる。 「自覚をしていないから、もう一度言ってやるが、あの時、あの場所で俺に拾われた時から、お前は俺のモノなんだよ」  しれっと、なに、俺様宣言しているんだ?あんたは!聞いた覚えが有るようで無い。 「初耳なんだが?って、そんなとこ触んなよ……ッ」  いつの間にか、ワイシャツのボタンを全て外され、奴が俺の胸の突起を執拗に虐めてくる。おかしい。スキンヘッドの野郎に触られた時は、全く何も感じなかったが、今は言葉にしたく無い程、身体が反応している。鮫島だからか?いやいや、そんな筈はない。そう思って、厄介な両手を自分の両手で掴んで止めた。 「勝手に俺を自分のモノにするんじゃねぇよ。あんた、洋世には俺のことを好きにして良いって、言ったじゃねぇか」  その所為で面倒臭いことになったんだ。どんな巧みな返事が返ってくるのかと思えば、奴は一言、「覚えていない」とだけ淡々と言い放った。掴んだ手を解かれ、逆に指を絡められる。グイッと近付いて来た瞳が俺を逃してくれない。 「あんた、卑怯だ……」  綺麗な瞳から視線が逸らせない。 「何が卑怯なんだ?」 「あんたのその瞳が嫌いなんだ」  本当は逆なのかもしれない。認めはしないが。 「嫌われているのか……」 「嫌いだ」  何度も言わせるな。俺の気が変わる前に、俺が勘違いをする前に、早く逸らして欲しい。早く……。 「お前は嘘を吐くのがド下手だな」 「違う、嘘じゃない」  気付かないでくれ。 「もっと上手く嘘を吐け」 「……うるせぇな」  顔が熱くなる。俺の内心をバラしているようなものだ。 「お前は俺のことだけを考えていれば良い」 「なっ……、ん……」  重なった唇と重なる騒がしい心臓の音。ゆっくりと落ちていく。それでも、あんたに惹(引)かれてやるのは、今日だけだ……。

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