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妄想リリィ①
【俺の味方であり、俺の敵でもある奴がやってきます。そして、ついにバレます】
「はぁ……」
とある早朝、目を覚まして、数分後、俺は「またか」という溜息を吐いた。背中が痛いと思ったら、奴の所為で同じ体勢で眠っていたからだと気付く。仰向けに寝た俺の上に、茶色のデカイテディベアが乗っているのだ。鮫島史という、デカイ獣が。最初からこの状態なわけでは無い。気が付いたら、奴が居るのだ。気持ち良さそうに寝息を立てて、まったく、ご機嫌なこった。
今更だが、昨日、この人から衝撃的な真実を聞かされた。それは鮫島が不眠症だということだ。医者に行っても治らなかったらしい。そして、それが奴が自分の寝室で眠らない理由。しかし、今は俺の上で眠っている。あの晩以来、何か勘違いしてるんじゃないのか?と思う。だが、奴が眠れているなら、まあ良いか。無論、背中は痛いが。それに、疑問も残る。何故、今は眠れているのか、ということだ。
面と向かって、口に出して言われた訳では無いが、もしかすると、俺が居るからなのか?いやいや、そんな訳ないよな。この人、一人でソファに横になってたのを一度だけ見たしな。ちゃんと、一人で……、いや、まさか!
ハッとした。あの時、眠っていなかったのか?狸寝入りをしていたんじゃないのか?俺と同じで。まったく気付かなかった。なんて恐ろしい奴だ。危うく、変なことを口走るところだった。知らず知らずのうちに奴の「押してダメなら引いてみろ作戦」に引っ掛かかっていたとは、俺が甘かったのか?
「ああ、クソ、重てぇな……」
鮫島を起こしたい訳では無かったため、俺は静かにブツブツ言いながら、奴の下から這い出たのだが
「寒っ!」
あまりの寒さに、元の場所に戻る羽目になった。しかし、上に乗られているのは少々癪に触るため、鮫島を横にズラし、不本意ながら奴にくっ付く。その上から布団を掛けて出来上がりだ。
良かったじゃねぇか、鮫島さん。あんたにも湯たんぽという役割が見つかったぞ?
ふふん、と一人、鼻で笑っていて気が付いた。あまり気が付きたくなかったことだ。これも不本意だが、鮫島から凄く良い匂いがする気がした。甘いような、ムスクっぽいような、言葉では表せないが、強いて言うなら、鮫島らしくないような、そんな香り。この匂い、俺は嫌いじゃないかもしれない。
いやいや、何をやっているんだ、俺は!
しかし、何なんだろうか、この匂いは。鮫島は酒もタバコもやらない。前はしなかったような気もするが、一体、どうなってやがる?いや、でも、やはり良い匂いが……くそっ、勝手に匂いを嗅ぐな!俺!
嫌いで居ようとする俺とは裏腹に、それとは逆のものばかりが見つかってしまう。そんな時だ。
「……お前、それ、わざとか?」
最悪だ、鮫島が目を覚ました。
「は?いや、言っている意味がよく分からないんだが?さ、さあ、どうぞ、そのまま、もう一度眠ってください」
白を切りながら、ジリジリと少しずつ鮫島から距離を取ろうとする。
「言っている意味が分からないのはお前の方だ。眠れるわけがないだろう?」
ごもっともだと思う。俺は、なんて馬鹿なことをしていたのか。鮫島の顔は見えないが、相変わらず、無表情なんだろうな。
「ああ、んじゃ、俺はもう一回寝るとするかな」
さよなら、鮫島さん。俺は夢の世界に逃げるんで、起きるなら一人で起きてください!──なんて、言ってやるものか!勝手に黙って逃げるに決まっているだろう。だが、世の中、そんなに甘くは無かった。
「……なっ、んだよ」
グイッと上に引っ張られる。そして、いつの間にか、俺の顔と同じ高さに鮫島の顔があった。
鮫島の顔が近……。
「……んっ、んん!……ッ、……はっ!」
朝から濃厚なキスかましてんじゃねぇよ!そう怒鳴り散らしてやりたかったが、気付いた時には威圧的な視線に見下ろされていて、その気が失せた。鮫島が獣に見える。ヤバい、まじでヤられる。表情は変わっていないが、確実にオーラが違う。
「た、頼むから、やめてくれ」
あんたとそういう関係になりたいわけじゃねぇんだよ。朝から盛るな!
やはり内心は強気な俺だ。しかし、認めたくはないが外側は大分、怯えていた。アイツ等に無理矢理ヤられた所為なのは勿論のこと、鮫島に対しては別の恐怖がある。それを素直に言うつもりは無いがな。
「……」
黙ったまま、上からジッと俺を見続けている鮫島。一体、何を考えているのか知らないが、早く、退いてはくれないだろうか。
「……出掛けるぞ」
諦めたのか、鮫島が呟いて、のそりと動き出す。
「は?こんな時間に、何処へ行くって言うんだ?」
ベッド脇の小さな棚に置かれたデジタル時計は朝の五時ちょっと過ぎを示している。恐らく、外はまだ真っ暗だ。
「何処って、散歩に決まっているだろう?」
あんな危険な雰囲気を醸し出しておいて、普通に会話をし始めるとは、恐れ入った。自分に対しても、あんたに対しても。それにしても、なに馬鹿なことを言っているんだ?みたいな言い方は止して欲しい。寧ろ、あんたが、なに爺さんみたいなことを言っているんだ、という感じだ。行きたくない、と駄々を捏ねていたわけでは無いが、中々布団から出られない。
「動け、早く布団から出ろ」
痺れを切らした鮫島が言う。
「へいへい、今行きますよ」
眠いし、寒いし、で上手く身体が動かないが、家主が散歩に行くと言うのなら、それに嫌々でも従うしかないだろう。家主だ。断じて、飼い主では無い。
「そんな薄着で行くつもりなのか?馬鹿か、お前は」と言いながら、鮫島が俺に上着を投げてきた。必然的に、同じような服装になる。モス色のミリタリーコートだ。ファーなんてものはついていない。
「どうも……」
上着をゲットした俺だが、何故か、その後、洗面所で鮫島と並んで歯を磨くことになった。あんた、言い出しっぺなんだから、先に出掛ける準備しとけよ。歯を磨き終わり、別に並べたくて並べているわけでは無い白と黒の歯ブラシを睨み付けた。黒が俺で白が鮫島だ。
なんだか、気が重い。
「はぁ……」
溜息を吐きながら、洗面所を後にする。
「真っ暗だな」
地上への階段を上った先、ガタつく戸を開け、鮫島が呟いた。いや、外に出なくとも、そりゃ分かっただろう?やれやれ、と呆れながら俺も階段を上っていく。すると、残り一段というところで、鮫島が意外な行動に出た。黙ってスッと手を差し出して来たのだ。
「な、なに紳士ぶってんだよ。そういうのは、可愛い子にやれば良いだろうが!」と思ったが、口に出して言わないのは、恐る恐るでも、手を伸ばしてみようと思ったからだ。しかし、伸ばしかけて、直前でやめた。鮫島から受けた仕打ちを思い出したのである。また、何かを言われるかもしれないだろう?俺は「おかわり」を教えた覚えは無い、だとかな。
「た、助けは不要だ」
最後の段差を上ると同時に、俺は急いで両手を自分のポケットに仕舞い込んだ。そして、鮫島の横を通り過ぎ、奴より先に外に出る。やはり、外は真っ暗で、空気がとても澄んでいた。ただ、凄く寒い。
「家に戻ったら、駄目か?」
外に出て数秒後、徐にボヤく。無風ならまだ良いが、時折、強い冷たい風が吹いてくるのだ。
「子供は風の子と言うだろう?」
「はあ?意味わかんねぇよ!寧ろ、風邪を引くだろうが!」
会話が上手く噛み合わないまま、ガタガタと立て付けの悪い戸が閉められていく。
「吠えるな、喧しい。近所迷惑だ」
戸の施錠を確認し、鮫島が冷たく言い放った。
「なっ……!」
また、俺を犬扱いしやがって!そのガタガタいってる戸の方が毎回近所迷惑だと思うぞ?俺は」
「あんたが、意味不明なことを言うからだろうが!」
一応、小声で喋っているつもりだ。俺を子供と言ったり、犬と言ったり、下僕と言ったり、もうガタガタじゃねぇか。自分が人間なら、それで良いのか?いや、よく考えてみると、鮫島は猫っぽい気がする。気まぐれなところが、まさに猫だ。
「少し黙っていられないのか?」
鮫島はゆっくりと動いていた筈だったが、気が付けば、奴は俺の前を歩いていた。
「あんたが喋るから俺も喋るんだよ」
俺に黙って欲しければ、あんたが黙るしかない。
「お前が喋るから俺が喋る羽目になるんだ」
「なんだよ?俺の所為だと言いたいのか?」
鮫島が此方を向くことは無い。真っ直ぐ前を向き、遅くも早くも無いスピードで歩き続ける。
「ああ、お前が悪い。お前より洋双と栄双の方が利口だな」
喋りが止まらないまま、大通りに出た。普段、昼間は車で溢れかえっている大通りだが、今は一台も走っていない。
「そりゃ、兄馬鹿って言うんだよ。別に利口じゃなくとも、何か良いところがあれば良いんだろ?」
例えば、なんだろうか?と考えてみる。鮫島の背中に視線を集中してみたが、奴が俺の良いところを分かっているわけが無いと思った。
だが、しかし
「──屋上で雀に話し掛けたりするところか?」
鮫島は厄介なことを知っていた。
「……っ、なんで知ってんだよ?」
確かに、俺は洗濯物を干しに屋上へ行った時、雀に「邪魔するけど、ごめんな」なんて話し掛けたりする。少しでも笑ってくれさえすれば、笑い話で終わるんだろうが、何を真面目に言ってやがるんだ。
「勘で言っただけだが?まさか、本当に雀と会話をしていたのか?」
だから、勘が鋭いやつは嫌いなんだよ。
「あんたなぁ!」
「煩い、唸るな」
振り出しに戻った。ぐぬぬ、と怒りを抑えつつ、同じような会話を繰り返しているうちに辺りが、やっと明るくなってきた。どのくらい歩いただろうか。
「黙れ。いい加減にしないとその口を塞ぐぞ?」
何度目の制止か分からないが、今更、口を閉じる気は無い。
「やってみろよ。あんたが黙ったら、俺も黙ってやるよ」
あんたなんか怖くない、という雰囲気で挑戦的な発言をした。果たして、一体、どうやって俺の口を塞ごうと言うのか……。
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