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妄想リリィ②

 ◆ ◆ ◆ 「それで?お味は如何ですか?」  そう言ったのは、鮫島だ。変な喋り方をする。 「普通に美味いですけど?」  鮫島が俺の口を塞ぐために使ったもの、それはコンビニの肉まんだった。道路の途中で、俺がクシャミをした隙に、忽然と消えたと思ったら、脇のコンビニで購入していたのである。 「餓鬼」 「うるせぇ。餓鬼と言うな」  俺を黙らせる作戦は失敗に終わったみたいだがな。しかし、ここで必然的に鮫島との会話は中断されることになった。  だいぶ、鮫島宅の方に戻って来ていたと思う。 「あれ?西海史じゃないか?」  突然、声を掛けられた。それは、細い路地の横を通り過ぎようとした時だった。その声に前を歩いていた鮫島も足を止める。 「やっぱり、西海史だよな?」  横から、声の主がこちらに駆けてきた。眼鏡を掛けた190くらいありそうな長身の男。年は三十半ばくらい。髪型は天パー風にうねるやや短い黒髪……。 「あ……!」  ぱっと見、分からなかったが、気が付いた。 「鷹宮さん!眼鏡の所為で分からなかった!」  誰か分からなかった顔が、一度特定されると、その人に見えてくる。 「お前は昔から、そうだよな。いい加減、外で見る俺の顔も覚えてくれよ」  大声で笑いながら、俺の髪をワシャワシャと掻き乱す鷹宮さん。この人の眼鏡は伊達だ。鷹宮さんとは、昔からの付き合いで、つい先日まで、仕事も一緒だった。俺にとっては兄貴みたいな存在で、よく飯に連れて行って貰ったり、遊びに行ったり、部屋に泊まったりしていたのだが、職を無くしてから音信不通になっていたのだ。 「元気にしてたのか?連絡取れなくて、お前の家族も心配してたぞ?」  何故、俺の家族が心配していたことをこの人が知っているのか。 「まあ、生きてはいますよ。この通り」  グーを作り、軽く鷹宮さんの身体にパンチする。 「そうか、そうか。そーいえば、社長が事務所に戻って来て良いって言ってたぞ?お前にやる気があるなら、って」 「え!それ、本当ですか!?」  多分、今、鷹宮さんを見上げる俺の目はキラキラと輝いている。 「本当に決まってるだろう?俺がお前に嘘吐いたことあるか?」  俺の頭に手を乗せたまま喋る鷹宮さん。まあ、よくやられていたから慣れっこだ。 「コーラだって言われて口に含んだら、うがい薬だったって、ことならある」 「おまっ、もう、それ忘れろよ」  がははっ、と鷹宮さんが腹を抱えながら笑っている。 「いや、あれは無理」  つられて俺も笑ってしまう。 「スエキ」  横から名前を呼ばれ、引き戻される。しまった、鮫島の存在を忘れていた。何故、真面に俺の名前を呼んだのか知らないが、非常に珍しい。面と向かって呼ばれたのは、たったの二回目か? 「ああ、この人、先輩の鷹宮さん。で、鷹宮さん、この人は鮫島さんです」  それ以外に説明出来ない。 「どうも、鷹宮です。西海史がいつもお世話になってます」  少し離れた所に居た鮫島の方に鷹宮さんが近寄って行く。 「いえ、こちらこそ」  握手をするようなタイプでは無いと思っていたが、鮫島はあっさりと手を差し出した。握手を交わす笑顔の鷹宮さんと無表情な鮫島。俺は、どうしたら良いのか、分からなくなった。 「鷹宮さん、どうして、こんなところにいるんですか?ここ、家から遠いですよね?」  まさか自分の発言で墓穴を掘るとは、夢にも思わない俺だ。取り敢えず、何か喋ろうとして出たのが、この質問だった。 「飲み仲間から誘われてな、遥々来たんだよ。そうだ、お前も今度一緒に飲みに行こう」 「いや、俺は……」  心臓がバクバクいっている。鮫島さん、あんた、何も言うなよ?心の中で願うばかり。奴は俺の視線なんざ気が付かないんだろうな。だから、 「駄目だ、コイツは直ぐに酔っ払う」  願いが通じなかった。 「酔っ払う?そりゃ、嘘だ。どんだけ飲んでも顔色ひとつ変えないのが、コイツですよ?」  今まで握手をしていた鷹宮の手が此方を指してくる。ああ、どう弁解しようか。 「いや、時と場合によります」  嘘をつきながら、「もうやめてください」という視線を送ったが、鷹宮さんも気付かなかったようだ。 「嘘つくな。お前、飲み仲間との耐久レースに何回勝ってると思ってんだよ?」  ニヤニヤと笑いながら、どんどん俺の殻を剥ぎ取っていく鷹宮さん。そうだった、この人、まったく空気読めねぇんだった。鮫島の顔が見れない。ただ一つ救いだったのは 「鷹宮ー、もう一軒行こうぜー」  ベロンベロンになった飲み仲間が鷹宮さんを遠くから呼んでくれたこと。 「谷内やち、もういい加減にしとけー!帰るぞー!──じゃあ、西海史、必ず今度飲みに行こう。それと、待ってるからな?」  再度俺の方に戻ってきた鷹宮さんがニッコリと笑う。伊達眼鏡の奥には、前と変わらないハンサムな顔があった。 「了解」  戻る戻らないは別として、そう言うしか無かったのだ。再度、「じゃあな」と俺に告げ、鷹宮さんが路地に戻って行く。 「谷内(やち)!吐くなら、そんなに飲むんじゃねぇよ!馬鹿か、お前は!」  本気で怒っているわけでは無いと直ぐに分かった。最後の方は笑ってしまっている。 「ご、ごめっ」  謝っている男は見たことの無い人物だ。鷹宮さんと並んでいる所為で小さく見えるが、きっと背はそんなに低くは無い。金髪にピアスなんて風貌だから、不良のイメージが俺の脳裏に焼き付いた。とても仲が良さそうで、鷹宮さんと笑い合っている姿は微笑ましく思えた。こちらも自然と口角があがりそうになる。  しかし、横からの冷たい視線に俺の顔は引きつった。 「なんだよ?」  つい、威圧感に黙っていられなかったのだが、その問いにジト目は何も答えてくれない。鮫島の頭の中に溢れかえっているタイトルをいくつか拾ってみようとイメージしてみた。《鷹宮という男、何者だ》《スエキ、酒に負け知らず》《お前、全て覚えているだろう?》の三本です。いや、自分で言って意味が分からんが、恐らく、こんなことを考えているだろう。 「言っとくけどな、酒に強かったのは昔の話で、今は本当に覚えてないくらい酔っ払うし、多分、あんたに迷惑掛けたりしたかもしれないが……、だから、その、今はそんなに酒には強くない」  相変わらず、スッキリと纏めた発言が出来無い俺だ。鮫島に言われる前に先に言っておく。まあ、大半が嘘で固められているわけだが。一言も発しない鮫島の前では何もかもが無意味だった。もしかして、怒っているのだろうか?一体、何に?俺が嘘を吐いていたからか?まさか、そんなことで?まったく見当がつかない。  悩んでいる俺を置き、黙ったまま静かに歩き出す鮫島。そんな後ろ姿を「なんなんだよ……」とボヤきながら追った。だが、意外と前を歩く奴の速度が速い。そして、小走りにしようかと思っていた矢先、鮫島がピタリと動きを止める。まだ先程の場所から数十メートルしか進んでいないが、どうしたのか。  追いつき、鮫島の左隣に並んでみる。何かを見ているのかと思い、奴の視線を追ってみたが、気が付いたら、俺に辿り着いていた。その途端、視線が逸れていった。進行方向を向いたまま、左手が此方に伸びてくる。  俺は鮫島から何かを借りていただろうか?コートか?コートを返せと言っているのか?いや、でも、あんたも同じようなの着てるだろう。何かを返せってのは、違うな。指輪が外れないのは鮫島も知っている筈だ。んじゃ、また手を貸せってやつか。  右か?左か?くそ、時々無言になる癖、どうにかしてくれよ。  恐る恐る、左手を伸ばしてみたが、珍しく鮫島の眉間に皺が寄ったため、慌てて右手に変更した。正解だったのか分からないが、俺にとっては不正解だった。ギュっと手を握られ、そのまま奴のコートのポケットに詰め込まれたのである。 「そんくらい、口で言わねぇか。っつか、何してんだよ、ここ公道だぞ?」  言われたところで、変化が起きるわけじゃないが、真面目に意味が分からない。寒かったから、という理由だけでは不純過ぎると思う。どうせ、また、俺の羞恥心を煽って楽しんでるんだろう?なら、良かったな、あんたの作戦は功を奏した。すげぇ、恥ずかしい。せめて、辺りが明るくなる前にやって欲しかった。 「いつまで黙りを続けるつもりなんだよ?俺、黙ったら死ぬ人間なんだが、どうする?」  よく言うだろう?誰が言ってたか、忘れたが、見たことない番組に出ていたアイツも読んだことない小説の主人公も、きっと言っていた。 「勝手に死ねばいい」  ボソリと鮫島が言い放った。言っていることと、やっていることが矛盾している気がする。一体いつから、毒舌キャラになったのか。確かに少々俺様なところはあるが、他人に面と向かって酷いことを言うような人……、だったな。通常運転に近いが、絶対に鮫島は怒っていると確信した。表情に現れないのが、非常に厄介だ。 「……っ」  何かを言い返そうにも言葉が見つからない。ごもごもと「そりゃ、ねぇだろうが」と呟いてみたが、恐らく、鮫島は気にしていない。その証拠として、俺の手を自分のポケットに突っ込んだまま、奴は平然と歩き出した。もし、誰かに見られたら、どうするのだろうか。鷹宮さんを除いて、ここら辺で俺は別に知り合いなど居ないから良いが、あんたは違うだろう。二人して罰ゲームと書かれた襷たすきでもつけて帰るか?まあ、売ってる場所を知らないが。  兎にも角にも、もうすぐ鮫島の家に着く。あの水色の看板の下、そこを曲がって、裏に入れば、この茶番も終わりだ。誰も居なくて幸いだったな、と思う。  そして、予想通り、裏に入った途端に俺の手は解放された。寒さの中に放り出され、俺の手が冷え始める。ガタガタと裏の戸を開けた鮫島が、そそくさと家の中に消えて行った。こちらを一度も振り返らずに。 「はぁ……、何を怒ってんだか……」  独り言を吐きつつ、ゆっくりと階段を降りて行ったのだが、既に鮫島の姿は無かった。

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