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妄想リリィ⑩
◆ ◆ ◆
まだ、誰も起きていない早朝のことだ。
「やめろ、触んな」
シャツの中に入り込んでくる手を必死に止める。目を覚ました鮫島は己の発言を忘れては居なかった。起き上がれない俺を今すぐにでも食ってやろうという様は、まるで、冬眠から目覚めたばかりのデカイ熊みたいだ。何か、奴の動きを止められるようなことを言わなければ。
「あんた、サクノが好きなんだろう?なんで、俺にこんなことをしたがるんだ?」
止まれ。
「サクノ?」
ボソリと呟く鮫島。寝惚けたフリでもする気か?そんな寝起きに見えない目をしやがって。
「そうか、サクノが可愛いからか。そりゃ、あいつには、こんなこと出来ないよな?」
動きを止めようとしない奴の腕をぐっと掴む。
「安易にサクノの名前を呼べるくらい、あいつのことが好きなんだよな?だから、俺を身代わりにしてるんだろ?サクノが可愛いから……」
俺は何を言ってんだか。同じ言葉の繰り返し。まるで、己が鮫島に愛でられることを望んでいるかの様。でも、俺は別に、あんたに愛されたい訳じゃない。
「本当にサクノだと思うか?」
やっと、手の動きが止まった。その代わり、至近距離から冷たい眼差しに見つめられることになる。
「は?俺の妹が可愛く無いとでも言いたいのかよ?」
ムカつく野郎だな、サクノは可愛いに決まってるだろうが!
思わず、苛立ちで俺の眉間に皺が寄る。
「違う」
「んじゃ、何だ?妹のサクノより、俺の方が可愛いってか?そんなことねぇよな?だって……」
「そうだ」
冗談の筈だった。
「……嘘だろ?」
見開いた目が乾いていく感覚。
「嘘なものか」
乾いた目に映るのは、珍しく笑った鮫島の顔。優しい顔、俺が嫌いになれない顔。俺が唯一、奴を"認めた"表情。こんな時に、そんな顔をするんじゃねぇよ。卑怯だ。
「実の妹に嫉妬するな」
サクノに妬いた覚えなど無い。
「お前は本当に単純で、馬鹿で、可愛い奴だよ。今、俺が、そう思えるのはお前だけだ、安心しろ」
鮫島が、俺のことを可愛いと言った。
ハッキリと、今、ハッキリと。
「あんた……、相当、眼がおかしいよな?」
戸惑いから、思わず奴の額に手を伸ばす。熱でもあるのでは無いかと疑ったのだ。
「今更、何を言っている?お前の所為だろう?」
大人しく俺に熱を測られている鮫島が言う。
「俺の所為にすんな。俺だってな、あんたの所為で毎日、苛々するんだよ。だから、あんたに……」
話し掛けない様に努力した。鮫島に熱など、無い。あるのは、日本人とは思えない高い鼻と、眼と近い茶色の眉、それと、俺の嫌いな、嫌いになれない瞳。
「……惚れたのか?」
「なっ!勘違いするなよ!ふざけるな!」
至近距離で馬鹿なことを言う鮫島を必死になって、押し退けようとする。この胸にある騒ついた訳の分からん気持ちも、あんたと一緒に何処かに押し退けられれば良い。
「お前は、どれ程俺に耐えさせれば気が済むんだ?」
「何のことだよ?」
先程とは打って変わって眉間に皺を寄せた鮫島だが、実は奴の言葉の意味を俺は理解していた。こんなこと、気付かなければ良かったのにな。運悪く、俺は気が付いていた。俺の「嫌だ」という一言で、あんたが耐えていたことを。俺を抱こうという気持ちを抑えつけ、我慢していたことを。
「まだ、何か言いたいことはあるか?」
俺の心を読んだかのように鮫島が言う。そのまま、ググッと俺を畳に押さえ付けた。
「あんたは……」
ボソリと呟きながら、それでも拒否はしない。拒否はしないが、受け入れもしない。このままでは抱かれたくない。だが、次の奴の答え次第で、決心しようと決めた。
「なんだ?」
すっかり真顔に戻った顔が冷静に返してくる。
「あんたは、どう思ってんだよ?俺のこと」
ただ、純粋に鮫島の本当の気持ちが知りたくなった。理由が欲しい。俺が、あんたに抱かれる理由が。
「逆に聞こう。お前は、俺をどう思っている?俺の答えはお前と同じだ」
質問に質問で返された。まるで、自分は俺の何もかもが分かっています、みたいな言い方だ。
「ふざけるな!俺の答えは、ずっと変わらねぇんだよ!あんたなんか……!」
「スエキ……」
俺の言葉を遮るように鮫島が俺の名を呼んできた。名前なんざ、呼ぶな。
「あんたなんか……!」
声が震える。それでも、俺は自分の名を呼ぶ男を必死に睨みつけた。
「嫌いに決まってるだろうが!」と怒声を飛ばそうとしたが、その言葉が一向に出て来ない。
「スエキ……、愛してる」
至近距離で囁かれる、たった一言の甘い言葉。俺の髪を優しく梳く手が、もどかしい。
「……っ、くそったれ」
何故だか、両目から涙が溢れた──。
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