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妄想リリィ⑪

   ◆ ◆ ◆ 「つまり……、鮫島さんは、お兄ちゃんが、必要だって言いたいんですよね?」  重たそうなピンクのキャリーケースを転がしながらサクノが言う。玄関までの道程が長く感じられる。玄関を目前にして、地上までの階段をコレを持って登らされることは目に見えていた。 「ああ、その通りだ」  仕事の合間を見計らって、なんて言っていた鮫島だが、サクノを見送る気は満々だっただろう。涼しい顔をしやがって、ムカつく。睨み付けてやろうと思ったが、サクノと一緒に実家に帰らされたくない俺は口にチャックをし、必死に堪えていた。 「そうですか。分かりました。私、帰りますね」  答えは意外とアッサリしていたが、寂しそうな表情のサクノ。帰りたくないのだが、サクノの顔を見たら一緒に帰ってやりたくなった。だから、俺は一緒に帰ってやりたい気持ちを押さえつけるので精一杯になる。それを良いことに、また鮫島が「サクノ、そんな顔をするな。また好きな時に来れば良い」とサクノの頭を優しく撫でたのだった。 「はい!ありがとうございました!」  元気良く返事をしたサクノが、これまた元気に重たいキャリーケースを持って階段を上って行く。え?あれ?と思っている間もなかった。急いでいたのだろうか?サクノは一度も振り返らず、去って行った。残された俺の横には、相変わらず無表情の鮫島がいる。 「なんだよ?」  鮫島が一向に部屋に戻ろうとしないため、気不味くなり、思わず問い掛けた。 「サクノの方が、お前より何倍も演技派だな」  チラッと此方を見た鮫島が冷ややかな目で、俺を鼻で笑った。 「は?そりゃ、どういう意味だ?」  嫌でも眉間に皺が寄る。 「さあ?どういう意味だろうな?」  鮫島が面倒臭そうに返事を返す。欠伸をしているところを見ると、真面目に答える気は無いらしい。 「俺が聞いてんだよ」 「ほう、今日の昼はフレンチトーストか」  全然、話を聞いてねぇし。 「俺が、そんな洒落たもんを作れると本気で思ってんのか?残念だったな、そもそも、食パンがねぇんだよ」  ニヤリと笑いながら言ってやった。幸いにも、食パンは何日も前に食べてしまって、今は置いていない。材料が無いのだから、諦めるだろうと思ったが、俺のその考えは甘かったようだ。「ほら、買ってこい」と手渡されたのは、あの忌々しいトラップに使われた千円札だった。 「迷子にだけは、なるなよ?」  スッと移動した鮫島が、ゆっくりとソファに腰を降ろした。 「なるもんか!」  結局、部屋に戻んねぇのかよ。 「ああ、これは、煩い犬が居なくて仕事が捗るな」  ノートの真っ新なページをまじまじと眺めながら鮫島が言う。 「おい、そんなこと言うと本当に帰って来ねぇぞ?どうすんだ、帰って来なかったら」  困るのは俺だ。しかし、意地悪く言いたくもなる。 「問題無い。何処に居ても、お前を見つけ出してやる」  そんなこと微塵も思って無いような無表情な顔がチラッと此方を向いた。 「恥ずかしいこと言ってんなよ」  聞いている此方が恥ずかしくなる。時折、鮫島を嫌いだということを忘れそうになる。そんな自分にムシャクシャして、折角のピン札をクシャクシャにしてやった。どうせ使ってしまうのだから、関係無い。 「いってきます」と心の中では呟いて、静かに表の玄関から外に出る。今日は少しだけ、外の空気が暖かい気がした。また一つ、季節が後退していく。新たな季節の始まりは、喜ばしいことなのか、喜ばしくないことなのか……。分からないが、今日も一日が何食わぬ顔で過ぎて行った。

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