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逆転アディクション⑤

   ◆ ◆ ◆ 「……多栄子さんにオムライスの話したのは洋世か?」  洋世の車の中、いつもの定位置に座り、隣に話し掛けた。ずっと、気になっていたのだ。洋輔と鮫島は会話をするような仲では無さそうだった。ならば、話したのは今隣に居る洋世しか居ないのだが……。 「あー、あたしは、あの家族とは関係ないから。全然、面識も無いし……、だから、あたしじゃない」  赤い縁のメガネを掛けた顔がチラッと此方に視線を送ってきた。 「そうか……」  そこで初めて、鮫島が直接、多栄子さんに言ったのだと気が付いた。何故、多栄子さんは、わざわざ嘘を吐いたのだろうか。言わないでくれと頼まれでもしたのだろうか。分からない。  もう一つ、分からないことがある。洋輔と洋世だ。鮫島の実の弟。俺が思うに、洋輔と洋世は同一人物で、鮫島と仲が悪いのが洋輔、仲が良いのは洋世だ。洋世になら聞ける気がしたが、今は二人の謎を聞けるような雰囲気では無い。  俺の心にも、そんな余裕は無い。鮫島は、何故、死んだのだろうか。いや、そもそも、本当に死んだのだろうか?あの洋世の真剣な顔、居ると思っていた部屋からの鮫島の突然の消失。本当のことなのかもしれない。  いつ死んだのか気付かなかった俺が馬鹿みたいだ。あんなに近くに居たのに。あの人が居なくなって、喜ばしい。冗談だったら、そう思っていた。だけどな、本当はそんなこと思えねぇんだよ。 「……ところで、何処に行くんだ?」  洋世でも誰でも無く、俺自身が作り出している重たい空気をどうにかしたいが為に話題を替える。 「史に会わせてあげる」 「良いのか……?俺は家族でもなんでも無いんだぞ?」  鮫島さんは、沢山の人に惜しまれるのを望むタイプじゃないと思ったんだよ。 「史も、きっとそれを望んでるから」  そう言って、洋世が一番哀しそうに笑った。その表情を見て、また一段と俺の胸が締め付けられる。 「でもさ、史って最低な奴だよね!あたしのことも、あんたのことも置いて、一人でいっちゃうしさ!ほんっと、何考えてんだか!」  怒っているのか、笑っているのか分からない。 「あんな奴の何処が良かったの?」  外は暗くなったというのに、洋世は見計らったかのようにサングラスを掛け始めた。表情を隠すためだろうか。 「何処って、別に……」  そうか、俺は洋世に鮫島に片思いをしていると言ったんだったな、そういえば。 「でも、あたしと付き合ってはくれないんでしょ?好きだったんだもんね、史のこと。本当は今でも、好きなんでしょ?」 「やめろ!違う……」  咄嗟に返事をしていた。自分の本当の気持ちが分からなくなる。俺は一度も鮫島を好きだと思ったことは無い。寧ろ、嫌いだ。だから、避けていた。避けていた……、筈だ。 「じゃあ、あたしを好きになってよ。あたし、このままじゃ独りぼっちになっちゃう」  大きな声では無く、小さな声だった。まるで、押し寄せる何かに耐えているような、そんな声。正直、洋世を好きになってしまっても良い気がした。鮫島みたいにコミュニケーション能力は欠損していないし、同じ者を亡くした同士だ。 「洋世……」  それでも、イエス、と言えないのは……。 「じ、冗談!冗談だから!今のはあたしのただの弱音だから!気にしないで!ほら、着いたし」  洋世もノー、という答えを聞きたく無かったのかもしれない。地下の駐車場、洋世の乱暴な運転の所為で、車のタイヤがキキーッという甲高い音を立てたのが聞こえた。 「史にとって思い出の場所。スエキチ、会いに行ってあげて、あたしは行けないから」  そう言われ、自分が見知った駐車場にいることに気が付いた。外に出て、それは確信に変わる。鮫島に連れられて何度も来たことがあるホテルの駐車場だ。最近のホテルは告別式もやらせてくれるのか、と思った。俺はそういうのに詳しくないし、疎いがな。 「ありがとう、洋世」  洋世に別れを告げ、黒いスーツに黒いネクタイを身に纏った俺は、静かにエレベーターに乗り込んだ。周囲の雰囲気が、いつもと違った気がした。

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