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逆転アディクション⑥

   ◆ ◆ ◆  洋世に何階なのか聞くのを忘れたが、鮫島にとって、良くも悪くも思い出の場所といえば、この会場しかない。エレベーターを降りた先、会場前のフロアには誰も居なかった。存在する筈の受付も収納されてしまっている。ひっそりと、家族葬にしたのだろうか。だから、面識のない洋世は来れなかった。実の弟だというのに……。  やはり、俺も来ては行けなかったのではないか、と思う。別に俺は鮫島にとって、特別な存在では無かった筈だ。ただの居候。俺もあんたが居なくなって、意外となんとも思っていないみたいだ。  不思議だよな。別に悲しくないんだよ。涙も出ない。あんたが居なくとも、俺は生きていける。そんな気さえしている。そうだ、誰にも会わず、このまま逃げ出してしまおうか。いや、洋世の代わりに鮫島に会うべきかもしれない。なんて声を掛ければ良い?この度は?そんなこと、会ってみれば何とか成るか。  たった一人、大きな扉の前で悩みに悩み、数分後、やっと俺は取っ手に手を伸ばす決心をした。驚くほど冷たい取っ手だ。中もきっと……。  ゆっくりと、いや、勢い良く扉を開けた。折角冷やしてある部屋に暖かい空気を入れてはいけない、と急いで一気に中に入った俺が悪かった。会場を間違えたのだ。やはり、洋世にちゃんと場所を聞くべきだった。  盛大なパーティーの中に、一人、黒い喪服の男。目立ってしょうがない。隣の会場か?と思い直し、そろりと壁際を歩いて別の扉から廊下に出た。細い廊下には誰も居ない。扉を閉めると煩いパーティーの音が一切聞こえなくなった。  角を曲がったところで、やっと一人の男に遭遇する。一瞬、背格好から鮫島だと誤認したが、よく見れば全くの別人だった。男から目を逸らし、居るはずの無い面影を探して歩き回る。鮫島は死んだのだ。探す必要など、微塵もない。探す理由など、何処にも見当たらない。そう、心では分かっているのに諦め切れない。どうだって良いと思っていたクセに、探し続けている。鮫島の眠っているであろう部屋では無く、鮫島自身を。……もう一度だけ、会いたい。 「鮫島さん!」  気付けば、俺は知らず知らずのうちに一人の男の後ろ姿を追いかけていた。後ろ姿と云っても、男の動きは素早く、非常階段へ続く扉の中に消える瞬間しか見えなかったのだが、鮫島に似ている気がしたのだ。俺の脳が生み出した幻覚かもしれない。しかし、幻覚なら、何故、逃げる必要がある?男は俺から逃げているように見えた。間違っているなら、それで良い。  ただ、確かめてみようと思ったのだ。扉を抜けると非常階段を下っていく足音が聞こえた。男は確かに存在している。  淡い期待を抱き、只管に後を追ったのだが、早くも男を見失ってしまった。一つ下の階、今日は予定が無いのだろうか、ガランとした小さな会場だ。上の会場と同じ、豪華さは変わらない。歩くスピードを落とし、開いたままの右奥の扉に近付いて行く。酷く息苦しい。走った所為だろうか?  本当は俺を驚かせようと思って隠れているんだろう?そんなサプライズいらねぇよ。 「……どうして、お前が此処に居るんだ?」  まるで、信じられない、と云いたげな声音だ。信じられないのは、此方の方なのに。奴は隠れてなんざ居なかった。奥の扉では無く、俺の後ろに居たのだ。 「洋輔だろう?あんなに連れて来るなと言っておいたのに、あいつは全く言うことを聞かないな」  俺の背に話し掛け続ける鮫島。あんた、一体、どんな顔をしてるんだ? 「……っ、なんでだよ!」  やっと、騙されたのだと気が付いた。頭が悪い自分にも、俺を騙した洋世にも、俺を一人置いて行った鮫島にも苛々して、気付けば俺は…… 「っ、何故泣いている?その格好はなんだ?」 「うるせぇよ!あんたが……っ」  泣きながら鮫島の上に馬乗りになっていた。いや、最初から泣いていたのかもしれない。道理で息苦しいわけだ。 「あんたが死んだって言われて来たんだよ!……あんた等、最低だ!」  鮫島の胸倉を掴み、綺麗に整ったシャツをグシャグシャにする。ポタポタと垂れる涙がスーツの色を疎まばらに変えた。 「馬鹿だな。洋輔に騙されたんだよ、お前は。俺は何もしていない」 「俺を置いて行っただろうが!なんで……っ、なんで黙って居なくなったんだよ!」  俺は理不尽だ。自分が黙って居なくなることは許されるのに、鮫島が黙って居なくなることは許せない。 「お前が居なくなると思ったんだよ」 「……俺が?」  止めどなく流れてくる涙を手で必死に拭いながら答える。 「今日が何の日か知ってるか?」  くそ、全く鮫島の表情が見えない。 「知らねぇよ……」 「まあ、そうだろうな」  表情は見えないが、溜息は聞こえた。 「……っ、勿体つけんなよ!」 「俺の受賞記念日だ」  つまり、本日、あんたの小説が何かの賞を獲ったと?生憎だが、祝辞を述べるような気分じゃない。 「俺が、お前に一つ頼みごとをしたのを覚えているか?」  恐らく、鮫島は下から俺の顔を覗き込んでいる。 「そんなもん……」  知るか、と首を横に振ろうとして、記憶がフラッシュバックした。  ──ゴーストライターの生活から脱するまで、傍に居て貰いたい。  曖昧で、完全に忘れ掛けていたが、確かにそんなようなことを言われたのだった。その生活から脱してしまったから、俺があんたの前から居なくなるとでも?知られたくなかったから、黙って俺を置いて行ったのか?知らないままでいれば、俺はあんたから離れていかないと? 「馬鹿じゃねぇのか……っ!」  俺の中で渦巻く怒りの感情と良く分からない感情。止めようと思えば思う程、涙と共に溢れ出す二つの感情。 「……きだ」  多分、正常な精神の俺はお留守だ。 「スエキ?」 「っ……、好きだ……」  だから、ボソリと呟いても俺の感情は止まらない。 「好きなんだよ……!」  ゴシゴシと乱暴に目を擦りながら、ぶっきら棒に言い放った。異常な精神の俺が、脳の回路を無茶苦茶にして操っているに違いない。 「あんたが好きなんだ……」  こんなこと、普段の俺なら絶対に言わない。言ってやるものか。目を擦る手が静かに取り払われていく。鮫島の片方の手で腕を掴まれ、もう片方の手で真っ黒なネクタイを引っ張られた。 「気付くのが遅いんだよ、この馬鹿犬」  確実に近付く、互いの鼓動。 「ん……っ」  ただの触れるだけのキスから深いモノへと変わっていく瞬間、これは恋なのかもしれない、と思った……。

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