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逆転アディクション⑦

 ◆ ◆ ◆  後日、というか、次の日、偶々、洋世がうちに来たので、鮫島を勝手に殺した理由を尋ねてみた。 「え?それは……」  本気で悪いと思っているのか、将又、言い訳を考えているのか、口籠る洋世。近くに鮫島の姿は無い。 「理由はあるんだよな?」  ソファに脚を組んで座っている洋世を見下ろす。 「……ツラかったんだよね。あたしはあんたのことが好きだから、中途半端な気持ちで居られることがツラかったの」  上目遣いで見られ、俺の中で何かが込み上げてきた。 「洋輔か……」  何か言葉を発しようと口を開き掛けたところで、部屋から鮫島が登場。 「っていうのは、嘘。単なるイジメに決まってるでしょ?この馬鹿犬」  トンっと、胸を指で小突かれた。 「馬鹿い……、なっ!おいっ!」  とことん似せて来るじゃねぇか、この二人。ただ、洋世は意地の悪そうな顔はしていなかった。かといって、笑っていたわけでもない。物憂げに軽く伏せた目が俺の脳裏に焼き付いた。その所為で何も言えなくなる。 「そうそう、灰原さん。お金、くれない?」  俺を押し退け、洋世が立ち上がった。貸して、では無く、頂戴の意。 「いくらだ?」 「十万円、これでも安い方でしょ?」  首だけ向きを変え、二人のやり取りを見ていた。こうやって見ると、仲が悪そうには到底見えない。いや、そんなことを言っている場合では無い。鮫島が何かのカードらしきものを洋世にスッと差し出したのだ。 「おい、良いのか?そんな簡単に」  思わず、口出しをしてしまった。不満そうに口を尖らせた洋世と視線がぶつかる。しかし、手は巧みにカードを鮫島から奪い取り、自らのスーツの胸ポケットに仕舞い込んだ。 「ああ……、一応、仕事は熟こなしているからな」  まるで、お前と違って、と言われているように聞こえた。 「兄さん、ありがとう。大好き」  実の兄に抱き着く様は、やり過ぎだ、と思う。 「でも……」  そう呟いたのは洋世だ。 「今度、あたしのこと洋輔って呼んだら、あいつのこと泣かすからね?」  そう続け、洋世が此方に顔を向けた。その向こう側に見えるのは、相も変わらず真顔の鮫島。 「別に構わない。あいつは直ぐに泣く」 「やめろ、バラすな」  何なんだ、さも俺のことを何でも知ってるみたいな言い方しやがって、ムカつく。 「何それ!ちょー、ムカつくんですけどー!あたしを挟んでイチャイチャしないでよ!あーあ、灰原さんにスエキチあげちゃったの間違いだったなー!」  今世紀最大の凡ミスみたいに大袈裟に言う洋世。 「勘違いするな、あいつは最初から俺のモノだ」  ゆっくりと静かな声音で言う様は、まるで小さな子供に言い聞かせているようだ。 「モノと言うなよ、モノと。俺は人間だ」  否定はするが、モノと言われることに変に慣れてきてしまった俺がいる。 「だから、イチャイチャしないでって言ってるでしょ!あたし、帰る!」  相当、怒ったらしく、俺と鮫島が何かを言う前に洋世は外に出て行ってしまった。 「何、見てんだよ?洋世、帰ったぞ?」  帰ったから何かがあるという訳では無いが、鮫島の所為だと決めつけてみた。ただ、人の顔なんざ見ていないで自分の仕事をしろと言いたかっただけなのだが、無職の俺が言える訳も無く……、その結果がコレだ。しかし、鮫島から意外な言葉が発せられる。 「いや、お前を拾った時のことを思い出したんだ」 「はあ?今の何処にそれを思い出す要素があったんだよ?なあ?」  自らの眉間に皺が寄るのが分かった。 「あんた、それ以上話すな。良いか?絶対にその時思ったことなんざ口に出すなよ?」  奴が話し出す前に俺が此処を離れれば良い話だが、どうしたものか。何故だか、動けない。 「それは、話して欲しいということか?」  一気に距離を詰められる。といっても、ヒト一人が入れるくらいの距離は辛うじて空いていた。 「誰がそんなこと言ったんだよ?俺は話すなっつったんだ!」  しかし、気にならないと言えば嘘になる。 「遠回しに言うな。知りたいのなら、素直に知りたいと言えば良いだろう?」  こりゃ、ダメだ。 「知りたかねぇよ!あんた、どうかしてる」  鮫島が一歩だけ進んで来たため、それに合わせて俺は一歩だけ後退さった。 「俺はな」 「言うなよ」  被せ気味に奴の言葉を遮る。 「家の前でお前を拾った時……」 「言うな」  再度遮るが、鮫島の言葉を止めることは出来なかった。その結果…… 「……人生初の汚点だと思った」 「は?」  全く理解不能な状況に。真顔を貫き通す鮫島とキョトンとしてしまっているであろう俺。 「もう一度、言った方が良いのか?」  鮫島がボソリとそんなことを言う。 「要らねぇよ!なんで二回も言うんだ?」  同じことを二回言えば、俺が理解出来るとでも思ったのか! 「何故、そんなに怒っている?」  その問い方は、まるでロボットだ。あんた、感情を何処に置いてきたんだよ?っというか、人生初の汚点って、なんだ?俺の存在すら駄目だと言っているようなもんじゃねぇか! 「俺、今日はあんたと口利かねぇ」  外方を向き、ぶっきら棒に言い放つ。あんたと口を利かなくとも一日ぐらい、楽勝で生きられる。 「一日か……」  ボソッと鮫島が呟いた。奴の視線を感じる。  あれか?一日じゃ足り無いってか?なら、三日くらいにしてやっても俺は大丈…… 「一日ならば……、堪えられる」  まるで、悩んだ末の結論みたいな言い方だ。馬鹿じゃねぇのか。なんなんだ、そりゃ。あんたの口から何を聞いてもイライラする。 「……っ」  直ぐに言い返してしまいそうになる。あんたがどんな反応をするか、って。何か返事をしてしまいそうになる。 「ああ、そういえば……、洋輔に礼を言うのを忘れていた……」  堪えるために部屋を移動しようと試みるのだが、またしても奴は俺の気になるようなことを口にした。ボソリ、ボソリと。  はて、洋輔に礼とはどういうことだ?  立ち止まり、思わず鮫島の方を見てしまった。すると、「まあ、あいつなら言わなくとも分かっているだろう」と、珍しく独り言を言い続ける鮫島と視線が合ってしまい、気付く。奴は意図的にやっているのだと。 「そうだよな?」  なんて言いたげに、視線が俺に問い掛けてくるのだ。だが、俺は「構うものか」と奴がいつもやっているように鼻で笑ってやった。しかし、それでも鮫島は視線を外そうとしない。俺も外す気はない。まるで、我慢比べのようだ。こちらから外してしまったら負けな気がする。眉間に皺を寄せ、自分では一番イカツイと思っている顔で鮫島を睨み付けた。 「酷い顔だな。初めて会った時の顔よりはマシだが」  真顔で言われ、ムカッと来たが、冷静に考える。初めに見せた顔といえば……、俺が鮫島に媚びた時のヤツか。鮫島に「馬鹿な顔」と言われた表情だ。あの時のことなんざ、思い出したくも無い。 「ほら、そんな顔をするなら、こっちに来い」  相変わらず俺を犬だと思っているのか、鮫島が軽く手招きをする。何故、手招きなのか。手を差し出された方が、俺は釣られる可能性が高いってのに。そんなこと、知りもしねぇし、考えもしねぇんだろうな。そもそも、「そんな顔をするなら、こっちに来い」とは、どういう意味なのか。俺は睨み付けていたつもりだが、あんたには物欲しそうにしてる顔にでも見えたのか? 「来ないのか?」  手招きを辞め、鮫島の手が降ろされていく。諦めたか、と思われたが、それは全く違った。 「来てはくれないのか?」  降ろしかけた手がこちらに差し出され、更に珍しく奴が小首を傾げたりなんざするから、非常に俺の心が揺れた。いや、現在進行形で揺れている。セコいし、卑怯だ。鮫島は完全に俺を落としに掛かっている。  俺よりも背が高く、ガタイも良い鮫島という男は、時折ネコ科動物に変身を遂げる。気まぐれな性格は日常茶飯事見せてくるわけだが、時にこの人は……。  くそ、行くべきでは無いと頭が言っている。だが、勝手に動く体を止めることが出来ない。気付けば「やはり、良い匂いがする」と、思う程に奴に近付いていた。抱き締めるわけでも無いクセに近過ぎるってのは自分でも分かっている。 「お前、もう少しマシな表情は出来ないのか?」  あんたに言われたかねぇよ。その表情とやらを見られないように、黙ってこんな至近距離にいるんだよ、と言ってやりたくなる。我慢しろ、俺。 「……可愛い顔をしてみせろ」  理不尽な命令と共にフッと耳に息を吹き込まれた。我慢するんだ、俺。 「……俺が、させてやっても良いぞ?」  更に耳に吹き込まれる。我慢…… 「この変態……!」  なんざ、出来なかった。 「ほう、喋る気になったのか」  珍しくペラペラと喋る普段無口な鮫島に、まさかそんなことを言われる日が来るとは、夢にも思っていなかった。 「あんた最低だぞ!」  怒りに身を任せ、今更だが奴から離れようとしたが、時は既に遅い。ググッと鮫島を押し退けようとする俺の力よりも強い力で奴に引き寄せられたのだ。いつの間にやら俺と鮫島との間には腕を入れるスペースなど無くなっていた。 「俺は表情の事しか言っていない。何を勘違いしたのか知らないが、一方的に卑猥なことを想像したのはお前だろう?この馬鹿犬が」  鮫島が冷たい口調で言い放った。怒ったのか? 「は?んなことしてねぇよ!」  マズイかもしれない、と思った俺は必死に応戦する。 「しただろう?例えば、俺に触れられるとか……。お前、その妄想癖どうにかした方が良いぞ?」 「だから、してねぇって……くそっ、やめねぇか!」  互いの体が密着した状態で鮫島の右手が容赦無く服の下を這う。ググッと身体を後ろに押された瞬間、俺の足元でパキッという音がした。なんだか分からないが、このままだと踏み潰してしまう。そう思ったのが運の尽き。 「ぬぉっ!」  どうにか避けようと、足を変な場所に着き、俺はバランスを崩した。着地位置は他の何処でも無い、黒い皮の長ソファの上で、鮫島が覆い被さって来る前に、一瞬、パキッという音を立てた物体の正体が見えた。「あら、ごめんあそばせ」みたいな顔をして、洋世のサングラスが床に無造作に転がっていたのだ。  鮫島もそれに気が付いたのか、徐に携帯を取り出し、電話を掛け始める。恐らく、洋世だ。その隙に俺は身体を起こし、ソファに普通に腰掛ける形になっただが、それも無意味で、片膝をソファに着き、真ん前から鮫島が迫ってくる。 「もしもし、洋す……洋世か?お前、忘れ物をしただろう?」  そんな鮫島の問いに携帯の向こう側が喧しい。何かを言っている声がする。それを聞きながら、携帯のマイク部分を押さえ、鮫島がとある言葉を囁いてきた。「服を脱げ」と。突然のそんな発言に、俺は目を見開いて固まった。 「……なっ!脱がねぇよ!」  反論したのは数秒後。鮫島が電話をしている所為で大声を出すわけにもいかず、微かに小声になる。 「手の掛かる奴だな。──ん?ああ、こっちの話だ。取り敢えず、戻って来るなら二時間後にしろ」  洋世と会話をしながら、俺のシャツのボタンを器用に片手で外し始める鮫島。電話の最中に、んなことをする奴があるか!と鮫島を睨み付けたが、意味を全く為さない。脱がし難い服で良かったとは思うが、代わりに時間が掛かり、羞恥の中に長い間晒されることになる。  この状況から脱するためには、奴の動きを一瞬でも止め、何処かに逃げるしかない。力強く抱き締めたところで奴の動きは止まらないだろう。何か、何か無いのか?もっと、手っ取り早く鮫島の動きを完全に止める方法は?上手く考えが浮かんで来ないのは、鮫島が最後のボタンを外すのにわざと手間取っているフリをするからだ。 「それは無理だな。今、取り込み中だ」  まるで大仕事をしているみたいな言い方を電話の向こうに言い放つ鮫島にイラッとした。  人の服を脱がしているだけだろうが!  反撃しようとすれば鮫島は俺の弱い部分に触れてくる。だから、奴の手を止められないで居るのだ。だが、奴の動きを封じたい。これしか……、無い。 「そう怒るな。今回はお前のお陰で……っ」 「ッ……」  話している途中にタイミングを見計らって、鮫島の唇を奪ってやった。といっても、単なる一瞬触れるだけのキスだ。鮫島の動きは見事に止まった。ただし……、俺がニヤリと笑う余裕も無い程、ほんの一呼吸だけ。 「……んっ!ンンッ!」  何かの紐が切れてしまったかのように鮫島が野獣へと姿を変え、乱暴にキスをされる。まるで貪り食われているかのようだ。奴の手もとで携帯がピッと音を立てたが、直ぐに床の何処かへ転がって行った。 「……はっ!……ちょっ、ちょっと待て……くっ、ぁ」  手加減なんてものは有りはしない。鮫島は俺を強い力でソファに押し倒し、押さえつけ、俺の弱い部分を責め立ててきた。 「お前は俺を殺す気か……?」  怒りのような感情を剥き出しにしながら鮫島が言う。俺の両腕を奴は片手で容易に拘束してしまうのだから恐ろしい。 「……っ、そりゃ、あんただろうがっ!」 「それは死ぬほど、良いってことか……?」  鮫島は直ぐ、何の躊躇いも無くこういうことを言う。こんな奴に流されてたまるものか! 「ふざけるな……!」  そう吠えた瞬間、片方の手を勢い良く掴まれた。そのまま力強く引っ張られ、鮫島の胸に手を当てる形になった。何も分からない。 「俺が、ふざけているように見えるか?」  微かに奴の鼓動を感じる。 「残念だが、大真面目だ。お前の所為で、いつも心臓が壊れそうだ」  少しの温かみを持った瞳に見つめられ、うるせぇな、と思っていた音が自分の心臓の音だと気付く。それに呼応するように鮫島の鼓動を強く感じた。俺の音も奴に聞こえてしまう……。 「んなこと……、言うんじゃねぇよ」  恥ずかしさの剰り、奴から視線を逸らした。 「お前に殺されるなら本望だ」  そう囁きながら、鮫島の顔が近づいて来る。まるで俺が殺し屋みたいじゃねぇか、と思いながらも、また荒々しいキスをされるのでは無いかと身構えた。だが、しかし、一向に触れそうで触れない唇。静かに鮫島が言葉を発する。 「上に乗れ」と。 「は?」 「お前が誘って来たんだろう?自分で動け」  鮫島の言葉に一瞬で顔が熱くなる。まあ、鮫島の言っていることは間違っていない。 「くそやろう……」  いつも同じ間違いをするが、今回も今更になって自分がミスを犯したことに気付く俺であった……。

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