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断罪エスケープ④

   ◆ ◆ ◆  次の日のこと。神様ってのは、意地悪な奴なんだな、と熟つくづく思う。鮫島から離れようとすればする程、厄介なことが待ち受けているのだから──。 「スエキくん、おはよう。来てくれて、ありがとう」  その笑顔に何度助けられただろうか。今日も多栄子さんの笑顔に俺は救われている。元気なんざ、心の底から出ないのだが、その元気の無さを表に出すことだけは避けることが出来た。 「いえ、楽しみにしてました」  俺の笑顔は偽物だが、この言葉は嘘では無い。楽しみにしてはいたが、すっかり日程を忘れていた。可愛らしい女子高生たちに会える、この貴重な日を……。  初めて多栄子さんの料理教室に行った時、俺はフォンダンショコラを作った。まあ、重要なのは其処ではなく、可愛らしい三人の女子高生に出会ったこと。そして、美術学校に通う彼女たちに展覧会に誘われたことだった。 「会場、学校じゃ無いんですね」  デカイ真っ白な丸い建物を見上げ、多栄子さんに尋ねる。 「ふふっ、スエキくん、展覧会に参加してるのは学生さんたちだけじゃ無いのよ?プロも居て、高価な作品だってあるの。だから、警備もそれなりにあるところじゃないと」  バンバンと肩を叩かれる。この凄まじく広い美術館が、展覧会の会場なのか。 「さて、行くわよ!スエキくん!」  まるでバーゲンに向かう時のような意気込みだ。グイグイと引っ張られ、あまり人気の無い展覧会の会場へと足を踏み入れた。人の居ない理由は休日では無く、平日だから。そう気付いたのは、入り口付近に貼られた展覧会のポスターを見た時だった。どうやら、二週間ほど開催しているらしい。  土日は混むんだろうな。そんなことを考えながら多栄子さんに引かれ歩いていると、自分の足音が不思議と丸いドームの中で反響していることに気が付いた。 「ここが会場に選ばれた理由は、もう一つあるの。スエキくん、何か分かる?」  楽しそうな顔が俺の顔を横から覗き込んでくる。多栄子さんが喜ぶような返答が出来たら良かったのだが、俺の頭の中の引き出しには、そんなものは存在しなかった。 「うーん、分からないです」  苦笑いのような照れ笑いのような表情を顔に貼り付けた。必死に糊が剥がれないように丁寧に念入りに。そんな俺の偽りの顔を「うん!素直でよろしい!私、スエキくんのそこが好き!」一言で本物に変えてしまう多栄子さんは本当に女神みたいな人だな、と思った。家族でもなんでもない俺には「俺も好きです」と答える権利なんざ無い。 「ありがとうございます」  そう答えるだけで精一杯。 「あら、やだ!真面目に受け取らないでよ。照れちゃうでしょう?」  また、カラダをバンバンと叩かれた。悪いものが祓われている気がする。 「正解を教えてくださいよ。聞かなかったら今夜、気になって眠れないかもしれません」  お陰で冗談が言えるようになった。 「えー、どうしようかなー?」なんて言いながら、多栄子さんが理由を教えてくれた。  今回の展覧会のテーマは未来。この会場には色々と最先端なものが使われているらしく、それが今回のテーマに沿っているとして選ばれたらしい。 「この入り口も面白いでしょ?自分の歩く音が返ってくるの」  ドームになっている天井を見上げ、多栄子さんが言う。俺もつられて天井を見上げようとした時だった。 「あ、洋輔くん!」  多栄子さんが気配で気付いたのか、突然走り出した。 「はいっ!?」  俺はギョッとした。彼女が走って行く先には、あの洋輔が立っていたのだ。  何故、奴がこんな所に?多栄子さんが誘ったのか?いや、おかしい。あいつ、会場の中から出てきたよな? 「スエキくん、早く、早く!」  まるで可憐な少女のような多栄子さんに呼ばれ、俺は行かざるを得なかった。 「その人、まだ居るの?」  冷たい目つきで洋輔が胸にグサッと刺さるようなことを言ってくる。会った途端に、これだ。 「良いじゃない。私、スエキくん好きなんだもの。洋輔くんもスエキくん好きでしょ?」 「た、多栄子さん……!」  ずっとニコニコな顔でとんでもないことを言ってのけてしまう多栄子さんと焦って止めようとする俺。 「はぁ……、家族でも無いくせに」  腕を組み、洋輔が溜息を吐いた。このままだと俺の心臓が抉り出されそうだ。 「洋輔くん、そういう意地悪なこと言う子はこうしてやる!」  ぐわっ!と両手を開き、臨戦態勢になった多栄子さん。そして、 「ぐはっ……!ちょ!多栄子さん!やめ……っ」  まあ、洋輔は身を捻りながら、くすぐられている訳だ。なんだ、やけに嬉しそうじゃねぇか。小学生か、とツッコミを入れたくなったが、俺はその光景を静かに見守っていた。いつ終わるのだろうか、と思っていた時、丁度、多栄子さんの携帯がピロピロと鳴った。「お客様、館内はマナーモードでお願いします」とか言いながら、ゼェゼェしている洋輔が珍しく笑えた。 「すっかり忘れてたの。ごめんね」 「許します!」と俺は心の中で叫んでいた。目の前にいる洋輔も同じことを思っただろう。文句一つ言わず、何も無かったかのように頷いたのだから。 「はい、もしもし?あ、鮫島くん?」  電話に出ながら、多栄子さんが外を指差した。マナーを気にして、外で話すということだろう。俺は返答の代わりに「了解です」と口をパクパクさせておいた。にっこりと笑った多栄子さんが外に消えて行く。さて、問題は此処からだ。 「……お客様って、なんだ?」  尋ねるつもりは無かったんだが、気になったことを直ぐに口に出してしまうってのが俺の悪いところだ。何故、洋輔は多栄子さんのことをお客様と言ったのか、ただ、それが凄く気になったのだから仕方が無いだろう? 「は?なに?僕に神様って、答えさせたいの?そういうフザけたところ、本当に大嫌いだ」 「なっ!俺はな……」 「二人とも、待たせてごめんね」  なんとも悪いタイミングで多栄子さんが戻ってきた。しかし、様子がおかしい。多栄子さんの顔から、いつもの笑顔が消えていたのだ。 「……どうしたんですか?」  自然と尋ねていた。困った顔をした多栄子さんと目が合う。 「あのね、鮫島くんから連絡が来たんだけど、洋双と栄双が、ほぼ同時に熱を出しちゃったみたいなの」  さすが、双子!熱を出すのも一緒なのか!なんて感心している場合では無い。 「じゃあ、今直ぐ帰らないと。俺も一緒に帰りますよ」  俺が一緒に帰ったところで何も出来ないことは分かっているのだが、一人で呑気に会場を廻るわけにも行かないだろう。一度知ってしまうと心配せずには居られない。そもそも、何故こんなことになってしまったのか。双子を預かっていた鮫島が、ちゃんと二人の面倒を見ていなかったのでは無いかと疑いたくなる。まあ、奴に嫌われている俺に疑う余地は無いのだが。 「ダメだよ、スエキくんはうちの生徒さんのブースに行かなきゃ」  うちの生徒さんとは、多栄子さんの料理教室にたまに来る女子高生三人組のことだ。 「いや、でも……」 「多分、あの子たち待ってるから。私の代わりに行ってあげて?洋輔くん、案内してあげてね?それと、ちゃんと仕事するんだよ?」  多栄子さんの喋りが早口言葉のようになってしまっているのは焦っているからだと思う。 「言われなくても。何年やってると思ってんの?」  洋輔がぶっきら棒に言い放つ。  こ、コイツ!多栄子さんに何て口の利き方を!  俺がジリジリと眉間に皺を寄せていると洋輔がチラッと此方を見てきた。何なんだろうか?と思ったが、答えは直ぐに分かった。 「多栄子さん、早く帰ってあげなよ。この馬鹿犬っぽい人は僕に任せとけば良いから」  ば、馬鹿犬!?絶対に洋輔の中には洋世がいると思った。 「よし、じゃあ、頼んだからね!洋輔くん!」  おいおい、否定してくれないのか!なんて思っている間に多栄子さんは会場から去って行ったのだった。

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