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断罪エスケープ⑤
◆ ◆ ◆
「ちょっと聞きたいんだが、洋……、その、灰原……さん?」
呼び方に困り、色んな名前が出てくる。親戚がいっぱい居て孫の名前をしょっちゅう間違う爺さんみたいだ。会場二階、気付けば、俺はまるで宇宙のような空間に居た。プロジェクターで壁全体に星が映し出されている。不思議なことに人の動きに合わせて、星が動いたりするのだ。
「なに?くだらないことだったら、張っ倒すよ?ってか、本当にその呼び方するんだ?変な人だね」
「お前が呼べば良いと言ったんだろうが。俺は言われたことは、ちゃんとやろうっていう男なんだよ」
プロジェクターの映像を目で追う隣の洋輔に俺は必死に訴えたのだが、奴からは「ねぇ、今の何処に質問の内容があったの?」という皮肉な返答が返ってきた。
「っ、……お前の仕事って、何なんだ?」
ぐぬぬっと喉にせり上がってくる怒りの言葉を押し殺し、尋ねる。
「イベント会場の設営だけど?」
それが何か?みたいな顔が此方を向いた。ぱっと見、その顔が洋世に見え、ドキリとする。
「真面な仕事してたんだな」
「あんたには言われたくない。アイツの飼い犬なんだろ?あんた」
つまり、無職。時折、奴の顔にも映像が映し出される。キラキラとしたエフェクトが実に今の雰囲気と合っていない。
「確かに俺は無職で鮫島さんのところに居候はしているが、犬じゃない」
「早くアイツから離れた方が良いよ?アイツは犬としか見てないから、あんたのこと。それに……」
洋輔が言葉を切ったのには理由がある。会場に耳障りな音が響いたのだ。これも何か、未来をイメージした演出なのだろうか?それにしても、喧しい。
「なんなんだ?こりゃ」
顰めっ面で洋輔に尋ねてる。奴は、やけに難しい顔をしていた。
「警報だ」
「警報?火災報知器とか?」
天井を見上げるが、スプリンクラーは作動していない。火災で無かったならば、これは一体……?
「警報だって言っただろう?単なる誤報か、それとも、この会場で何か犯罪があったか……」
まるで怖い話をするかのように洋輔が言った。
「犯罪って、強盗とか?」
剰りにも現実味が無い。
「そうだよ」
「なら、早く此処から出よう」
会場から出るための通用口は、何個かあるのかもしれないが、俺が知っているのは入場口だけだったため、そちらに体を向ける。すると「駄目だ。こっちに」と洋輔に半ば強引に腕を掴まれた。そのまま腕を引かれ、部屋の中にある未来っぽい服を着た男女のマネキンの横、細い通路に入るように言われた。というより、連れ込まれた。男子トイレの一番奥の個室に。しかも、洋輔も同じ個室に入ってきた。
「おい、何考え……」
「しっ……」
口の前で人差し指を立てる仕草は洋世そのものだ。何故、鍵を掛けない?誰か来たら、すぐに開けられちまうだろうが。何を考えているのか、全く理解出来ない。
「スエキ、よく聞け。何があっても、絶対に物音を立てるな」と言いながら、俺を便座の方に追いやる洋輔。行き場を失った俺は強制的に便座に座ることになった。未だに危機感を感じられない俺だ。
「何、言って……」
「これは真面目な話だ。喋るのも無し」
奴の話に首を傾げた。しかし、奴が俺の名前を呼ぶということは、相当マジなことに違いない。「分かった」と返事をしようとして、俺は慌てて口を閉じた。トイレの外から、とある話声が聞こえ始めたからだ。
「俺、便所行ってくるわ」
「C、ついでに中に人が居ないか確認して来い」
二人の男の声。チャラそうな声と冷静な声だった。俺の心臓がバクバク云っている。目の前に立つ洋輔の顔色が悪い。ヤバイ奴等が来た、と直感した。徐々に近付いてくる足音。
「あー、面倒クセ」
その声に冷や汗が出てきた。
「くそっ!」
どうやら、男は隣の鍵の掛かった用具入れをこじ開けようとしているようだ。扉に鍵を掛けていない所為で、此方は尚更不安になる。しかし、声を押し殺し、耐えることしか出来ない。
床に何か金属が落ちた音が聞こえた。一つの音が床にぶつかり、散らばる。よく見ると、扉の下を通り抜け、小さなネジが此方にも転がってきていた。ノブごと外しやがったのか。
「はい、誰もいなーい」
扉を乱暴に閉める音。次いで、ちっ、という舌打ちが聞こえ、残念そうに男が俺と洋輔の居る個室の前を過ぎたのが分かった。順番に個室の前を歩いているらしい。
「なんだ、どの個室も鍵掛かってないじゃん。誰もいないや、確認オッケー」
足早に個室の前を戻っていく影が扉の隙間から見えた。男が馬鹿で良かった、本当に。
その後、男は用を足して、そそくさとトイレから出て行った。
「はぁ……、助かった」
そう言ったのは洋輔だ。機転を利かせたのは自分だろうに。いや、この場合の「助かった」は違う意味なのか?
「アイツ等は一体、誰なんだ?」
「あんたと一緒に居た僕に分かるわけがないだろう?馬鹿か?」
「痛っ!」
頭を叩かれた。なんて奴だ!
「なんで叩くんだ?もう少し緊張感を持てよ」
洋輔の顔を見上げながら必死に言い放つ。
「あんたに緊張感が無いから叩いたんだ」
顔面に人差し指を突き付けられた。洋輔が近くに居る所為で、なかなか便座から立ち上がることが出来ない。いつまで、この狭い空間に男二人で居るつもりなのか。
「わ、悪かったな。分かったから、頼む、退いてくれ」
正直に謝るのは癪にさわるが、こんな狭い空間で殴り合いの喧嘩はしたく無いからな。
「まだだ、作戦会議をしよう」
立ち上がり掛けた体を上から押された。作戦会議だと……?
「作戦会議なんてしてる場合じゃないだろ?多栄子さんの生徒さんを助けに行かないと……」
「それは問題無い。作品の運送車が渋滞に嵌って彼女たちの出展は明日に変更になったんだよ。……しまった、多栄子さんに言うのを忘れた」
やめろ、変なところでお茶目な姿を見せるんじゃない。俺は何のために此処に来たのか。
「お前、意外とドジなんだな」
また、「あんたには言われたくない」と言われるのを承知で言ってみる。すると、意外な反応が返ってきた。
「知らなかった?僕は欠点だらけの人間だ」
その言葉に反応して「俺よりはマシだと思うがな」なんてボソリと言ってしまった俺が悪かった。
「何言ってんの?それは当たり前だろう?そうじゃなきゃ困る」
眉間に皺を寄せた洋輔にグリグリと心臓を抉られている「そんなに必死にならなくても良いだろ?」と、ムッとした顔で言った瞬間だった。
「んぐっ!」
両頬を片手で挟まれたのである。こんな時に何をしやがるんだ?と思う。
「煩いし、顔が憎たらしい。少し黙って」
まさか、至近距離でそんなことを言われるとは思っていなかった。煩いし、顔が憎たらしい……。思わず、何度も心の中で再生する。やばい、駄目だ……。顔や雰囲気が似ているからか、鮫島のことが思い出される。トイレの外で何が起こっているのか分からない。もし、俺に何かがあったら、奴は悲しんでくれるだろうか。
「聞いてる?聞いてるなら頷くくらいしなよ」
俺の思考を見事に掻き消す、目の前のコイツ。今のは頷く会話じゃ無かっただろうよ?
「離へよ、いはい」
「離せよ、痛い」と言ったつもりだが、洋輔には、ちゃんと聞こえていただろうか?
「奴等、三人以上居るみたいだ」
聞こえるとか聞こえないの問題では無いらしい。そもそも、聞いていないのだ。
「あんたが黒帯を持っているようには見えないしなぁ。僕も人のことは言えないけど。昔から喧嘩は弱いんだ」
その言葉を聞いて、俺は目を見開いた。嘘を吐け!と。そして、同時に「ああ、そうか」と思った。
──洋世を呼べば良い。
昨日見た彼女は普通の一般市民には見えなかった。策を思い付いたのは良いが、呼び出し方が分からない。
「ひろ……へ……」
小声で微かに洋世を呼んでみる。思いの外、発音が上手く行かないのは洋輔が俺の頬を挟み続けているからだ。
「何?何か言った?」
洋輔が顔を顰める。お前じゃない、洋世だ!
「いは……、でてこひ、ひろへ」
すまない、完全に暗号だ。それでも、洋世、聞こえているか?
「は?だから何?」
俺の頬を挟んでいる手に更に力が入る。くそ、全然聞こえてねぇじゃねぇか!イラっとする。イラっとして、気付けば俺は洋輔の胸ぐらを掴んでいた。それに抵抗するために奴の手が俺の頬から外れる。そう、もう分かっているだろう?俺は頭に血が登ると反射的にとんでもないことをやらかす。例えば……
「おい!あんた、なにす……!」
男の唇を無理矢理奪う、とかな。やってしまってから、いつも後悔をする。だが、しかし、今回だけは後悔をしなかった。
「ぐはっ!」
後悔をする前に洋輔にぶん殴られ、まさかとは思うだろうが、俺は運悪く個室の壁に頭を勢い良く強打し、そこで意識を失ってしまったのである……。
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