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世主サルベーション②

 ◆ ◆ ◆  俺は幽霊でも見てしまったのだろうか?それとも、ストーカーでも現れたのだろうか?いや、後者の場合、少なくとも俺のストーカーでは無い。ということは、鷹宮さんのストーカーか?そんなことを考えながら、俺は自分の部屋でボーッとしていた。台本を読んでいたんだが、あの黒い人影の所為で全然頭に入って来やしない。呪われたようなものだ。 「はぁ……」  溜息を吐いた瞬間だった。突然、コンコンっと扉をノックされ、正直、俺はビビった。その為、そろりと慎重に扉に近付く。その間にもう一度ノックをされ、俺の心臓はバクバク云い出した。 「……はい?」  少々、気にし過ぎかもしれないが、外に立っている人間が誰なのか分からないままでは扉を開けられず、曖昧な返事をしてみた。 「西海史、風呂お前の番だってさ」  ホッとした。鷹宮さんだ。 「あ、すみません!」  慌てて扉を開ける俺。そんなに寒くもないが、寒空の下、これ以上、鷹宮さんを待たせるわけには行かない、と焦った結果 「あぶねっ!おい!」  外側に開く扉だったために、危うく鷹宮さんに当たるところだった。俺は何をやってるんだ!馬鹿か!主役が怪我をしたら、どうする! 「す、すみません!」  急いで謝りながら、外に出た瞬間、グイッと腕を引っ張られ、前屈みのような、なんだか変な格好になってしまった。鷹宮さんの顔が見れない。 「ごめんなさい、だろう?」  顔が見れないどころか、突然、耳元で低く囁かれ、俺の心臓は小さく跳ねた。 「もっと、可愛く言えないのか?」  俺の腕を掴む鷹宮さんの手に力が入る。 「なっ……!は!?」  何処かで聞いたようなフレーズに驚き、思わず、鷹宮さんの顔を見上げた。彼は……、笑っていた。それも満面の笑みで。 「冗談だよ。ちょっとした後輩イジメだ。日頃のストレスを発散しようと思ってな」  俺の腕を離しながら、ははは、とか爽やかに笑う鷹宮さんとポカンとしたまま、動けない俺。 「ん?どうした?本気にしたか?」  意地の悪い笑みが俺の顔を覗き込んでくる。整った顔に紅い髪がとても似合っている。この人以外に、こんなにもこの髪色が似合う人がいるだろうか?気付けば、ジッと鷹宮さんの顔を見つめてしまっていた。 「はいはい、分かったよ。俺が悪かったから、そんな顔するなって」  長い両腕がスッと此方に伸ばされた。そんな顔とは、どんな顔か分からないが、きっと酷い表情でもしていたんだろう。でなきゃ、こうやって、鷹宮さんは俺を抱き締めたりなんかしなかった筈だ。  ――温かい。 「なに、してるんですか?」  他の建物とは少し離れているといえ、誰かに見られたら、どうするのか。きっと、変な噂が立つだろう。 「遠方でのロケは、やっぱり人肌が恋しくなるっていうか、なんていうか、まあ、これも冗談だけどな」 「冗談なら、人の肩に顔を埋めるのやめてください」  爽やかに笑いながら何をしてるんだ、あんたは。すっかり止んだ雨がもう一度降ってしまえば良いと思う。それを理由にしたいくらい正直、恥ずかしい。 「冗談じゃなかったら、良かったのか?」 「鷹宮さん……!」 「冗談だよ」  先輩だが、また耳元で話しやがって、さすがに勘弁して欲しくなってくる。当の本人は、またニヤニヤと笑っているに違いない。もう何が冗談なのか、分からなくなってきた。ややこしい人だ。 「ただ、お前が昔みたいに笑わなくなったから心配になったんだよ」  俺の後ろに回った両手のどちらかが、赤子を寝かしつける時みたいに俺の背中をトントンとゆっくり叩いてくる。そんなんじゃ、俺は眠れそうにないが。 「笑ってますよ、普通に」  鷹宮さんは何を言っているのか。今日だって、あんたに笑わされただろうに、あんなにも。 「馬鹿か、何年一緒に居ると思ってんだよ」  どんな表情をしているのか分からないが、鷹宮さんの声音は少し真剣になっている気がした。 「何十年、かな」  鷹宮さん越しの暗闇を見つめ、ボソッと呟く。少し気を抜いたら、タメ口が出た。昔のことを思い出す。鷹宮さんも子役出身で、何年だったか忘れたが、俺の先輩だ。子役時代に孤児院を舞台にしたドラマに二人で出たことがあって、それをきっかけに仲良くなったんだよな。 「そうだろう?昔は、鷹宮くん、一緒にお弁当食べよう。鷹宮くん、怖いから一緒にトイレについて来て。鷹宮くん、鷹宮くんって可愛かったなぁ、お前」  そんなこと、言っただろうか?まったく記憶に無いが。 「なのに、いつからこんなに生意気で俺のこと支えるような優秀な男前になっちまったのか。俺、お前のこと好きだから、本当に寂しいわ」  俺の背中を叩いていた手が止まった。 「お前は今でも俺にとっては可愛い後輩なんだよ。何かあるなら言えよ。頼ってくれ。今、お前に一番近いのは俺なんだから」  身体が離れたと思ったら、鷹宮さんは、ふわっという擬音が聞こえそうなほど、そっと俺の頭の上に右手を置いてきた。この人に、撮影以外でこんなに真剣な表情を向けられたのは久しぶりかもしれない。ただ、何も言えそうにない。 「……何も、無いですよ」  何かあったとして、この人に言える訳がない。こんな所にストーカーなんて来るはずがない。そんなことを話したら、変な奴だと思われて終わりだ。 「そうか……、ま、何かあれば相談しろよ?多少の我儘なら聞いてやるから」  なんて言いながら、また鷹宮さんは俺の髪をワシャワシャと掻き乱した。我儘って、俺は餓鬼かよ。そう思いながらも、内心、とても嬉しかった。 「じゃあ、また明日。長居して悪かったな、お疲れさん」 「お疲れ様です」  木で作られた五段くらいの階段を降り、鷹宮さんが再度、こちらを振り向いた。何だ?忘れ物か? 「あー、何でもって言ったが、怖いからトイレと風呂について来てくれ、っていうのは無しだからな?」 「言いませんよ!」  いや、少し言いそうになっていたかもしれない。まったく、あの人は……その笑顔で何人の女性を落としてきたのか。文句を言ってやろうかと思ったが、彼が疲れた様子で欠伸をしていたものだから、黙って帰って行くのを見守った。そりゃ、疲れるよな。俺よりセリフも出番も多い。あんたは今でも俺の憧れの先輩だよ。 「さて、風呂か……」  鷹宮さんの姿が見えなくなったのを確認し、俺は風呂の準備をしに、一旦部屋に戻った。

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