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第1章 狼人の国①

 俺が実際に意識を失っていた時間は、ほんの数秒だったらしい。瞼を閉じて開いた、そんな数秒間の様。一瞬、目の前の状況に俺の脳は誤作動を起こした。似た景色の所為で、ずっと同じ場所に居ると思っていたが、俺は"無事に"追放されたらしい。  赤い絨毯に跪く俺の前に座るのは、もう年老いた王ではなかった。そもそも、人間ではない。艶のある銀色の毛並みを持った狼人の王だ。  ウェンゼルの城に飛ばされたか……。 「痛ぇな!離せ!」  どこに行っても拘束される。まあ、鎖じゃないだけマシか。見えないが後ろで俺の腕を抑えているやつも恐らく狼人だ。 「貴様、一体何者だ?」  狼人の王が目を細めて口を開く。声からして、まだ若いか、俺と同じくらいか。 「知らねぇよ!殺したければ殺せば良いだろうが!」  魔族の女に魔法を掛けられ、俺は自分で命を絶つことが出来ない。そんな苛立ちから、俺は狼人の王を睨み付けた。  俺なんざ、産まれた時から生きている意味の分からなかった存在だ。死ねるのなら、早く殺してもらいたい。さあ、殺すが良い!  俺の言葉に機嫌でも損ねたのか、いや、元々笑う様な性格でも無さそうだが、狼人の王はスッと立ち上がり、俺の眼前までやって来た。 「貴様、名前は?」  奴は前屈み気味になっていた俺の顎を掴み、無理矢理、上を向かせた。狼特有の鋭い視線と自分の視線が合致する。 「そんなもん────」 「名前は?」 「……っ、レオ」  首に大きな手が絡み付き、太い指が食い込む。そのまま首をへし折れば良いだろうに。何故やらない?名前なんざ、殺すならば不要だろうに。 「……レオか」  狼人の王は鼻で笑い、俺の首から手を離した。去り際、視界の端に鋭い爪が見えた。  殺さないのか? 「貴様、人の国から追放されたのだろう?一体何をした?」  金の豪勢な椅子に戻り、文字通り、狼人の王は俺を見下した。 「皆目見当もつかないな、俺は何もやっちゃいない」  嘘など吐いていない。真実以外の何物でもない。  人の王は本妻の子供ではない俺が邪魔になったに違いない。自慢ではないが、俺はあらゆる意味で強いからな。 「貴様は何を求める?」  口にすれば、言葉にすれば、それを与えてくれるとでも言うのか。そんなに冷たい瞳を持っていれば、いとも簡単に与えられるだろうな。 「死だ」  恐怖心など一切ないが、俺の口から出た言葉は掠れていた。俺が一番望むものは、死のみ。こんな世界、真っ平御免だ。 「死か……。ならば、これをやろう。勝手に死ぬが良い」  狼人の王は自分の腰から剣を抜き、床に投げた。それは俺の膝元まで転がってきたが、俺の中には絶望が生まれた。 「ふざけるな!殺せ!」  方法は何でも良い。何でも良いから他人の手でないと俺は死ぬことが出来ない。魔法だなんて綺麗事言っていられない、これは呪いだ。 「自分では死ねないと言うのか?この臆病者め」  また狼人の王が鼻で笑う。挑発すれば俺が馬鹿なことをするとでも思っているのだろう?やってやるよ!奇跡が起こるかもしれねぇからな! 「……くそっ、後悔しても知らねぇからな!…………ぐっ!」  後ろで俺の腕を拘束していた奴の力が弱まった隙に素早く剣を掴み、俺は躊躇いもなく自分の心臓に突き刺さした。 「愚か者め」  そんな言葉が聞こえた気がした。己の身に刺さった刃は冷たく、流れ出す血や急激に巡る血は火傷しそうなほどに熱い。次第に、そんなことも分からなくなった。まるで、戦場の血を雨が洗い流した時の様に、ニオイも色も……。

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