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第1章 狼人の国②
◆ ◆ ◆
意識が薄っすらと戻り始めた時、俺は冷たくて硬い石の上を想像していた。いや、予想していた。だが、予想外にも俺の身体の下にあるものは柔らかく陽の匂いのするものだった。死ねたのか、生き長らえてしまったのか。目を開いて直ぐに、その答えは出た。質素だが、普通の部屋に普通のベッドだ。俺は生きてしまったか……。
「見張りが、こんな小狐一匹とは、俺もナメられたもんだな」
俺の傍で立ったままカタカタと震える狼人の餓鬼に冗談混じりに言ってみた。毛並みが薄い茶色だったもんだから、狐かと思った、ってのが正直なところだ。
いいや、本当は狐に騙されたと思いたかったんだよ。身体の痛みはないし、自分が一度死んだ感覚も覚えていない。死んだにしては、あまりにも冷静で、頭がふざけてやがる。
だが、服には血がべったりと付いたままだ。白い服なんざ着るもんじゃないな。
腕を動かしてみると、またガシャガシャと音がした。はぁ……、また鎖か、勘弁してくれ。
「おい、お前、名前は?」
恐らく十歳くらいの狼人の餓鬼は、まだカタカタと震えている。一体、何に怯えているのか。人間を見たのは初めてなのか?狼人の国では人は恐ろしいものだとでも教えているのか。そう考えると、わざわざ餓鬼を使わせるとは気の毒なこった。
それにしても、一体、ここは何処だ?石の壁をくり抜いた窓から陽が入ってくる。どうやら、今は昼間らしい。
「おい、別に取って食ったりはしねぇから、名前を教えてくれ。俺はレオだ。見ての通り、鎖で腕も足も繋がれてて何も出来ない。あと、多分、力はお前らの方が強いぞ」
ほら、これでどうだ?餓鬼なんざ久しぶりに見たからな、接し方が全く分からない。そもそも、人の言葉は分かるのか?
「お、狼人が強いのは当たり前のことです!」
「なんだ、喋れるんじゃねぇか」
わなわなと喋る餓鬼に俺は笑ってしまった。こんな状況でも笑っていられるのは、自分の生きている理由を失ったからだ。簡単に言えば、どうでも良い、そういうこった。
「で、名前は?」
首だけを動かして尋ねると「フィ、フィトです」という答えが返ってきた。
「お前は優しいな、将来、強い奴になりそうだ」
本当は嘘だ。優しい奴は出世出来ない。全てを蹴落とし、他人のことなど考えない者こそ、上に登っていく。まあ、例外もあるがな。俺は優しくないが、見た通り出世出来なかった。優しくないから今も餓鬼を揶揄かってるんだよ。単なる暇潰しだ。
「なんで、そんなことが分かるんですか?不死身以外に何か能力が────」
「フィト!そんなに人間に近付くな!危ないだろう?」
餓鬼が至近距離から俺の顔を覗き込んだ瞬間、バンッという大きな音と共に黒い毛の狼人が部屋に入ってきた。
まったく、こんな状態で俺に何が出来ると思っているのか。無意味だと分かっていながら逃げようとはしねぇよ。馬鹿か。
「と、父様!」
どうやら、黒い狼人はフィトの父親らしいが、まったく似ていない。毛色も雰囲気も、すべて。狼人ってのは、こういうもんなのか?いや、俺には年も分かりゃしないんだ、他も分かる訳がない。
「どうして、ここに居る?勝手に入っては駄目だろう?」
「……僕……見てみたかったんです……人間を……」
なんだ、この小狐は見張りじゃなかったのか。親の目を盗んで怖いもの見たさに忍び込んで、本当にビビっちまったとは笑えるな。見張りすら付けられてねぇってのは笑えねぇが。
俺は、どんだけナメられてんだよ。いや、人間という種族自体がナメられているのか。力が無くて、頭も賢くない、ってか?
「おい、人間。王からの命令だ。これから我々は人間の部隊を一つ潰しに行く。お前も参加しろ」
黒い狼人はフィトの腕を掴み、強く言い放った。なんて阿呆らしいのか。俺が不死身だとでも思ったか?人間を沢山殺せば、今更、俺を仲間に入れてやろうとでも言うのか?だが、良い機会だな。闘いに負ければ俺も誰かに殺してもらえるってことだろう?
生きる意味など無くなった命に自分で終止符を打てないこの苦しみを理解出来る者など居ない。
「良いだろう、喜んで行ってやる」
口から出た言葉通りの表情を俺は顔面に貼り付けた。
「狼人を殺そうと思うなよ?」
「殺そうと思った時は、どうするんだ?」
俺の悪い性格が出てしまった。不死身だと思っている人間に、一体、どう答えを返す?
「一生、牢獄生活だ。そうなれば、死ねないお前は生き続けることが苦痛になるだろう」
優等生の模範解答の様で少々つまらねぇが、まあ、ごもっともなこった。今も似た様な状況だが、まだ死ぬ機会はある。殺される機会があるだけマシだ。下手なことをするのは止そう。
「フィト、お前に誓おう。お前の父親が死に掛けた時は俺が救ってやる」
餓鬼との約束ってのは、嫌に信憑性があるというか、良い雰囲気がするじゃねぇか。まあ、この誓いはあまり役に立ちそうにないが。何故なら、フィトの父親であるこの黒い狼人は十分に強そうだからな。それに頑固そうだ、俺が勝手に餓鬼に誓いを立てようとも、うんともすんとも言いやがらない。
「お前らの王が言った通り、俺は人間の国から追放された身だからな、お前らのために働いてやるよ」
何故、俺が追放されたと分かったのか、そいつが疑問だが。王様ってのは洞察力ってのがあるのか?
綺麗事を並べておけば、いずれ死ぬ。覚悟も何も必要ない。簡単じゃねぇか、生きるより死ぬことは。
「良し、では鎖を外してやろう。変なことは考えるなよ?人間」
フィトを後ろに押しやり、黒い狼人が俺を縛る鎖に手を伸ばした。
「おいおい、人間って呼ぶなよ。レオだ。それにあんたの名前は?名前が無けりゃ呼べないだろう?」
俺が不満そうに眉間に皺を寄せると小さく「コンラッド」という言葉が聞こえた。
「こら!フィト!」
どうやら、息子が父親の名をバラしたらしい。もしかすると意外と出世するかもしれないな。父親は騎士の服を着ているし、金の装飾の多さから云って上の方のやつらしい。追放される前の俺と同等だったりしてな。
「俺に命を預ける覚悟は出来たか?コンラッド」
外されていく鎖を見ながら、俺はニヤリと笑った。勿論、悪いことは考えちゃいない。
「気安く呼ぶな、人間如きが」
取り去った鎖を床に落としながら、コンラッドが俺を睨み付ける。こいつの生きている理由は一体、何だろうか。餓鬼か?
「これに着替えろ」
「うぉ!」
コンラッドが俺に乱暴に投げつけたのは、意外にもちゃんとした狼人側の騎士服だった。
「ほう、俺にも同じものくれるのか。ああ、でも、この鎖かたびらは要らねぇわ」
やけに重たいと思ったら、深緑色の騎士服の他に鎖かたびらなんてもんまで投げつけるとは、危ねぇやつだ。こんなもんがあっちゃ、直ぐに死ねない。
「不死身だからか?」
そんな言葉をコンラッドが発したのは、俺が服を着替え始めて直ぐで、尋ねると云うより、疑問を己で解決しようと独り言を呟いたようだった。
勘違いされたまんまってのも、なんだか癪に触るな。不死身だから強いんだろう、と言われているようで気に食わない。
「言っとくが、俺は不死身じゃない。自分で自分の命を絶てないだけだ」
鎖かたびらのない服装には直ぐに着替えることが出来た。そもそも、狼人共は鎖かたびらなんざ着ないんだろうがな。
「準備が出来たなら、行くぞ?無駄口を叩くな」
全然人の話なんざ聞きやしない。ああ、人の話だからか。
「へいへい」
俺の不真面目な態度にコンラッドは苛立ちを隠せない様子で、奴は俺を鋭い目付きで睨み付けた。
「レオ!」
一瞬、叱られたのかと思ったが、俺の名を呼んだのはコンラッドではなくフィトだった。瞳が輝いているのは、きっと嬉しいからでは無いだろう。人間で云う涙目ってやつだ。
「なんだ?フィト」
名を呼んできた割には、なかなか次の言葉を言い出さない。黙ったまま近付いてきたフィトのために俺は仕方なく屈んでやった。
「と、父様のこと、宜しくお願いします」
そんなことを言えば父親に叱られるということを理解しているのだろう、フィトは俺の耳元でひっそりと囁いた。会ったばかりの人間を信用するとは、餓鬼ってのは本当に……。
「おう、任せとけ」
大丈夫だ、先に死ぬのは俺だ。お前の父親より後には死なねぇよ。すまねぇが、俺の目的は自分の死だ。
フィトの頭を軽く撫で、俺は大人しくコンラッドの後に続いた。
「子供は騙せても、我々は騙せないぞ?」
城の中の長い廊下を歩きながらコンラッドが冷たく言い放った。俺にとっちゃどうでも良い話だ。答える言葉も見つからない。だから、代わりに別の言葉を口にしてやった。
「ありゃ本当にお前の子か?全然似てねぇな」
フィトのことだ。デリカシー?そんな難しい言葉、俺に理解出来る訳ないだろう?
「……前王の子だ」
人間如きの問いに答えてはくれないだろうと思っていたが、案外、聞いてみるもんだな、ちゃんとした返答が来た。まあ、ボソリとだが、実は誰かに聞いてもらいたかったんじゃないのか?仲間には話し辛そうなことだもんな。敢えての人間如き、か……。
「じゃあ、あいつ王になるのか」
王が、心も無いような冷たい野郎だから代わりに心の有りそうなコンラッドが育てていると見た。
「いや……」
少し気を落としたような横顔が、そう呟いた。なるほどな、俺と同じってことか。憐れなもんだ。一生、王にはなれん、愛人の子。国の長ってのは馬鹿ばっかりだな。
「ま、お前みたいに騎士団長にはなれるさ」
狼人を慰めるなんざ、俺は何してんだろうな。こんな話、絶対に人にはしてやらない。ああ……、敢えての狼人如きか。
城から出る寸前に背後から視線を感じ、振り返ってみると、そこには銀の毛並みをした王が立っていた。相変わらずの冷たい視線に一瞬、怯みそうになったことは自分の内だけに留めておこう。
「残念ながら、話は終わりみたいだな。現王がお前のこと見てるぞ?」
小さな戦いに王は参加しないんだろうが、心が無くとも仲間のことは心配か。あまり正体の知れない人間如きが狼人側として戦いに参加するのだからな。
「王が見ているのは私ではない。お前だ」
コンラッドの言葉に俺はギョッとした。王に向かって「見せ物じゃねぇぞ!」と怒鳴ってやっても良かったんだが、俺は静かに「俺、あの王の名前知らねぇんだよ」とコンラッドに囁いておいた。
「ラウル様だ」
コンラッドは少々怒ったらしく、口の端から鋭い牙が見えた。ただ、良い人だってことは既にバレバレだ。俺と話しちまってる時点でな。
「へぇ、ラウルね」
狼人の王だろうが何だろうが、俺の王ではない。恐らく、今日でお別れだ。そう思って、俺は流し目だけを王に投げ、前を向き直った。
「挨拶しろとか言うなよ?嫌いなんだよ、あいつ」
コンラッドが俺に王と言葉を交わせと言い出すのは時間の問題かと思って、先に顰めっ面で言ってやった。
ある意味、殺されかけたというか、殺してもらえなかったというか。兎に角、あいつは酷い奴だと思う。酷い奴の俺が言うんだから、あいつは相当だ。
野蛮とか、そんな問題じゃねぇ。お前は何処に心を置いてきちまったんだ、って話だ。戦で死んだ狼人より王に処刑された狼人の方が多いんじゃねぇのか、とさえ勝手に思ってしまう。
「王は不死身のお前に興味がおありなのかもしれないな」
そうボソリと呟いて、コンラッドは先に外に出て行ってしまった。
「はぁ……、だから不死身じゃねぇって」
重い溜息を吐きながら、何を思ったんだか、自分でも分からないが、もう一度振り返り後ろを確認してみる。だが、既に王の姿は廊下の奥から消えていた────。
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