9 / 33

第2章 総ての痛み②

 ◆ ◆ ◆ 「俺に何の用だ?」  視線を階段の方に向けると、そこには銀の狼人であるラウルが立っていた。影になっていても分かる。  俺にとって、城から少し離れた南の塔は唯一の逃げ場所だった。昔、見張り台として使っていたのだろう。狼人は誰も来ない、人間如きの俺でも気を休めることの出来る唯一の場所だった。  大きな窓にガラスはなく、そこに腰掛けて外を眺めるのが好きだったが、ちょうど、その時に奴が現れるとは予想していなかった。 「見てるだけか?それとも独りが寂しくなったのか?」 「憐れだな。孤独なのは貴様だろう?」  意地の悪い笑みを浮かべてやろうと思ったが、静かに返され、思わず笑みが引きつる。 「けっ、また暇潰しか。俺はいまお前と話したい気分じゃねぇんだよ」  暇潰しの道具でしかないからな。さて、いつ、自害を繰り返せと言われるか。  自分で命を絶ち、魔法で生き返る。その様を見て楽しむクソ野郎もこの世の何処かには居るだろうよ。見てて面白そうだもんな。人の生き死には。他人の不幸は蜜の味、人が苦しむのを見るのは、さぞ、楽しいだろうな。 「暇を潰してぇなら、さっさと番を解消したらどうだ?」  俺は遠くの青空を見てぶっきらぼうに言い放った。奴の顔なんざ、見ていて得はない。 「懐かしい匂いがする」  そんな言葉が至近距離で聞こえて、どきりとする。いつの間に、距離を縮めたのか。気付くと、ラウルは俺の真横に立っていた。しかも、匂いがどうとか、ラウルがつけた歯型を隠すために包帯を巻いた俺の首筋に奴が鼻先を近付けてきた。 「匂い?は、ふざけるな」  女を落とす殺し文句でも言っているつもりか?  何処かで前にお会いしましたか?ってやつだろう。残念だが、俺には通用しねぇぞ? 「おい!近ぇんだよ!離れろ!人のこと殺しておいて馴れ馴れしくすんな!」  実際に手を掛けたのは己自身だが、間接的に殺されたも同然だ。そんな奴を恨まずにはいられない。そうだろう?恨まずにはいられねぇんだよ。  一瞬でも同じことを考えたのだろうか。案外簡単に奴は無言でスッと俺から離れて行った。  本当は分かっている。総て、心の中では理解している。この国が悪いわけではない、この王が悪いわけではない。踏み荒らしているのは俺自身。ラウルは国を守ろうとしただけだ。悪いのは人間……、だけじゃない。 「……っ!」  息を呑んだのは俺だ。突然、俺に背を向けたラウルが崩れるように床に膝をついたのだ。一瞬のことだったが、俺には見えていた。赤い閃光が俺の頬を掠め、ラウルの右わき腹に刺さったのだ。光は既に消えたが、俺の頬には血が滲み、ラウルの身体からは大量に血が流れ出した。 「魔族か!」  ハッとして慌てて塔の外を見たが、向かいの塔にも、少し下に見える木の陰にも人影は見えなかった。  ────一体、どこから狙ってやがった?  敵の姿を見つけ、後を追おうと思ったが、追求する前に救命が先だ。 「おい!何してんだ!動くんじゃねぇ!」  俺は思わず一国の王である銀の狼人を怒鳴りつけた。驚くべきことに奴はふらふらと立ち上がり、階段を降りようとしていたのだ。恐らく、敵を追うつもりだろう。 「私に痛みは存在しない」 「は?そういうことじゃねぇんだよ!痛みが無くても、こんなに血が出たまま動いたら死んじまうだろうが!」  ラウルの言葉に疑問を覚えたが、俺は自分の服を脱ぎ、奴の右わき腹に強く押し当てた。止血をしなければ死んじまうほど、血が流れ出して止まらない。 「助けるな、人間如きの助けなど不要だ」  本当に痛みを感じていないような顔で、声を震わせることもなくラウルが言う。 「そんなこと言ってる場合じゃねぇだろうが!王が死んだら国は終わっちまうんだよ!いくら跡取りが居ようが、偉い奴が居ようが、この国は終わっちまうんだよ!大人しくじっとしとけ!この大馬鹿野郎!」  何ともないような顔をしてラウルが俺の手を無理矢理引き剥がそうとしやがったから、ムシャクシャしたんだろう、気付けば、また俺は奴を怒鳴り付けていた。それは無意識に近かった。  王だからって強がってんじゃねぇよ。このくそったれが。 「良いから黙って横になりやがれ!動いたら承知しねぇぞ!」  右手で傷口を押さえながら、横になるように俺は左手でグッとラウルの身体を押した。いつも、俺は学習しない。頭に血がのぼると、らしくないことをしてしまう。敵だろうが味方だろうが、思ったことを言っちまうし、こうやって誤って助けちまったりする。正義感なんざ、とっくの昔に捨てた筈だったんだがな。 「貴様は愚かだ」  こんな状況でもラウルが嫌味ったらしく鼻で笑う。 「うるせぇ、勝手に言ってろ」  俺が着ていた服は黒かったが、それでも僅かに色が変わり、奴の血を大量に吸ったのが分かった。ただ、幸いにも傷口は小さく、暫くすると流れ出す血は少なくなった。 「絶対に動くなよ?」  問題はここからだ。この塔は本当に人が寄り付かない。どうやって助けを呼ぶか、ってことだ。俺が、助けを呼びに行くとデメリットが二つある。  一つ目は俺が助けを呼びに行っている間にラウルが再度、何者かの襲撃を受けるかもしれないということ。二つ目は俺が助けを呼びに行ったところで信じちゃくれないってことだ。  ああ、どうして、狼人の王なんてのを助けちまったんだ、俺は。 「よし、燃やしちまおう」  これしかねぇと思って、俺は階段に掛かっていた松明たいまつを手に持った。馬鹿らしいと思ってんだろう?ラウルが呆れたように溜め息を吐いたのが分かったが、俺は気にせず、そいつを塔の外に生えていた一本の木に投げつけた。  生憎、俺はあんまり頭が良い方じゃねぇ。城に入ってからも暫く文字なんてもんは読めなかった。今でも本なんてもんは大嫌いだ。  投げることは得意な俺だ。俺が投げた松明は上手く木に引っ掛かり、時間は掛かったが次第に葉を燃やし始めた。青い空に立ち昇る黒い煙を見て、城の誰かが気付く筈だ。そう思った瞬間だった。 「ラウル様!ご無事ですか!?────っ、貴様!」  見知らぬ白い狼人が窓から飛び込んで来て、俺に短剣を突きつけてきた。ただの騎士にしちゃ身軽だが、どうやら、離れた場所から王を護衛する者が居たらしい。俺が派手な行動をしたもんだから中に入ってきたんだろう。 「お前、居たんなら早く気付けよ。王が死んじまうぞ?」  まったく、どうなってやがんだ、ここの護衛は。外に居た魔族にも気付かなかった、ってことだろう?俺が知ってる護衛ってのは、主人が敵から攻撃される前に自分を犠牲にしてでも防ぐもんだ。とんだ職務怠慢だな。 「そいつを殺せ」  突然、冷めた声音が言い放った。一体、どういう心境の変化なのか。俺を殺す気になったのか? 「は!ラウル様!」  主人からの命を受け、馬鹿みたいな護衛が俺を殺すために短剣を振り上げた。当然、俺に抵抗する気はない。目でも瞑ろうと思ったくらいだ。だが、そんなことをしている暇はなかった。 「違う、貴様だ。そいつを殺せ」  冷静な口調は俺に向けられていた。 「は?こいつを殺す?何考えてやがんだ?」  ラウルの声に反応して身体が勝手に振り下ろされた手を両手で受け止めちまった。自分を助けに来た仲間を殺せだと? 「ラウル様!何を……ぅぐっ!」  目にも留まらぬ速さだった。あれほど動くなと言っておいたにも関わらず、ラウルは自ら剣を抜き、護衛の身体に突き刺さしたのだ。後ろから突き刺さった刃は俺の目の前で止まった。  護衛の身体から突き出す鈍色の刃は血に濡れていたが、染まることはない。それは、まるで持ち主の冷酷さを表しているようで、俺は崩れていく護衛を見つめたまま動けなくなった。  ハタハタと血の散る音がした。 「貴様の助けなど不要だ」  ラウルが護衛の身体からスッと剣を引き抜き、血を飛ばすように一振りして言った。  鞘に仕舞われた剣はキンっと鳴いたが、俺は一言も音に出来ないまま、ラウルは俺の前から姿を消した。ふらつくことも無く、芯を持った足取りで、階段を降りて行ってしまったのだ。 「……なんなんだよ、あいつ」  ラウルの気配が消え、やっと俺は声を出すことが出来た。何の躊躇いもなく仲間を殺すとは、正気の沙汰とは思えない。何か理由でもあれば妥当な考えだと思えるが、ラウルは何の意味も無く護衛を殺したように見えた。  奴が独りで居る理由は、これか?近付くと誰彼構わず殺されちまうからか?なら、何故、俺のことは殺さなかった?  血に濡れた自分の両手を見つめても、答えは見つからない。だが、俺の考えが間違いだってことは直ぐに分かった。未だに塔の外で木は燃え盛っているが、そんなことなど気にならなくなることが目の前で起こったのだ。 「……見破ってたのか」  ボソリとそんなことを呟いてしまう。俺の視線の先には護衛の死体がある。目を見開いたまま事切れる、護衛"だった"死体が。  ルビーのような透き通った赤色の瞳、人に似た容姿。護衛は狼人などでは無かった。こいつこそが、ラウルを魔法で射た敵である魔族だったのだ。  王は、いつだって何者かに命を狙われる。これこそがラウルが独りで居る理由。これこそが王になるということなのだ。それを俺は今、目で見て理解した。  一生、独りで居るってのは、どんな気分なんだろうな……。

ともだちにシェアしよう!