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第2章 総ての痛み③

   ◆ ◆ ◆ 「コンラッド、ラウルはどうなった?」  城に戻ってきて直ぐに俺はコンラッドを探し出し、ラウルの現状を尋ねた。気に食わない野郎だが、大量に血が出ていたからな、心配をしていないと言えば嘘になる。 「お前に教える義理はない」  俺の両手を見て、コンラッドは「お前がやったんじゃないのか?」という顔をする。返事をするように「なら、なんで俺は上半身裸なんだ?」という顔をしてやった。 「痛みがないって、なんなんだ?」 「黙れ、人間如きに王の話をするつもりはない。フィトに聞いても無駄だ」  コンラッドは俺に心を許したわけではないらしい。飽くまでも、借りを返しただけ。徹底的に俺を突き放すつもりか。 「そのお話、私が教えて差し上げましょう、レオ殿」  突然、後ろから声を掛けられた。薄々気配は感じていたが、まさか俺に話し掛けてくるとは、頭がイカれてるんじゃないだろうな? 「誰だ?」  振り返った俺の目に灰色の毛並みの狼人の姿が写り込む。城の廊下を歩く姿は、どことなくラウルに似ているような気がしたが、気の所為か? 「グリ────」 「良いんですよ、コンラッド。君は下がりなさい」  俺とコンラッドの間に割って入り、灰色の毛並みの狼人はコンラッドの肩を軽く叩いた。話し方からして、コンラッドより偉いみたいだな。 「ですが、グリ────」 「レオ殿!どうぞ、こちらへ!」  コンラッドの言葉を再度遮り、奴は近くにあった扉を開け、俺の背中を押した。 「あ、ああ、なんだか分からねぇが、やっと話の出来るやつが現れたな」  本当によく分からねぇが、悪い奴には見えねぇし、コンラッドも知っているみたいだから安心だな。そう思って、俺は遠慮なく部屋に入ることにした。 「いやはや、とんだご無礼を」  俺の後に部屋に入り、奴がそっと後ろ手に扉を閉める。扉が閉まる直前まで、コンラッドの姿は見えていた。  この空間は応接室みたいだが、普段は偉い奴等が会議でもするのか?やけに豪華な家具が置いてあるし、赤い絨毯には艶がある。 「いや、無礼なんざ……、で、お前は誰なんだ?」  狼人の中にもこんな風に人間を嫌わないやつがいるとは驚いた。 「私、グリスと申します。王の世話係のようなものです。さ、どうぞ、お掛けください。お茶でも飲んで、ゆっくりお話致しましょう」  そう言って、金のテーブルの上に置かれたカップをセットし始めるグリス。誰かを待っていたのか、それとも一人でお茶をしようとした時に偶々俺が通り掛かったからか、ポットの中には熱いお湯が用意されていたようだ。 「さあ、どうぞ」  俺が椅子に腰を降ろす頃には美味そうな紅茶が出来上がり、こちらに差し出された。 「あ……」  カップを持とうとして気付く。俺の両手はラウルの血で……。 「ああ、これは失礼!レオ殿、こちらをどうぞ」  用意周到とは、このことを言うんだな。テーブルを拭くための物だろうか、グリスは濡れた白い布を俺に手渡してきた。 「良いのか?汚れちまうぞ?」  受け取ったのは良いが、汚れひとつない真っ白な布なもんだから、俺は少し躊躇った。人間の城に居る時に嫌でもマナーってやつを仕込まれたからな。無意識に出ちまうもんだ。 「大丈夫ですよ。お気になさらず。あと、こちらもどうぞ」  グリスが微笑み、俺の横に立って自分の黒い上着を俺の肩に掛けた。上半身に何も身につけていない俺に気を使ってくれたのだろう。 「さて、何からお話致しましょうか?」  向かいの席に座り、ゆっくりとグリスが口を開く。こんな風に普通に話をするのは、いつ振りだろうか。たったの数日、されど数日、俺は一体何を話しただろうか。 「そうだな……、ラウルに痛みがないって、どういうことなんだ?」  布で手を拭きながら無意識に近い感覚で俺は問うていた。ラウルの発言を聞いてから、ずっと気になっていたことだ。  無音に近い空間に小さな溜め息が大きく響く。 「王には痛みがないのです。それこそ、総ての痛みが」  神妙な面持ちでグリスが話し始めた。無痛、それは身体的な痛みだけではない。 「王は人の痛みが分からないのです。ご自身の心も痛みを知らないのですから」  言葉通り、ラウルは何故、人が痛みを感じているのかが分からない。何故、苦しんでいるのかが理解出来ない。心の痛みは苦しみだ。 「病か?」  汚れた布を控えめにテーブルの上に置き、尋ねる。病だとしたら、正しく不治の病と言えそうだ。  痛みが分からない故に、大きな病に自分が掛かっていようと気が付く事が出来ない。即ち、それは早死にを意味する。 「いえ、王は王になるために痛みを封印したのです。魔族の力を使って……」  俺がこの話を理解するには、もう少し時間が掛かりそうだと思った。王になれなかった俺とは無縁の話。だが、なんなんだろうな、この胸の痛みは。  騒つく心を落ち着かせるために、俺は紅茶を一口啜った。 「あれはラウル王が六つの時です。当時、まだ前王は健在でした。前王はある日、小さかったラウル王を次の王にするために城に魔族の女を呼びました」  グリスが話し始めると、俺の脳裏には想像ではあるが、その光景が浮かんできた。ラウルは生まれた時から王になることが決まっていたのだろう。小さい時から痛みを奪えば強くなる。そう思われていたんだろう。 「ラウル王は魔法を掛けられる前に魔族の女を見て思ったそうです。自分が王になったら、貧しい者が居ない国にしよう、と。まだ痛みがあったんでしょうね。女は人間の国の貧しい地域の者でした。力を売ったんです、お腹の子のために」  生きていくために力を売った魔族の女と国のために痛みを捨てた王。一体、それを代償に何を手にすることが出来た?平和か?富か? 「王は冷酷ですが、優しいのです」  目の前のグリスがニコニコと笑っているのが分かる。心から笑っているような顔をしながら、奴は「でも、優し過ぎるんですよね」と言った。瞬間、俺の身体に異変が起こる。 「……っ!……お前……!」  突然、身体に力が入らなくなり、勢い良くテーブルにひれ伏す。と同時にカップが倒れた。流れる液体を力無く見つめながら、まさか……、と思う。 「あなたにも分かるんじゃないですか?優し過ぎる者は強くはなれない。上に立つことは出来ないんですよ」  目だけでグリスの動きを追うと徐々に奴の表情が変化していくのが分かった。  ────こいつ、俺に毒を盛りやがった……! 「……っ、……」  薄れていく意識の中、俺の脳裏をよぎるものがあった。今さっき植え付けられたばかりの映像だ。想像でしかない、ラウルの────。

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