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第2章 総ての痛み④
◆ ◆ ◆
「……かはっ……!」
至極、久々に空気を吸った気がしたが、その空気は酷く湿り切っていた。重たい瞼を必死に持ち上げながら、辺りを見渡す。
────ここは一体、どこだ?
「ほう、不死身のレオというのは本当の話だったんですか」
薄暗い石壁の部屋の中、簡素な木の椅子に座るグリスの姿が見えた。
「……不死身じゃ……、ねぇよ……」
身体に毒が残っている所為で上手く言葉を発することが出来ない。ただ、頭だけはしっかりと覚醒したようで、考えることは出来る。
奴が俺に盛った毒は命を奪うものだったらしいが、俺は城に居た時に毒に慣れる訓練をさせられていた。残念ながら、また死に切れなかったわけだ。
「死体をここに放置しようと思ったのですが、君が息を吹き返してしまったので……はぁ……、とても困りましたね」
「……殺し……、たきゃ……殺せ……!」
指一本、俺が動かせないということをグリスは分かっているのだろう。俺はまた上半身に何も身に付けず、壁を背に四肢を投げ出すように座らされているだけだった。手を縛るものなどは一切ない。
グリスが、ゆっくりと立ち上がると木特有の軋む音がした。長い黒色のマントを羽織った異様な格好は死神の様にも見える。
「ラウルが君を連れて行く時の顔を見ましたか?」
突然、グリスはラウルのことを王と呼ばなくなった。一体、いつの話をしてやがるのか。
「分かりませんでしたか?あいつは君のことを大層気に入ったみたいで、誰にも渡す気はない、という顔をしてました。誰も近付けさせない瞳をしていた。私には分かるんですよ」
近付いて来たグリスが俺の顎を指で軽く持ち上げた。どう考えても口調がおかしい。
「……っ、お前は……」
「私は、ラウルの腹違いの兄なんですよ」
あっさりと答えるグリスの瞳が冷たい光を放つ。
今、グリスがコンラッドの言葉を遮った理由が分かった。コンラッドが「様」をつけてしまうことを避けたかったのだ。
「君を失ったら、さぞかし弟はショックを受けるでしょうね。死が二人を別つまでと言うでしょう?番も解消されますし、ラウルはどう変わるんでしょうね?」
こいつは国を壊そうとしているのか?無駄な戦いを起こそうとしているのか?
「ああ、でも弟に心は存在しないんでした。君が死んだところで何とも思わないのでは?」
グリスの発言に苛立ちを感じながらも上手く喋ることの出来ない俺は反論することも出来ない。こいつが言っていたことに信憑性は無いが、あいつには心がないんじゃない。痛みがないだけだ。これは、きっと別物なんだよ。
「弟は、この場所を知りません。ここは普段、私が可愛い御婦人と密会するために使う場所なんですよ」
「悪趣味め……」
お前の毛並みの色は汚い灰色だもんな。女の趣味も悪いんだろうよ?このドブネズミめ!
この場所は湿気の多い地下で、密会するにはあまりにも情緒が無さ過ぎる。いつも相手に逃げられてるとしか思えねぇな。
「……フッ……」
想像するだけで酷く笑えてきた。こいつが王になれなかった理由も分かる気がする。本妻の子供じゃないってだけの話じゃねぇな、こりゃ。
「何がおかしいんですか?人間如きが憎たらしい……」
「……っ、何する気だ……!」
俺の態度に腹を立てたグリスは俺の身体を下にズリ下ろし、服を脱がし始めた。いつになったら毒の効果は切れるのか、未だに俺は全く身体を動かすことが出来ない。
「知っていますか?番の居るオメガが番以外のアルファに犯されると、どうなるのか」
怖い顔をしたグリスは上気した様子で、既に熱を持ち始めていた自身を服の間から取り出した。
「……やめろ」
「今の君がヒート中ではなくて残念です」
ヒート中ならば孕ませられたのに、と耳元で囁かれ、ゾッとした。気色が悪い、嫌悪感で吐きそうになる。
「見えますか?」
身体を折るような体勢にさせられ、俺に見せつけるようにグリスが熱を持って膨れた自身を露わになった俺の窄みに充てがった。何の準備も出来ていないそこが濡れることはない。
「……っ」
俺は襲い来るであろう痛みを覚悟した。せめて見てしまうのだけは避けようと目を閉じたが、一瞬で重たい瞼をあげることになる。
「……どうして、この場所が?」
確かに、目の前でグリスがそう言ったのだ。その声に反応して目を開けた俺の視界に飛び込んで来たのは、凛とした姿で入り口に立つ、この国の王の姿だった。
「匂いで分かる」
「……さすが……犬っころ……」
ラウルは冷たい口調で言ったが、何故か、俺はその言葉を聞いてホッとしてしまった。ゆっくりと歩みを進めて来たラウルがグリスを押し退ける。そして、俺の身体を強く抱き寄せ「私が分かるのは貴様の匂いだけだ」と低く囁いた。
「グリス、貴様をこの国から追放する!二度とこの国の地を踏めぬものと思え!」
俺から静かに離れ、ラウルが吼えるように言い放った。どこまでクズ野郎なのか、グリスはこっそりと立ち去ろうとしていたようだった。
「私はお前の兄だぞ?そんなことを言って────」
「出て行かぬと言うのならば、今殺すまでだ」
グリスは焦ったように盾と成り得る言葉を並べたが、ラウルには通用しない。腰の鞘から鈍色に光る見事な剣を素早く引き抜き、ラウルは苦笑いを浮かべるグリスの首元に容赦無く突き付けた。たとえ自分の兄であろうと、ラウルの意志は変わらないのだ。
「ひぃっ!分かった!出て行く!で、出て行くから!」
先ほどまでの余裕など一切無く、グリスは慌てて逃げ去って行った。自分がどれほど間抜けな姿をしていたか、後になって気付くだろう。
それにしても、グリスが消えたにも関わらず吐き気が止まらないのは、何故だ?徐々に頭も痛くなってきやがる。
「気に食わんな」
俺を抱き上げたラウルがボソリと呟いた。なんで、そんな持ち方するんだよ。また肩に担げば良いだろうが?俺は、か弱い姫君じゃねぇんだよ。そう文句が言えたなら、怒鳴りつけるように言っていた。
「……っ……」
身体の動かせない俺は、仕方なくラウルに抱き抱えられていたが、吐き気と頭痛が酷く、ついには一言も発せなくなってしまった。ただ、毒の効果にしては遅過ぎる。これは一体……。
「貴様の身体は誤って認識したようだな」
地上への階段を上りながらラウルが不機嫌そうに言った。言葉が足りないってのは、こういうことを言うんだろう。不機嫌なのは俺の方だ、という表情を俺がすると、ラウルはこちらに顔を近付けて「私以外の者に抱かれたと思っている」と言った。
『知っていますか?番の居るオメガが番以外のアルファに犯されると、どうなるのか』
瞬間、グリスの言葉を思い出し、俺は理解した。番であるラウル以外の者に抱かれると、俺は吐き気と頭痛に襲われ、最終的には……ぶっ倒れる。
「気に食わんな」
ラウルの腕の中で意識を失う刹那、奴がまたボソリと呟いたような気がした。
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