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第2章 総ての痛み⑤

 ◆ ◆ ◆  身体が重くて床に溶けていきそうになる。ただ、目を閉じたまま、ゆっくりと呼吸をすると、砂埃の混ざった空気を吸い込んで、とても懐かしい気持ちになった。 「レオ、今日は外に行ったら駄目よ?あなた、熱があるんだから」  久しぶりに聞く優しい声音に髪を梳かれ、目頭が熱くなる。これは夢なのか、現実なのか。俺は嫌な夢でも見ていたのかもしれない。 「……母さん?」  重たい瞼を上げられず、俺は目を瞑ったまま掠れた声で尋ねた。 「大丈夫、風邪が早く治るおまじないを母さんが掛けてあげるから……、大丈夫よ、大丈夫……」  暖かな手が俺の頬を撫でる。いつも俺が体調を崩すと母親は同じことを言って、同じことをしてくれた。そうすると風邪が早く治るような気がした。  ────だから、俺もあの時……。 「レオ……」  母親の消え入りそうな声がする。不思議なことに、一瞬で雰囲気が一変した。気付くと、俺は床に伏せている母親の横に腰を下ろし、その姿を見つめていた。そして、数秒で現状を理解した。  だから、俺もあの時……言ったのに。 「大丈夫だよ、母さん。……母さんの病気が早く治るおまじないを俺が掛けてあげるから……大丈夫、……大丈夫だよ……」  分からない、分からない、分からない……どうやって……、どうやって、まじないを掛けたんだよ!分かんねぇよ……っ!  母親に期待を持たせるような言葉を口にしておいて、俺は痩せ細った左手を両手でそっと握ることしか出来なかった。強く握ったら傷付けてしまいそうで。 「レオ……、優しい人になりなさい……」  母親の残した言葉は、たった一言だった。優しい人になりなさい。たった、それだけ。小さな火が消えるように、人の命が消えた瞬間だった。 「母さん!」  大声で叫び、俺はハッとした。先ほどとは全く違う場所に自分が居ることに気が付いたからだ。  ────やはり、これが現実だったか。  薄暗い部屋の中、俺は随分と寝心地の良いベッドの中に居た。枕元に小さな蝋燭が灯っている。一体、何処なのか見当もつかないが、一つだけ分かることがある。俺の部屋ではないということだ。まあ、当たり前のことだろうがな。  何故、現実だと分かったのか。それは、俺の下に……ラウルが居たからだ。ラウルは俺が起きたことに気付き、チラッとこちらを見はしたが、何も言いやしない。俺が目を覚ますまで、黙って俺の身体を支えていたのか? 「お前、何してんだ?まさか、俺の部屋に運ぶのが面倒だったから、とか言わねぇよな?」  文句を言いながら身体を起こそうとしたが、残念ながら失敗した。毒の所為なんてもんじゃねぇ。ラウルが俺の身体に腕をまわしていやがるからだ。 「離せよ。俺の質問に答える気はねぇんだろ?だったら、おさらばだ。迷惑掛けたな、これで貸し借りは……なっ!おいっ!」  一瞬で、身体の位置を変えられ、瞬きをする間もなく、俺はラウルに上から見下ろされていた。蝋燭一本という、薄明かりの中、俺の視線は迷走する。 「勘違いをしているようだから言ってやる」  蝋燭の火を映した金色の瞳がグッと俺に近付いた。瞳自体が灯りのように見える。 「私は自分の物を他人に奪われるのが嫌いなだけだ」  淡々とラウルは口にするが、言葉の意味がよく分からない。 「何言って────」 「貴様は私の物だ」  随分と分かりやすいお言葉をご存知で、なんて言ってられっか! 「ふざけんじゃねぇ!誰がお前のもんになんて成るか!」  ググッと奴の厚い胸板を両手で押し返し、抵抗する。だが、今になって俺は互いが裸だということに気が付いた。思わず、両手から力を抜いてしまう。気になってしまったからだ。昼間に負った、腹の傷が。 「血、出てるぞ?」  薄暗くとも、ラウルの腹に巻いた包帯に血が滲んでいるのは分かった。一度は止まった血が、また出てしまったようだ。 「……貴様の所為だ」  何故、憎むような視線を俺が向けられなければならないのか。文句ならハッキリ言えば良いじゃねぇか。 「俺の助けは要らねぇつったのはお前の方だろう?」  人間如きの助けは不要なんだろう?まるで俺自体を否定されているようで、とても不快だ。グリスのことだって、俺はいくら傷付いても良かったんだよ。最後に死ねれば、それで良かった。俺なんざ放っておけば良かったんだ。生かすなら、生きる理由を俺に与えろよ……。 「とにかく!俺はお前のもんに成る気はない!じゃあな!」  その怪我は俺の所為じゃねぇ。そう思って、俺は容赦無く、ラウルの身体を再度両手で押し返す。だが、抵抗虚しく、逆に俺は奴に強く抱き竦められてしまった。 「っ、離せ!」  ラウルの肩に歯でも立ててやろうと思ったが、しまったな……、これが答えか。 「……っ」  甘い匂いがする。薔薇の様な、ムスクの様な、いや、例えられない甘い香りだ。身体が熱い……、いいや、そんな筈はない。ヒートは三ヶ月に一度の筈……。 「……お前……何、しやがった……?」  この匂いを嗅ぎ続けているとおかしくなりそうだ。きっと、自分を保てなくなる。理性が、吹っ飛びそうだ。 「私に誘発されたか」  くそっ、番のフェロモンにやられたということか。ラウルのやつ、卑怯だ。 「これで分かったか?貴様は私の物だ」  耳元で低く囁かれ、俺の意思に関係なく身体がビクリと反応する。腰の疼きを止められない。身体が勝手にラウルを求めている。 「卑、怯者……っ、ぁ」  身体が離れたかと思うとラウルのザラザラとした舌が容赦無く俺の首を這う。いつの間に俺の包帯を奪い去ったのか。露わになった歯型を執拗に何度も舌でなぞってくる。 「……やめ……くっ……」  微かな、本当に微かな刺激だが、徐々に腰に熱が集まってくる。何も見たくないと目を瞑れば、ラウルの舌は俺の胸の突起を責め始め、目を閉じていることによって逆に意識してしまう。  舌が……っ。  口を開けば、何かおかしなことを口走ってしまいそうで、必死に俺は唇を噛んだ。仕方なく開いた両目にはラウルの行く先が見え、羞恥に四肢が震える。  何故、奴は何も言わないのか。まだ、この状況を馬鹿にされた方が救われる。俺は理性を保つのに必死だってのに、ラウルは俺からそれを奪おうとしてくる。  真剣な表情(かお)して、俺の弱い部分を探ってんじゃねぇよ。 「……くち……駄目っ……だ……、くっ!」  ラウルの舌が先端をひと舐めしたかと思うと、次の瞬間、俺の昂りは奴の口腔に収まっていた。自分の熱なのか、ラウルの熱なのか、収まったままの屹立が下がることのない熱を持つ。  熱い……、解放されたい……。 「ぅあ……っ、ぁ、く……」  裏側をザラザラとした舌が舐め上げ、ビクビクと震える先端を上顎で擦り上げる。自由な両手はゆっくりと俺の腹筋や腰をなぞり、最終的に、また胸の尖りを摘んだり、軽く引っ掻いたりし出した。  一国の王が、どこでこんな高度なテクニックを学んだのか知らないが、非常にまずい。頭では逃れることを考えているのに、俺の腰は更なる快楽を求めて勝手に動いてしまう。いや、俺の中の熱が逃げ道を探しているのか。 「ぅ、ン」  生暖かく濡れた感触が纏わり付いて、俺を離してくれない。焦らすようにじっとりと舌が全体を這う。もどかしい動きが徐々に早さを増してくる。  やばい……ッ、くそ、こんな奴の……! 「……も、離……せ……ッ!」  このままでは奴の口内に己の熱を吐き出してしまう。俺は必死にラウルの頭を両手で引き剥がそうとした。だが、上手く手に力が入らない。ただ、薄くて柔らかいラウルの両耳を塞いだだけで、どうにもならなかった。 「く、ぁあ……ッ────」  ラウルの執拗な責め立てに堪え切れなくなり、軽く歯を立てられた瞬間に俺は奴の口腔に熱を吐き出してしまった。瓶の栓が抜けた様に一気に快楽の波が全身を襲う。  俺のモノを黙って飲み込んだラウルが、俺に見せつける様に口元をゆっくりと手で拭い、汚れた指を赤い舌がひと舐めした。その一連の動作がやけに色っぽく見えて、それでいて嘲笑っている様で、俺の羞恥心を煽ってくる。 「……見……っ、んな……」  熱を持った視線が下から俺を見つめてくる。  獲物を狩る様な瞳をして、俺の反応を見て楽しんでいるんだろう?お前の所為で、本当にギリギリだ。理性の端を握って、堪えるだけで精一杯なんだよ。このままだと完全に奴に流されちまう。俺も男だ、なんとか奴から主導権を奪いたい。 「なんで、ずっと黙ってんだ?はっ……そんなに余裕がないってか?」  皮肉混じりな言葉をぶっきらぼうに言い放ちながら、俺は両腕を後ろに下げ身体を起こそうとした。だが、立てた膝の下に腕を差し込まれ、逆に奴に身体を強引に引き寄せられた。 「ああ、そうだ」  ────は?嘘だろう? 「くっ、ァあッ……!」  突然、息を吐く間もなく、熱い昂りが俺の中に沈み込んできた。 「……っ、ぁ」  ラウルの執拗な愛撫の所為で、俺の後孔は十分に濡れ、何の抵抗もなく奴を受け入れたが、アルファだった自分が男を受け入れたという羞恥に身体が震える。 「貴様の所為だ。貴様が私をおかしくする」  身体を前に倒し、ラウルが俺の顔を覗き込んできた。俺が憎いのか、熱い眼差しは一変し、ラウルの瞳が冷酷な雰囲気を放つ。それを見ていると俺の胸が怪しく騒いだ。 「っ、……ひとの所為にすんなよ」  反論はするが、既に俺の意識は奴のモノに向き、他には何も考えられそうになかった。本当は言葉など発していないのかもしれない。理性が少しずつ離れていく。早く動いてくれ、と奴のモノを締め付けてしまう。  これはオメガになった所為、そう思うしか術がない。最初から快楽など無いと思っていたが、どうにも、それしか見当たらない。俺の中で脈打つラウルの熱が心地良くて仕方がない。 「……っ、くっ!ぅあ……っ!」  最初から激しく腰を穿たれ、口から洩れる声を止めることが出来ない。自分のものとは思えない嬌声が何度も耳をつく。  ……やばい、おかしくなる!  何度も何度も同じ場所を責め立てるラウルの屹立が、数秒だけ動きを止め、また動き出す、という動作を繰り返す。こいつ、理性を手放し掛けている俺が我慢出来ないのを知っていて、わざとやってやがる。 「……っ」  何も言わねぇぞ?と俺は右手で自分の口を塞いだ。もう何も言わねぇし、お前の喜ぶような声も上げない。 「……ン……ッ」  急に俺の中から張り詰めた屹立が抜け、俺は顔を顰めた。一体、何を考えてやがるのか。ラウルが溜息を吐いたのが聞こえた気がした。そして、まるで「これで勘弁してやる」みたいな雰囲気で奴がベッドから出て行く。  ────俺は、また遊ばれたのか……。  中途半端に抱かれた俺の身体は熱を逃すことが出来ず、どうしようもなく腰が疼いてしまう。だが、俺のプライドがラウルを求めることを許さない。  奴の背中がやけにデカく見える。手を伸ばせば届くところに居る。そう思った瞬間だった。 「なっ!やめ……!」

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