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第3章 王の息子③
◆ ◆ ◆
東の山小屋とは、リューシヴとウェンゼルの間にある山の中に存在する本当に小さな小屋のことだ。山の名前はなんだったか忘れたが、それが人間の国と狼人の国を分けている。
魔族が住み着いているって噂も聞くが、そもそも誰も近寄らねぇから分からない。
人間共の狙いは王の首を取ることだろうが、そんなに簡単に狼人の王が殺られると思っているのか?王自身が出て来ると思っているのか?同じ人間として、あまりにも劣った作戦だと思う。
そう思いながらも、俺は山に一人でノコノコ来ちまったわけで、小屋の場所も難なく見つけた。辺りは木々が生い茂り、真昼間なのに薄暗い。俺は一度、デカイ木に登り、上から小屋を観察することにした。
木のボロっちい小屋だ。フィトの姿は見えない。敵の数は五人。小屋には出入り口の扉だけ。その扉の前には見張りが一人。一定時間ごとに見張りを替えている。
にしても、人数少ねぇな。何故、見張りを一人に任せる?他の奴らは何処に?これじゃあ、まるで好きに救い出してくれと言っているみたいじゃねぇか。
格好を見ても国の騎士とは思えねぇしな。
まさか、国の意志でやってるんじゃねぇのか?
誰が主郭なのか、一切、目的が分からない。小屋に変わった動きも見られない。夜まで待つか?いや、狙うなら落ち着いている今か。
ラウルが来ないと分かれば、奴等は直ぐにでもフィトを殺すだろう。いや、もしかしたら、もう……。こんなこと、考えちゃいけねぇってことは分かっているが、最悪な情景が脳裏をよぎる。
今直ぐにでも救うべきだと俺の心が言っている。これは善の心か、悪の心か。心の何処かで「フィトを救えばウェンゼルの者たちは自分を認めてくれるかもしれない」と思っていないか?そんな汚い考えを持っていないか?
俺は狼人のことに手出しするべきではないのかもしれない。このまま行動を起こさずに戻るべきなのかもしれない。そもそも、俺は優しい人間なんかじゃねぇ。誰かを救うような、そんな正義に溢れた奴じゃねぇ。
誰かを救ったところで、自分が救われるわけじゃない。努力をしたところで、いつか報われるわけでもない。優しくなんざなれねぇよ。
「ごめんな、フィト……」
木の上で俺はボソリと呟いた。本当にすまねぇと思う。
────悩んじまって、ごめんな。
俺は腰から短剣を抜き、勢い良く木から飛び降りた。
俺は優しくなれねぇが、貰ったもんは返す主義だ。フィトには優しさを貰ったからな、それに見合ったもんを返す。
狙う先は敵である人間の男の喉元だ。助けを呼ばれたら面倒なことになるからな。地面に着地した瞬間に、俺は短剣を振りかざした。
「……っ」
戦ったことが無いのか、男の動きは遅く、防ぐ動作すらなかった。何の音もなく、俺に喉を切られ、静かに崩れ落ちていく。流れた鮮血が俺の足元を這うが、そんなことは気にしていられない。
他には誰も居ないな?今さっき見張りは交代したばかりだ。暫く人は来ないだろう。
辺りを警戒しながら、小屋の扉を押し開け、中を確認する。
「……?どうなってやがる?」
小屋の中を見て、俺は思わずそんな言葉を洩らしていた。中身が空っぽだったわけではない。確かにフィトは小屋の中で倒れていた。だが、フィト以外にもう一人、餓鬼が倒れていたのだ。
「おい、しっかりしろ。大丈夫か?」
まず、フィトの身体を揺すり、生死を確認する。
良かった、意識を失っているだけだ。躊躇っている時間はない、俺はフィトを肩に担ぎ上げた。
さて、こっちの餓鬼はどうするか。
褐色の肌と漆黒の髪を持った齢十歳くらいの人間の餓鬼だ。着ている服は見すぼらしく、ボロ切れを身に纏っている様な状態だ。リューシヴのスラム出身か、それとも狼人の奴隷か。
何のために捕らわれているのか分からないが、フィトと一緒に入れられていたのだから、置いて行くわけにはいかない。
俺も鍛錬を積んだ騎士だ。餓鬼を二人担ぐくらい、どうってことはない。急いで俺は二人を両肩に担ぎ、小屋から出た。
敵の姿は確認出来ない。足元の罠と敵の気配には十分注意を払った。一国の王を狙った輩が、こんなに少ないわけがねぇんだ。いつ大勢で攻めてくるか分からない。遠くや近くで木や葉が鳴る度に警戒する。
城までの距離は多少あるが、帰りの方がさらに長く感じるのは何故だろうな?手助けに来てくれる者なんざ居ないと分かっていても、少し、ほんの少しだけでも期待しちまうのは、なんでだろうな。
まるで自分に臆病者だと笑われているようだ。見えない敵に、俺は怯えている。人間の騎士団長だった俺が怯えている。いつもは敵が見える戦いだったからだ。
俺は、本当は弱い人間だ……。
「……っ!」
心の弱さを見破ったかのように、突然、腹部に痛みが走った。何かの罠に引っ掛かったのかと思ったが、直ぐに後ろからの攻撃だと気付く。俺の身体に刺さった弓矢が後ろから前に突き出ていたからだ。ちょうど、ラウルと同じ位置をやられた。
敵の気配がねぇのに、一体、どっから狙ってやがった?どんなに意識を集中しても、他の奴の気配は感じられない。止まって考えている暇なんざ無かった。
一度、自分で命を断ち、健康体で蘇ることを考えたが、フィトと人間の餓鬼を放ってはおけない。
矢が刺さったまま、ただただ、俺は二人を担いで歩みを進めた。
ポタポタと滴れる血が、俺の居場所を敵に教えてしまう。そんなことは分かっているが、止まることなど許されない。
刺された瞬間の痛みは激しかったが、徐々に薄れてきた。堪えられなくもない。ただチクチクと刺す様な痛みが続いている。だが、止まることは許されない。
木々の匂いに己の鮮血の匂いが混ざる。無風な世界に救われたかもしれない。いや、人間の国の者で無くなった俺にとって、それは逆かもしれないな。狼人は匂いに敏感だが、これでは居場所が分からない。だから、止まることなど許されない。
取り敢えず、ウェンゼルの町の入口までは行かければならない。国に入れば、なんとかなる。止まることは許されない。
痛みのことを考えても、これからどうしようかと悩んでも、最後に思うことは、止まることは許されないということだけだった。
幸いにも敵からの攻撃は一度だけで、血を失いながらも、俺は歩き続けることが出来た。フラフラと生きた屍の様に進み、もう何を考えて歩いているのか分からない。視界も霞む。残念ながら、俺はウェンゼルの町の門まで辿り着くことは出来なかった。
邪魔をされたからだ。
「ラ……ウル……」
俺は一点を見つめまま、力無く前のめりに倒れ込んだ。しかし、倒れつく場所は野の上ではない。
────馬鹿じゃねぇのか。
狼人の王は、途中まで来ていたのだ。しかも、本当に一人で。
「……随分と大荷物だな」
三人分の重さを受け止めながら、ラウルがそんなことを言った。全然重そうな雰囲気を見せないお前が恨めしい。
「……うる……せ……ぇ……」
足に力が入らない。いや、身体に力が入らない。ホッとしちまったからかもしれないが、もう身体が動かない。
「死ぬな。私はまだ何も言っていないぞ?」
そんなことを言われても、もう何も見えねぇんだよ。お前の顔が見えたのも奇跡みたいなもんだ。まさか、幻じゃねぇよな?たとえお前が幻でも……会いたかったなんざ、一生言ってやんねぇよ。
「死ぬな……」
ラウルの声だけが静かに俺の耳に残った────。
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