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第5章 魂の願い④
◆ ◆ ◆
「……やばい」
数ヶ月後、俺はラウルの部屋に入るなりボソリと呟いた。本当に、とてもまずいことになった。
「どうした?」
上着を羽織り、いつもと変わらぬ冷静な表情と口調でラウルが言う。本当にこいつは気付いて居ないのだろうか?
「いや……、その……」
至近距離に近付かれ、思わず、たじろぐ。これは、もしかして、言わない方が良いのか?いや、でも俺とラウルはめでたく結婚したわけで、やっぱり、このタイミングで言わないと駄目だよな?
「あのな……、だから、……その……、ヒートが来ない。……つまり────」
「子が出来たのか!?」
俺は面食らってしまった。ラウルでもこんな顔をするのか、と思ってしまった。俺の知らない顔してラウルが嬉しそうに笑っている。
「どうすれば良い?直ぐに医者を」
落ち着きのないラウルを見るのも初めてだ。部屋の中をウロウロして、まるで餓鬼みたいだな。
「いや……、違うな」
落ち着きがないと思ったら、急にピタリと止まって、奴は俺の目の前にやってきた。
「レオ、貴様はどうしたい?望んだ子ではないだろう?産みたくないのなら────」
俺はラウルの口を静かに手で塞いだ。それ以上言うな。また俺が言えなくなっちまう。そんな意味を込めて。
「俺はお前が好きだ。好きな奴の子を産んでなにが悪い?」
アルファだった俺がオメガになり、狼人の子を身篭った。予想していなかったことばかりだ。本当に今は心に余裕がない。正直に言うと不安でいっぱいだ。
「悪くはないが……、直ぐに医者を」
俺の手を口から外し、ラウルはそんなことを言って、部屋から出て行こうとした。
「待てよ」
もしかすると、俺のこの声には不満そうな雰囲気が混ざってしまっていたかもしれない。
「なんだ?」
だから、ラウルは立ち止まり、俺の方に戻って来てくれたのかもしれない。かもしれない、ばかりだ。ラウルの気持ちなど分からない。まだ分からないことだらけだ。だから、不安になる。
「行くな、……そばに居てくれ」
不安なんだ。
「なっ、なにしやがんだ?」
急に身体を抱えられ、俺は驚愕の声を上げてしまった。よく考えてみれば、他に無いのかもしれないが、お姫様抱っこなんざ……。
「大丈夫だ、落としはしない」
俺を抱えたまま器用に部屋の扉を開け、ラウルが外に出る。
「そういうことじゃねぇだろ?俺は────」
ラウルの服を掴み、自分で歩ける、と文句を言おうとしたが、俺は言う気を無くしてしまった。ラウルがやけに優しい瞳をして、「貴様の顔が見えないと不安になる」と言ったのだ。
「っ……、か、勝手に言ってろ……」
急に素直なこと言ってんじゃねぇよ。ちょ、ちょっと可愛いとか思っちまったじゃねぇか。
「安心しろ、ずっと私はそばに居る」
そんなことを言っておきながら、内心はラウルもグチャグチャなんだろうな、と思った。焦ったり、喜んだり、悩んだり、こんなラウルを見れる日が来るとは思ってもみなかった。
ふと、初めてこの国に来た時のことを思い出す。あの時は不安なんざ、これっぽっちも無かったな。自分が生まれて来た理由も、それ以外も何もかもが分からなくて、総てが無意味に思えた。
死が逃げ道だと思っていた。誰かに殺してもらうことが救いだと思っていた。
ラウルなんざ、感情が一つしかないみてぇな表情してて、俺には凄く冷たかったな。国を守るためだと分かっていたが、それは最初だけで、本当はそれ以外にも理由があっただろう?
俺が他の奴に恨まれない様に冷たくあしらってたんだろう?この国で俺が居場所を見つけるまで、冷たくとも遠くから見守っていた。俺が見ていたのと同じ様に、お前も俺を見ていたんだな。ほんと不器用だよ、お前も俺も。
「ふっ……」
思わず、口元がほころんだ。
「なにを笑っている?」
王が慌てて廊下を走ってるんだぞ?笑わずして、どうしろというんだ?
聞かれたら、そう言おうと決めていたが、狼人は嘘を見抜くのが上手い。嘘を吐くのなら、隠した方が面白い。
「内緒」
俺が思ってること、当ててみろよ?と鼻で笑うとラウルは深く溜息を吐いた。
「貴様には敵わんな。私と同じことを思ってくれていれば良いのだが……」
俺の身体を持ち直しながら、ラウルが自信なさげに呟いた。それを俺は聞き逃さなかった。
「同じこと?」
ラウルが俺と同じことを考えているとすると、俺がこの国に来た時のことを考えているということになるが、果たして、そうだろうか?
俺が眉間に深い皺を寄せていると、ラウルが顔を近付けて来た。
「……貴様が愛しい……」
「~~~~っ!う、うるせぇよっ!」
耳がこそばゆくなり、俺はラウルの胸を勢い良く拳で叩いた。こ、こんな誰が通るか分からねぇところで甘い言葉吐いてんじゃねぇよ!
「痛い。こら、暴れるな」
怒ったり、笑ったり、城の廊下は俺とラウルの所為で暫く、静けさを失った────。
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