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第626話
パンっと乾いた音が鳴る。
頬が少し痛い。
びっくりして固まる俺は、肩を上下させて凄むその子を見ていた。
「おい!高梨先輩が来るぞ!」
誰かがそう言って教室中が騒がしくなる。
「この事、先輩に言ったらどうなるか分かってるよね?」
「············」
俺を睨んでいた子達は教室から消えて、入れ替わるように誉君がやって来た。
名前を呼ばれても上手く反応出来なくて、傍に来た誉君にとにかく笑ってみせると、誉君の様子が変わった。
匂いも、雰囲気も、全てが怖い。
「っ!ほ、まれくん、怖い······っ」
「······誰に何をされた」
体が細かく震える。
こんなの、初めてだ。
「怖い······やだ、やだ······」
「怖くない。答えろ。誰に何をされた」
涙で視界がぼやけて、必死で首を左右に振る。「あの······」と誰かが誉君に声をかけて、誉君はそっちに目を向ける。
話しかけてきたのは森君で、口角を引き攣らせている。
「何だ」
「よかったら俺が話しますよ」
「······いい。俺は泰介から聞く」
遂に涙が溢れて、途端、誉君から怖い雰囲気が少し消えた。
「泰介」
「······怖い、誉君が······怖いから、嫌だ。」
それでも、色んなことがあって恐怖から逃げようと、誉君と目を合わせないようにする。
すると今度は、悲しんでいるのがわかるような、そんな匂いがした。
「悪い。······なあ、俺の事見て。」
「嫌だ、怒るもん。怖い匂いがまだちょっとするもん。」
「怒らない。匂いは······それは、どうしようもできないけど、お前に怒ってるんじゃない。」
床に膝を着いた誉君に見上げられる。
手を掴まれて、ゆっくりと目を合わせた。
「ごめん。どうしても何があったのか知りたかった。泰介がいつもと違うくて、気になった。」
「······誉君」
「うん、何?」
誉君の温かくて大きな手が頬に触れる。その手に擦り寄って、安心を求めた。
「何でもないの。ちょっと、疲れてただけ。大丈夫だよ」
「······言いたくないのか」
「······お願い誉君。」
これ以上は聞かないで。
今は話せないことだから。
そう思いながら見つめると、誉君は渋々頷いてくれた。
「わかった」
頬を撫でられたその手が後ろに回って、引き寄せられ、キスをされる。
これは、他の子達に見られてはいけない。
また、酷いこと言われる。
咄嗟にそう考えが及んで、いつの間にか誉君の胸を強く押し返していた。
誉君は少し驚いていて、俺は俯く。
「誉君ごめんね、今ちょっとやっぱり、疲れてて······」
「······それなら、放課後はすぐに帰ってきた方がいいんじゃないか。」
「ううん。行ってくる。大丈夫だから、ごめんね。」
誉君を教室から追い出して、ドアを閉めた。
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