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03.朝のお支度

「こら、寝るな」 半裸のまま、こっくりこっくりと船をこいでいるユウに、キッチンから渇を入れる。 するとユウはピンと背を張り、服を羽織始めた……が、だんだんとまたその動きはゆっくりになってしまう 。 「ったく、テメェから盛っておいて、体力使い果たしてんじゃねえよ」 一方、俺は朝食の準備だ。 夕べの残りのスープを温め、さっき作っておいたサンドイッチを皿に載せる。 そこで、改めてソファーの前であぐらをかいているユウの様子を確認する。 上着に袖を通しただけの状態で完全に動きが止まっていた。 「たく、しょうがねえな……」 ため息混じりにコンロの火を弱め、プラケースを二つとチョーカー、そしてミネラルウォーターのペットボトルを持ち、ユウの元に戻る。 「ほら、ちゃんと着る。また風邪引くぞ」 「うーん、んん……ふぁあ~」 俺の介助を得てようやく上着を着終えたユウは、最後に顎をクイと上げた。 俺は、その首にチョーカーを当てる。 それには銀のドッグタグが真ん中についていて、ユウの名前と俺の連絡先が彫られている。 飼い犬がよくつけている迷子防止の首輪のタグと同じだ。 ユウは過去一度迷子になったことがある。 その時の教訓を生かして、基本的に寝るとき以外は常にこれを身に付けさせている。 最後にそれを首に巻いてやり、着替えは完了だ。 また、ユウの上着は拘束着を普段使い出来るように改良したものなので、袖がかなり長い。 何でそんな服をわざわざ着せているかというと、理由は二つ。 一つ目は、こいつが無駄に気にしている指先から肘までの傷跡隠し。 そして二つ目は、何かのきっかけでパニックになった時に手早く安全に拘束するためだ。 ユウと俺の体格はそう変わらないし、俺も力に自信があるタイプではない。 もしユウに本気が暴れたら、正直手に負えない。 とは言え食事を取るにはこの大きな袖が邪魔になるので、捲ってやる。 すると露になる生々しい自傷跡を気にしたユウが、もじもじとし始めるが構いやしない。 肘まで袖を捲り上げ、落下防止のフック式アームバンドで留めてやった。 そのまま流れ作業で、プラケースのひとつを開き注射器を取り出す。 それを見た途端、ユウはソファーの上に逃げた。 「腕」 「ユウ、おねつないよ」 「うーで」 「げんきだよ」 「関係ない。 俺は煙草が吸いてえんだ、はやくしろ」 「うっうっ」 ユウは観念したのか、聞き分けよく枝みたいな細い腕を差し出してくる。 一方でその顔は反対側を向き、瞳は固く閉じられ、体は震えていた。 毎日のことなのにと思う一方で、それも仕方ないかと一人ごちる。 ユウの体が悪くなったのは、前の主人によって、投薬の被験体にされていたからだ。 注射の後、具合が悪くなったことも多くあっただろう。 きっとトラウマになっているんだ。 アルコールの香りが、仄かに漂う。 「……これは、いいおくすり……」 注射針の先が腕に触れた刹那、ユウが自分に言い聞かせるように呟いた 「ユウを、げんきにするおくすり……」 「……そうだな」 それは、俺がこいつに教えたことだ。 ユウはそれを信じて、指先を震わせながら、必死に恐怖を堪えている。 「いい子だ、おいで」 こういう時は、ちゃんと褒めてやるのが躾のコツだからな。 俺は優しくユウを引き寄せて、抱いてやった。 そして俺の胸の音を聞かせながら、手早く針を刺す。 ユウはそのまま身を固くして、三本の注射が終わるのをじっと待った。 「よし、終わったぞ。」 ユウに患部を押さえさせている間に、もう一仕事。 もう一方のケースから錠剤を取り出した。 食前……というよりは直前になってしまったが、まぁ、仕方がない。 錠剤を掌に乗せ、顎をしゃくる。 するとユウが、口を開いた。 それを全部で三回に分けて、ユウの口に放り込む。 そして最後に口の中に薬が残っていないか確認が出来たら、朝の投薬は完了だ。 ヨシヨシと頭を撫でてやると、ユウは嬉しそうに笑った。 キッチンでは、温めていたスープが丁度食べ頃になっていた。 スープカップに盛り、サンドイッチと共にセンターテーブルに置いてやる。 「もうすぐあいつらが来るから、今日はここで食べろな」 「……」 ユウは食事を覗き込みながら、こくりと頷いた。 さて、やっと煙草にありつける。 冷蔵庫に寄ってゼリー飲料を出し、急ぎバルコニーへ向かう。 途中で煙草に火だけつけて、窓を開けると同時にくわえて吸い込んだ。 肺が煙で満たされると、まさに生き返る思いだ。 煙を吐き出しながら、窓越しにユウを見る。 やつは背中を丸めてサンドイッチを食べていたが、目が合うとふんにゃりと笑った。 それから、左の頬を人差し指でトントンとつついて見せる。 それは"おいしい"、のサインだ。 ユウは引き取ってから暫くの間、言葉を喋ることが出来なかった。 なので、意思疏通をはかるため幾つかサインを決めた。 "頬トントン"も、そのひとつだ。 後に本人から聞いた話だが、以前の主人は、ユウに完璧な"犬"であることを強要した。 そしてその言い付けを破れば、酷い罰を与えたそうだ。 そう、"犬は、喋らない"。 今ではかなり発語も増えたが、それでもユウの言語能力は著しく低い。 まだまだサインは、ユウが気持ちを表現するための大切な手段の一つとして必要だ。 右手を軽く挙げて答えてやると、ユウはまた微笑んだ。 そして、残りのサンドイッチに大きな口でかぶりつく。 俺はそんなユウを見守りながら、二本目の煙草に火をつけた。 それから三十分ほど経った頃。 「はぁ~い」 「……お邪魔します。」 「ぅわビックリした。 お前らインターフォンぐらい鳴らせよ!」 「んまっ、ドア開いてたわよ」 「相変わらず不用心ですね。 まあ、この散らかった部屋じゃ物盗りも途方に暮れると思いますがね」 「お前ら、言わせておけば……」 騒がしいのと陰気臭いの、二人の客人が我が家を訪れた。 「はい、頼まれていた本。 もう、いい加減通販のやり方ぐらい覚えてよね! これ、すっごく重たいんだから!」 「おー、サンキュ。 なんか通販て好きじゃねーんだよな」 「は? 新刊を無差別に大人買いしてるだけじゃない。 そもそも人に買わせてたら通販と変わらないと思うけど」 「変わる変わる。 平積みは特に店員の趣味によって結構違うからな。 ここのチョイスはなかなかいいんだよ」 「ふうん……、全然興味ないわね」 「龍華、お前はもう少し本を読んで勉強した方がいいぞ。 なあ、龍貴もそう思うだろ?」 「まあ、それは一理あります。 が、貴方も新しい本を買う前に、読み終えた本を片付けるべきだと思いますよ」 「そうよね、ほんと散らかりすぎ。 仕事とはいえ、この部屋を掃除するハナちゃんが気の毒になってくるわ」 「……ったく、酷い言い草だな」 こいつら、俺はまがりなりにも″雇い主″なのに、人のことを舐めすぎていやしないか? ちなみにギャンギャンと騒がしい方が龍華。 裏声で女言葉を操り、ド派手で真っ赤なチャイナドレスを着ているが、男だ。 そしてその横の、うすらでかくて全身真っ暗な出で立ちの辛気くさい男が、龍貴。 龍華は俺の″店″の雇われ店長、龍貴はうちの顧問弁護士兼税理士。 つまりどちらもこの会社の経営者である俺の部下だ。 「まーいいわ。 本、ここおいとくわよ」 「おう」 龍華はどすんと音を立て、件の紙袋をユウの真横に置いた。 それなのに顔色一つ変えずに、ミルクを啜っているユウを怪訝そうに見ながら、 「ほんとこの子、顔は可愛いけど、ぼんやりしてるわよねえ。 はぁい、起きてる~?」 と、その目前で羽扇子をヒラヒラと揺らした。 しかし、ユウの反応はない。 興味がないからだ。 「んまっ、ナマイキ」 そんなユウの態度が気に入らなかったのだろう。 龍華は頬を膨らませ、更に強くハタハタと扇子をはためかした。無論、反応なし。 その銀色の前髪だけが扇子の風に煽られて上下に揺れていた。 「おい、そろそろこっちに来い。 始めるぞ」 「はあい」 さて、いつまでも龍華の無駄口に付き合っていては、時間の無駄だ。 新しい本にも早く目を通したいしな。 ダイニングテーブルの上のものをごちゃっと端に寄せて、まず俺が上座に腰を下ろす。 龍貴は対面だ。 カバンから手早く商売道具を取り出して、きっちりと机に並べている。 「ユウはテレビでも見て待ってろ」 「!!」 次は自分の番だとでも思ったのか、ワクワクした顔で見ているユウにそう告げる。 途端、しょんぼりと肩を落としてしまったのを見下ろして、龍華は 「ふふっ、あんたはお呼びじゃないって」 と、鼻で笑った。 意地悪を言われたユウは、膨れっ面をして龍華を目で追う。 そんなユウに見せつけるように、わざとゆっくりこちらに来た龍華が龍貴の隣の席につけば、我が社の″役員"は全員集合だ。 「よし。」 俺は二人を見渡しながら、電子タバコを片手に宣言した。 「月次報告会を始めるぞ」

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