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20.アースとカイ

クローゼットの奥から、もう着ることは無いと思っていたスーツを出す。 それからネクタイ、時計等々、小物を一通り。 これらは全て、以前ホストとして働いていた頃に使っていたものだ。 ホストになったきっかけは、たまたま飲んだ帰り道で声を掛けられたスカウトだ。 あまりにも熱心に勧誘してくるので断りきれず、ついていった先が社長の店だった。 その時の面接のことは、今でもよく覚えている。 『ふうん、で?志望動機は?』 即面接だと通された別室で、経営者とおぼしき"白い人"がこちらを見ることもなく本を片手にそう言う。 『えっ、お金ですかね』 今思えば、もう少し取り繕ったことを言えばよかったのだが、まだ酔いが残っていたこともあり、素直にそう言ってしまった。 『だよな。 こんな仕事してえなんてやつ、目的はそれしかねえよな』 だがそんな不躾な回答が、思いの外社長の琴線には触れた様だった。 それを契機に、社長は本を置き俺の前のソファーに座ってくれたんだ。 マンツーマンでの面接は続いた。 『で?幾ら欲しいんだ?』 『5000万ほど……』 『5000万!?』 俺の答えに相当驚いたのか、社長は真っ赤な瞳を真ん丸にしてオウム返しをした。 それから、 『また大きく出たな。借金か? や、その若さにしては額がでかすぎるな』 と、声を張り上げて聞いてくる。 完全に興味本意だろうが、全く嫌味を感じさせないから不思議な人だ。 『借金もまあ、早く返したいんですけど……。 他に、開業資金を貯めたいんです』 『開業?お前が?何してえんだよ』 『いや、弟のなんですけど。 病院を開いてやりたいんです』 『弟?』 『ええ、今勤務医をしてるのですが、色々悩んでるみたいで。 だから、独立させてやりたくって』 『あー……』 ここでようやく社長が履歴書に目を通す。 と言っても、スカウトに連れられて途中のコンビニで買って、急いで適当に記入したものなのだけれど。 『葉月……葉月……ああ、やっぱり』 『やっぱり?』 『いや、何でもねえよ。 そうか、それにしたって、勤務医してるなら弟もそこそこ金持ってるだろ。 別に全部お前が肩代わりしなくても』 『開業資金だけならまあ、そうかもしれませんが……』 『借金か、幾らだ』 『えっ、に、2000万』 『若い割にいったなあ。事業でも失敗したか』 『その、親の借金で』 『親? そんなん自分で払わせろよ。 お前が苦労する必要はねえだろ』 『いや、親は子供の頃に死んでいて……。 えーと、少し複雑なんですけど』 何で見ず知らずの人にこんなことを。 そんな風に思う一方で、俺自身も思っていた以上に"溜まっていた"様だった。 結局、酔いも手伝って社長にそのまま洗いざらい喋ってしまったんだ。 小学生の頃、両親が事故で死んだこと。 そして、両親が存命中に友人の連帯保証人になっていたことを、今更債権者から知らされたこと。 そして行方不明になったその友人のかわりに、借金の返済を迫られていること。 社長は時折相槌を打ちながら、真剣に話を聞いてくれた。 『弟はそれ知ってんのか』 『いいえ。 弟には、余計な心配をさせたくないんです』 俺の話が終わると、社長は煙草に火をつける。 そして白い煙を吐き、赤い目を細めて言った。 『お前、バカじゃねーの?』 そして煙草の火を俺に向けユラユラと揺らした後、 『おい、龍貴、おい!』 と、ソファーの背もたれに後頭部を乗っけて向こうのドアに向かって大声を出す。 するとそれが直ぐに開き、対照的に真っ黒な男が部屋に入ってきた。 『ーーお呼びですか』 『おう、今の話、聞いてただろ。 何とかしろ』 『えっ』 『また急ですね』 『お前なら何とかなるだろ?』 『……債権者から連絡があったのは、いつ頃ですか』 『ええと、3ヶ月位前ですけど……』 『何か証拠は』 『電話の着歴があります。 ちょっと待って……これです』 『正確には二ヶ月と三週間と二日前ですね』 それから少しの間を置いて、彼はハッキリ言ったんだ。 『何とかなりますね』 『ええっ?』 『お、こいつがそう言うなら大丈夫だ。 良かったなー』 『えっえっ』 あまりの展開についていけない。 まさか飲み過ぎて見た変な夢かと思い頬をつねってみたが、ちゃんと痛い。 『報酬は10%、前払いですが』 ーーてことは、それでも200万? "そんなお金、あるはずが……" と、返そうとしたところで、社長が二本目の煙草に火をつけながら言う。 『バカだな、んな金あったら、とっくに債権者に払ってんだろ』 『じゃあお受けできませんね』 『いいさ、俺が払ってやるよ』 『へっ?』 『200万だろ?ほらよ』 『…………確かに。では、出ます。 時間がないので』 『おー、行った行った』 『ちょっ、あの……』 俺のことなど見向きもせず、龍貴さんは部屋を出ていってしまう。 社長は思わず立ち上がった俺に座る様促して、 『ツケな、ツケ』 と言って笑った。 そして、もう一度履歴書に目を通し始める。 どうやらまだ面接を続ける気らしい。 『借金は片付いた。次は開業資金か。 それで、めでたく金がたまって開業できたとして。 その後はお前、どーすんの?』 本当に変なことばかりを聞いてくる人だ。 しかし改まってそう言われると、すぐには出てこない。 両親を事故で亡くしたあの日から、俺は弟のためだけに生きてきたんだ。 弟は俺とは違い、頭もいい。 父と同じ医者になりたいというその夢を、どうしても叶えさせてやりたかった。 本当にただそれだけで、その後の事なんて……。 言葉を詰まらせる俺に、事情を察した社長が言う。 『あのなあ。 ご両親が亡くなって、まあ大変だったんだと思 うけどさ。 そういう自己犠牲はよくねえし、結局相手の重荷にしかならねえぞ』 そして履歴書をヒラヒラと揺らしながら続ける。 『中卒で職歴無し、資格も無しのフリーター。 お前、開業から先は弟に寄生すんのか?』 『寄生だなんて、そんな』 『でもきっと最終的にはそうなるよな。 普通にしていたら、どうやってもロクな仕事につけるような経歴じゃねえし。 ホストだって、長く出来る仕事ではねえよ』 『でも……』 悔しいけれど、あまりにも正論過ぎて返す言葉が見つからなかった。 拳をぎゅっと握る。 弟の荷物になんか勿論なりたくない。 俺がなりたい、のは。 『……なにか、弟の助けになるような仕事を探します』 社長は目を細めて俺を見た。 暫く沈黙が続いたが、不意に社長はそれを破って履歴書を乱暴に机に投げつけた。 そのまま部屋の一番奥にあるシステムデスクに赴く。 そしてすぐにノートパソコンを持ち戻ってきた。 かと思えば、画面に向かってブツブツ言いながらキーボードを叩き始める。 『そうだなー、看護師は時間がかかるし、キツいから店と両立できねーよなあ。 作業療法士……よりは理学療法士の方が潰しが効くな。よし、決めた』 『?』 そして社長は、画面を俺の方に向け言ったんだ。 『11月に高認資格。 4月からこの専門学校の理学療法士のコースに入学、二年後資格取得を約束するなら、今ここでお前を雇ってやるよ』 ーーー超展開過ぎて、何を言っているのか本当に分からなかった。 3ヶ月前に債権者から連絡があったときよりも話が飛びすぎていて、正直ついていけていない。 黙り込む俺を急かすように社長が捲し立てる。 『あ?どーすんだよ、やめるか?』 『いや、やります、やります、けど』 『けど、なんだよ』 『何でこんなに良くしてくれるんですか? たまたま酔った勢いで面接に来ただけの、俺に』 これは至極当たり前の質問だったと思うのだが、何故か社長の方がキョトンとした顔をしている。 そしてそれに対して、社長はあっさりと返して来たんだ。 『先行投資。 お前、なんか後で役に立ちそうな気がするから、今のうちに恩を売っておく』 『…………は、はあ?』 『あとはまあ、俺は弟思いのにーちゃんには甘いんだ』 その時は、社長が何を言っているのか全然意味が分からなかった。 でも、恩には報わなければと俺はがむしゃらに店で働いたし、人生で初めて必死に勉強もした。 その結果、いつの間にかナンバーワンになり、一方で専門学校卒業と共に資格を取得出来たんだ。 それから程なくして、ユウが社長の元に来た。 詳細はわからないけれど、心身共にボロボロな子だった。 そのユウの治療のために、社長は都合よく働けるクリニックとリハビリを担える理学療法士が必要になった。 俺たちは、勿論それに全力で応えた。 そうすることが出来る力を持てたのは、他の誰でもない社長のお陰だったから、役に立てて嬉しかった。 そう考えると、最初に社長が言っていた予感は的中したわけだ。 運命の巡り合わせは本当に不思議なものだと思う。 「わ、派手なスーツ」 ーーなんて懐かしいスーツを前に感傷に浸っていたのだが、横からしたカインの声ではっと我に返った。 「どうしたんです、こんなの引っ張り出して」 「うん……ちょっとね」 それを契機に、俺はホスト道具一式をクローゼットから出してベッドに並べていく。 「社長から、お願いされちゃって」 「またホストを?」 「いや、講師だって。 新しいお店を出すから、キャストの指導をしてほしいって」 「へえ、新店舗ですか……。 お店の経営、案外うまく行ってる様ですね」 「どうなんだろ。 誰にでも"あの調子"だから、騙されることも多いしね」 「あはは、何だか分かる」 「だよね」 ……まあ、それが社長のいいところでもあり、悪いところでもあるんだけど。 「だから手伝えることは手伝おうかなって」 「そうですね。そうしてあげて下さい」 「うん」 「……と、言いつつも貴方がホストをするのは複雑な気持ち……」 「だから、講師だって」 「それでも」 「バカだな、俺はお前だけだよ。 わかってるだろ」 「わかっていても!」 「仕方ないな……」 可愛い弟が、シャツを引っ張りながら拗ねている。 それを抱きしめながら、今こうしていられる幸せを噛みしめた。 そしてそれを叶えてくれた社長への"ご恩"に報いるため、俺は昔のスーツに袖を通したんだ。

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