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21.カイのごほうび①

ユウが、指を噛みながらずっと泣いている。 その傷口からはダラダラと鮮血が流れ落ち、ズボンに真っ赤な染みを作っている。 これはもう捨てないと駄目だなと思いながら、俺は強めにアクセルを踏み込んだ。 今日は一日、内覧会の準備のため新店舗にほぼ缶詰だった。 オープニングスタッフも勢揃いし、初の顔合わせも行った。 いい機会だったので、うちのホストクラブ元ナンバーワンで今は引退済のアースを講師として招き、ホストたちへの研修会も開いた。 それにホスト未経験のユウも参加させたのだが、これが不味かった。 ユウは、完璧主義だ。 指示されたことをその通りに出来ないと、強いストレスを感じてしまう。 今回はホストの所作が思った通りに出来ない自分に苛立ち、酷い癇癪を起こした。 それでも過呼吸まで至らなかったのは、偏にこれまでの治療の成果だと思う。 「あー、ユウ、もうそろそろ泣き止んでもいいんじゃねえか?」 赤信号で停車すると同時に、俯いているユウの頭を撫でる。 「うっう……ごめんなさい、ごめんなさ ……」 「いや、もういいって。お前良くやったよ。 最初は皆あんなもんだ」 「ごめんなさい、ごめんなさい……」 ああ、駄目だな、こりゃ。 人の話なんか全然耳に入ってねえ。 ホストが行わなければならない接客作法は色々あるが、その中でも今日ユウが一番出来なかったのがライターに火をつけることだった。 ユウはどうやら火が極端に怖い、らしい。 俺はユウの前で紙煙草を吸うことを控えてきた。 煙草の副流煙が、ユウの負担になるからだ。 ついでにいうとウチはオール電化。 意図せずに、火とは無縁な生活を送らせてきていたんだ。 だからそんなこと、今までちっとも気がつかなかった。 何故火に恐怖するのか、その事情は分からない。 しかし、ユウの背中に幾つか残っている大きな火傷の痕のことを考えると、何となくその理由は察しがついた。 もうやめよう、もういいからと何度も止めたが、ユウは辞めなかった。 いや、きっと辞めることが出来なかったんだ。 "主に命じられたことを完遂しなければ、恐ろしい目に遭う" 長い奴隷生活の中で刷り込まれてしまった脅迫概念が、ユウの意思とは関係なくその体を動かしてしまっていたんだ。 そんなユウを宥めて、宥めて、何とか車に乗せて帰路につきもう三十分。 流石にそろそろ気持ちを落ち着かせてやりたいが、さてどうしたものか。 そんなことを考えながら気休めの禁煙パイポの吸い口を噛みしめていると、ふとこの近くにユウが好きなチョコレート屋があることを思い出した。 「ユウ、チョコレート買ってやろうか」 「ごめんなさい」 「お前が好きな"まんまるチョコ"だぞ」 「ごめんなさい」 「好きなだけ袋につめてもいいぞ」 「ごめんなさい」 ……ああ、全然駄目だ、こりゃ。 自然とこぼれるため息。 どうしたものかと考えたが、店には寄ることにした。 現物を見れば"戻ってくる"かも知れねえし。 近くの駐車場に車を停め、待つように言いつけて店に入る。 いつもは計り売りのものをユウの好きなように袋に詰めさせるのだが、今日は面倒なのでパックに入っているものにする。 餌はインパクトがあった方がいいので、一番でかいやつにした。 抱えるほどでかいそれを持ってレジに並ぶと、イートインの方にある期間限定のチョコレートドリンクの掲示に気が付く。 ホットチョコレートの上に、これでもかというくらいのクリームが乗っていて、いかにも甘そうだが、ユウが好きそうだ。 テイクアウトも出来るそうなので、それも頼んだ。 店を出たところで、贈呈用と勘違いされ綺麗にラッピングされたチョコレートと、熱々のホットドリンクを見てはっと我に返った。 たかが飼い犬の機嫌を取るために俺は一体何をしてるんだ。 思わず自分で自分に呆れてしまった。 けど、まあ仕方ない。 今回は、無理矢理ホストなんかやらせようとしている俺にも非がある。 それから足早に車に戻ると、意外なことにユウは泣き止んでいた。 俺が離れたことで、少し冷静になったのか。 よく分からないが、それはそれで不気味だ。 「ユウ?」 俯いたままのその顔を覗き込んだ。 それがまるで人形のように無表情で一瞬ゾッとした。 「ほら、今日のご褒美」 思わず目を反らしながら、チョコレートを膝に置いてやる。 ぴくっと指先が動いたので、次にその手にカップを持たせてやった。 甘い香りと温かさのお陰か、強ばった手が少しずつ解れていく。 また、それと同じスピードで、ユウの瞳に光が戻っていった。 ユウがようやく顔を上げる。 俺を映すその瞳は、いつもの碧色だった。 「カイ……」 ユウが掠れた声で俺を呼ぶ。 ヒクッとその咽が鳴った。 「飲んどきな」 そう言って頭を撫でてやると、ユウはドリンクとチョコレートを見下ろしてヒンヒン泣いた。 泣きながらカップを啜っている姿は、子供のようで何だか愛らしい。 そして、ユウが鼻の頭にクリームをつけたまま誰ともなしに頬を指でトントンと叩いているのを横目で見ながら、帰路を急ぐ。 家に着く頃には、かなり落ち込んではいるもののユウはほぼいつもの状態に戻っていた。 思った通り、チョコレート作戦は効果覿面だったようだ。 疲れた体に鞭を打ち、風呂の準備をして戻る。 ユウは空のカップを両手で持ったまま、定位置であるソファーとテーブルの間に腰を下ろしてぼんやりしている。 これなら大丈夫そうだ。 チョコレートを一つ口に放り込んでやり、その隙にさっき噛みついていた指の手当てをしてやる。 出血の割には傷が浅かったので、ほっと安心した。 消毒の後、がっちりテーピングをしてやる。 その間、ユウの反応は特になく口をモゴモゴ動かしながら空のカップを見つめているだけだ。 治療はそれなりに痛んだのだとは思うが、昼間のことが気になり過ぎていて、上の空になっているのだろう。 風呂が沸いたことを知らせる音が、リビングに響く。 ここまでサービスしてやるのは些か不本意だが、このままにしておくのも辛気くさいし面倒だ。 だから仕方なく誘ってやる。 「風呂」 「……」 返事がないのは、まあ、想定内。 俺は首の後ろを掻きながら、 「お前、まさか疲れた主人を一人で風呂に入らせるわけ?」 と、わざとらしくため息をつき言ってやる。 するとバッとユウの顔が上がり、こちらに向けられた。 そして、やっと言葉が返ってきた。 「ユウ、できる!」 得意なことで汚名返上のチャンスを与えられたユウは、途端やる気を取り戻した様だった。 いつもなら風呂は大嫌いな癖に、俺の手を引いて急かしてくる。 脱衣所に着くと俺の髪を解き上着を脱ぐ手伝までしてくれる。 まさに至れり尽くせりだ。 まあ、"もの凄く下手くそ"なことがたまに傷なのだが、言うとまた気にするから今日は黙っておくことにする。 「あー、うー」 「あーもう、モタモタすんなよ」 人のことを手伝おうとするくせに、自分が脱ぐのすらもたついてるんだから世話ねえよな。 長い袖に手こずっているユウを介助して裸にしてやる。 すると、先人を切ってバスルームに入って行った。 中から派手に桶を落とした音が響いているのを聴きながら、俺も中に入る。 ひっくり返ったバスチェアを立て直し、腰を下ろすとユウがすぐに背中にくっついてきた。 そして、上から下にゆっくり動く。 ボディソープのお陰でぬるぬるとよく滑るわけだが。 「だーかーら! そういうフーゾクっぽいことやめろっつってんだろ!」 「??」 泡まみれのユウは、キョトンとした顔でこちらを見てやがる。 「背中を流すのはこれ!」 半分キレつつ、ボディタオルを押し付ける。 けれどもユウは、不満げに眉を寄せて 「ユウのおなかのほうが、きもちいいよ」 とか言ってくるんだ。 よしよし、いつもの調子が出てきたな。 ……って違う、そうじゃない。 「俺はこっちの方が気持ちいんだ!」 「へんなの」 「お前の方がおかしいわ!」 ユウは肩をすくめ、渋々ボディタオルで背中を流してくる。 その力加減は、教えた通りでなかなかいい。 というか、分かってるなら最初からやれよ。 絶対自分が泡プレイしたかっただけだろ。 「ユウ、こっち来な」 「?」 頃合いを見計らい、ユウを呼びつける。 前に回って来たところで、ぎゅっと抱き締めた。 「???」 そして、戸惑いながらも嬉しそうに綻ぶその唇にキスを落とす。 「ん……」 珍しく俺から舌を入れられて、動揺したユウの指先が震えている。 それで肩を掴むように促して、更に深く口づけてやった。 「ふあ……」 舌を絡め何度か吸ってやった後に離すと、ユウは早くも出来上がった顔だ。 頬を紅潮させ、もじもじしながら熱い視線を向けてくる。 「ご褒美、もっと欲しいか?」 分かりきった答えを期待しながら、そう尋ねた。 ユウは予想通りにコクンと頷き、俺の首に腕を絡めておねだりをしてくる。 「今日は、特別だぞ」 俺はそう耳打ちをすると、請われるがままにもう一度口付けた。

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