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【閑話】誉と櫂のクリスマス②

思ったよりもずっと混んでいた登り列車。 楽しそうな男女カップルが多い車内に、男二人で乗り込む。 人間て思ったより隙間に入り込めるもんだよな。 扉が開いた時、絶対無理だと思ったからビックリした。 こんなにきつい電車は、初めてだ。 俺とは反対に、電車に乗り慣れている誉は、人混みの中をうまく掻き分けてドアと座席の三角地帯を陣取る。 そしてその狭い隙間に俺を入れ、向かい合わせに立ってくれた。 体が大きな誉は、まるで壁のようだ。 それは人混みの中のはずなのに、世界が二人だけのように思える程。 「大丈夫?」 「うん……」 その瞬間電車が揺れ、後ろの人に押された誉が少し前屈みになった。 次の駅に停車したんだ。 反対側のドアが開き、人波が動く。 誉は俺を守るように更に背を丸めた。 まさに"壁ドン"の状態を経て、大きな体に覆われる。 「……なんか……」 「ん?」 「抱き合ってるみたいだ」 「あはは、そうだね」 「あ、こら、抱き締めるな」 「人前で合法的にくっつけるチャンスだから」 大きな手が後頭部を撫でながら、ゆっくり体を預けるように促してくる。 それに従って誉の胸に頬をくっつけると、今度はぎゅっと抱かれた後耳を撫でられた。 そうすると、少しだけ喧騒が遠退く。 電車の揺れと、誉の匂い。 満員電車の中のはずなのに、とても心地よかった。 このコートさえなければ、誉の胸の音が聞こえるのになあ。 そんなことをぼんやり思いながら身を任せていると、誉が、 「満員電車も悪くないだろ?」 と言って小さくウインクをした。 実際そんな風に思い始めていたのだが、それを悟られるのは嫌なので横を向く。 すると、 「耳真っ赤だけど」 と、耳打ちされた。 「……暑いんだよ」 「そうだね、体、熱くなってる」 「違う、そうじゃない」 「……可愛いね、櫂」 顔を上げると、蕩けそうな程うっとりした顔で俺を見ている誉と目が合った。 刹那、その手が頬を撫で、ちゅっと唇にキスを落とされる。 心臓が跳ねるというのは、まさにこういうことだとその時思った。 カッと一気に爪先から顔まで上がってくる熱。 まさかこんな大勢の前で、そんな羞恥心で唇が震え、上手く言葉が出ない。 一方で落ち着き涼しい顔をしている誉は、クスクスと笑いながら俺を引き寄せる。 同時に、背中のドアが開いた。 そうして誉は、何もなかったかのように言ったんだ、 「さあ、着いた。降りようか」 ……と。 全く、呆れた。 呆れたけれど。 「ちょっと物足りなかったね」 「は?」 「キス」 「……」 「黙ってるってことは、君も同じ……」 「んなわけあるか!」 「あはは、後でゆっくりしようね」 ーーまあ、実際誉と同じ気持ちだったわけで。 俺もかなりこいつに毒されてしまっているという事か。 それから2つ電車を乗り換えた。 同じ目的地を目指す人が多かったようで、一気に空いた車両をホームから見送る。 「吸う?」 誉が指差す先は、喫煙所だ。 出発してからもう一時間以上経つが、そういえば吸いたいとはちっとも思わなかつた。 左手でポケットの中のライターを触りながら少し考えたが、やっぱりあまり吸う気にならなかった。 「……いいや」 誉は少し驚いた顔をした後、"そう"とだけ言ってわしゃわしゃと俺の頭を撫でた。 目的の遊園地は、駅から少し歩いた先にあった。 エントランスから綺麗にライトアップされ、沢山のイルミネーションが輝いていてとても綺麗だった。 実はイルミネーションを間近でちゃんと見たのは今夜が初めてだ。 今までただの人工的な光の集合体だとしか思っていなかったから、こんなに綺麗だったんだって正直驚いた。 「観覧車でも乗ってみる? 上から見ても綺麗だと思うよ」 俄にテンションが上がって辺りを見渡していると、後ろからゆっくり歩いてきた誉が言った。 「観覧車……」 一番向こうにある大きな観覧車も、ライトアップされて輝いていた。 よく見ていると、色が絶え間なく入れ替わっていて、波打ってみたり、中心から放射状に光が放出されたりして模様が変わっている。 「それとも、高所恐怖症だったりする?」 「いや……観覧車……」 ちょっとだけ、それを言うか言うまいか考えた。 が、別に今更こいつの前で変な見栄を張る必要もないかと思い直し、正直に話す。 「俺、観覧車に乗ったことがないんだ」 「え、そうなの」 「というか、遊園地に来たこと自体が初めてだから」 「……」 誉は珍しく面食らった顔をしたまま、俺の顔を見直した。 大抵の事は想定済で、いつもすました顔をしている誉の意表を突けたと思うと、少しだけ嬉しい。 「なら、乗ってみようか」 その言葉に逆らう理由もなく、少しだけ並んで観覧車に乗った。 "透明な床のやつにする?"なんて言われたけれど、流石にそれは勘弁してもらった。 誉の手を借りて中に乗り込む。 ゆっくり上がっていくのと同時に、遠ざかっていく地上の光。 何とも言えないその独特な感覚が面白くて、窓の外を見ていると、後ろからぎゅっと抱き締められる。 振り返り際につこうと思った悪態は、降りてきた唇に遮られてしまった。 誉の手が、両頬を覆う。 触れるだけのキスかと思ったら、舌までがっつり入って来た。 「ちょ、そと、みえな、い」 「もう少しだけ」 「あのな……」 「さっきの続き、ね?」 少しだけ切羽詰まったような声だった。 鼻先に届いた吐息が、熱い。 もう一度、唇を重ねるところから始まる丁寧なキス。 頭の奥がチリチリと燻るのを感じながら、それを受け入れる。 だんだん気持ちよくなってきて、でもまだその感覚に慣れないから不安で、誉のコートを掴む。 するとその手をぎゅっと握られて、更に深く口付けられた。 誉の舌先が凄く熱かった。 熱くて俺の舌まで溶けそうだと思った。 その瞬間、誉はそっと離れていった。 そしてふうっと息を吐き、くったりと俺の肩に額を預けて腑抜けた声で言う。 「だめだ……これ以上したら我慢できなくなる……」 「なんだそれ」 「流石にここじゃ、まずいよねえ」 「何の話だよ」 「分かって言ってるね、意地悪」 「いつもの仕返し」 「はあ……辛い」 「バカじゃねーの」 「まあ、俺だって馬鹿になるよ。 好きな子とデートしてるんだからさ」 「は?それ、本気で言ってる?」 「俺はいつだって本気だよ」 こいつ、真顔で何言ってるんだ。 聞いてるこっちが恥ずかしくなってきて、誉に背を向けた。 なんだよ、もうてっぺんを越えてるじゃねーか。 どんだけ長い間キスしてたんだか……。 けど、まあ、さっきの不完全燃焼よりはずっといいかな。 なんて思ってしまった後、恥ずかしくて一人で赤面していたら、また誉に後ろから抱かれた。 「櫂、他にも初めてのことがあったら何でも教えてね」 「……?」 「君の初めてが、全部欲しいんだ」 「お前な……」 「俺は欲張りなんだよ」 またふざけたことをぬけぬけと。 悪態を、そう思って振り返った。 しかし誉の顔が、思いの外真面目なものだったので、言葉を失う。 振り上げた拳の着地点が見つからないまま、俺はもう一度前を向く。 そして胸の前で組まれた誉の手を、上からそっと覆うように触れた。 初めてをこいつにやるのは別にいい。 けど、そうと伝えるのがあまりにも恥ずかしくて。 考えただけでたまらなくなって俯くと、うなじにちゅっと音を立ててキスをされた。 「ふふ、ありがとう、櫂。 二人で、沢山、色々なことをしようね」 俺、まだ何も言ってないんだけど。 また都合よく解釈しやがったな、どんだけポジティブなんだよコイツ。 ……けど、まあ今回ばかりは、誉の思う通りだ。 だから誉の腕をぎゅっと抱き締め返し、返事の代わりにすることにしたんだ。

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