580 / 2014

第580話

 すると、兄は足を止めてこちらに向き直った。そして手を握ったまま、真っ直ぐ見つめて、言った。 「じゃあ、お前もちゃんと覚えておいて。私にとっては、お前より大事なものはないって」 「……!」 「私だって、親しい人の死がどれだけ辛いか、ちゃんと知ってるよ。これでもお前より多くの戦場に立ってきたんだもん……受け入れたくない死もたくさん経験してきた。あれがお前だったら……と思うだけで、ぞっとして眠れなくなるくらいだ。もし本当にお前を失ったら、私は耐えられる気がしない……」 「兄上……」 「そのせいかな……お前にはつい安全な場所にいて欲しいって思っちゃう。決してお前の実力を過小評価しているわけじゃなくてね、純粋に失いたくないからなんだ。前線でバリバリ戦うんじゃなくて、危険の少ない後方で支援してくれていた方が嬉しい。これはごく普通の親心みたいなものだよ……」  こちらを引き寄せ、軽く抱き締めてくる兄。その抱き締め方はいつもより少し優しかった。まるで子供を抱き締める母親のようだった。  ――親心、か……。  アクセルは母親のことをほとんど知らない。物心がついた時には、既に母親は家にいなかった。父親も当時は勇敢な戦士だったらしく、しょっちゅう戦場に立っていたのであまりいた記憶がない(しかもいつの間にか戦死してしまった)。  代わりに面倒を見てくれたのは、いつも兄・フレインだった。幼い頃からずっと、兄だけが自分のことを見てくれた。アクセルにとってフレインは兄であり、父であり、母だった。兄こそが自分の全てを作り上げたと言っても過言ではない。  だから生前、兄が戦死した時、アクセルの世界は崩壊したのだ。生きているのに死んでいるような感覚とは、ああいうことを言うのだと、今になって思う。  ――もう、あんな思いはしたくない……。 「……兄上」  アクセルも優しく兄に抱擁を返した。

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