631 / 2000

第631話

「……母上は嘘ばかりだ」 「え?」 「……何でもない。いってらっしゃい」  それだけ言うと、兄は諦めたように自分から母に背を向けた。母がどこに行くつもりなのかも、もう帰って来ないであろうことも、全てわかっているような様子だった。小さな子供であっても、親の嘘は見破られるらしい。いや、単に兄が賢いだけなのか……。  ――あんな女性が母なのか……。  懐かしいどころか、逆に落胆してしまう。  あの様子から察するに、多分父とは違う別の男性のところに行ったのだろう。要するに不倫だ。父は出陣で長期間不在になることが多かったから、若い母親は退屈していたに違いない。  しかしだからと言って、子供がいる身で育児を放り出して他の男のところに行くとは何事かと思う。常に貞淑であれとは言わないが、あれではあまりに兄が可哀想だ。自分が母親だったら、四六時中一緒にいてあげるのに。  心配になって兄を追いかけたら、兄は一人で草原にしゃがみ込んでいた。手元の草をブチッと引き抜き、八つ当たり気味にまたブチッと草を抜いた。 「なんで僕だけ一人なの……」  拗ねながら、時折「ぐすん」と鼻をすすっている兄。アクセルが生まれる前は一人っ子だったから、両親がいなければ本当に独りぼっちになってしまうのだ。きっと今までも寂しい思いをしてきたに違いない。  ――兄上……。  父は自分の戦いで忙しい。母は他の男と遊んでいる。兄には何もない。友達はそれなりにいただろうが、そんなのは一時的な慰めにしかならない。家に帰ったら結局一人になってしまう。 「兄上……」  自分の方が辛くなってきて、アクセルは思わず声をかけていた。 「えっ……!?」  すると、兄がびっくりしてこちらを振り返った。大きな青い目がアクセルを見上げてきた。 「……お兄ちゃん、誰?」 「えっ? あー……ええと……」  まさか反応が返ってくるとは思わず、アクセルは答えに迷った。

ともだちにシェアしよう!