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第647話

 兄は仕方なくスプーンを置き、困った顔で言った。 「じゃあ食べたくなった時に食べなさい。私はこれ食べたら洗濯物取り込むから……」 「やだ! おれはあにうえとあそびたい!」 「もちろん遊んであげるよ。でもその前にやらなきゃいけないことがあって……」 「やだ! いまあそぶの!」 「アクセル……」 「やだあぁぁ!」  とうとうアクセルは、目の前の食器をひっくり返して泣き始めた。スプーンを兄に向かって投げつけ、好き放題に暴れている。  ――うげぇ……これが噂のイヤイヤ期ってやつか……。  兄上、大変だっただろうな……と、今更ながら同情する。今の自分なら絶対にこんなことしないが、二、三歳くらいの子供は何をしでかすかわからない。一生懸命作った料理を、自分の気分ひとつで平気でひっくり返したりもする。そこに理屈は通用しない。 「…………」  一方の兄は怒る気力も起きないのか、黙って食器を片付け始めた。弟に合わせて作ったであろうお粥はテーブルの上に広がり、ぐちゃぐちゃに周りを汚してしまっている。こんなことをされたら、心が折れてしまいそうだ。  ――兄上、本当にごめん……。  アクセルは今すぐ兄に土下座したくなった。いや、土下座くらいでは足りない。  兄だって本当はまだ十三、四歳の少年で、思春期真っ盛りのはず。普通なら子育てなどする年齢ではない。両親がいるならもっと甘えてもいい年頃だ。  それなのに父親は不在で母親は帰って来ず、たった一人でモンスターのような弟を育てなければならない。泣きたくなることもたくさんあっただろう。今でこそ、自由奔放でやりたい放題に振る舞っている兄だが、そうなるまでには相当な苦労があったに違いない。  そんな兄の心情など知りもせず、幼いアクセルはまだ泣き喚いていた。子供のギャン泣きは耳に悪い。

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