666 / 2198
第666話
――でもこの人、全然痛がってないような……?
斬った瞬間は血が飛んだものの、今はそれ以上出血していないように見える。服の血もほとんど広がっていない。
もしかして、既に傷が塞がってしまったのか。ここは透ノ国だから、そういう人が出てきてもおかしくはない。
もっとも、敵だった場合はどうやって倒せばいいかわからないけど……。
アクセルは念のためにもう一度聞いた。
「あの、本当に大丈夫か……? 手当てする必要は……」
「ないわよ、しつこいわね。そんななまくら刀で私を傷つけられるはずないでしょ」
「す、すみません……」
反射的に謝ってしまったが、大丈夫そうで安心した。
アクセルは改めて、石板を見つめている女性を眺めた。自分より頭一つ分背が低く、兄と同じ金髪が美しい。
――ああ、そうか……。この人、どこかで見たことあると思ったら……。
この人は母にそっくりなのだ。兄を見捨て、アクセルのことも放置した母と同じ顔をしている。アクセル自身はほとんど顔を覚えていないけれど、兄の子供時代を盗み見た時に出てきた女性がこの顔だった。
それに気づいたら、複雑な気持ちが芽生えてきた。
もちろん、目の前の女性は母親とは別人だ。別人どころか、幻である可能性の方が高い。だけど、同じ顔の人物は母親を彷彿とさせるので、いい気分にはならなかった。母親ではないとわかっているのに、八つ当たりしてしまいそうだ。あんたが兄上を捨てたせいで、兄上はものすごい苦労したんだぞ……と。
アクセルは小さく溜息をつき、その女性に尋ねた。
「あの……それで、あなたはここで何を? その石板は一体何なんだ?」
「それはこっちの台詞よ。あんたこそ、招いた覚えもないのに勝手に歩き回って迷惑だわ。ここで何してるのよ」
「俺は……ラグナロクを終わらせるために、石碑を探していて」
「その石碑を探してどうするの?」
「どうって……破壊すれば滅びの予言が覆るから、ラグナロクも終わるって聞いたんだ」
「……そう」
女性はわずかに視線を落とした。その横顔がやたらと悲しげに見えた。
ともだちにシェアしよう!