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第959話*

「よしよし。じゃあこのままお風呂場までおいで」 「えっ……!?」  兄が少し離れたところから、おいでおいでと手招きしてくる。  さすがに頭おかしいんじゃないかと思い、アクセルは目を剥いた。こんな状況で歩いたら、中のボールが動いて余計に感じてしまうではないか。体幹を鍛えるどころの話ではない。 「っ……兄上ぇ……!」 「ほら、お前ならできるって。例え失敗しても、ここは家だから何とかなるよ」 「っ……」 「自力でお風呂場まで来られたら、たっぷりご褒美あげるからさ。強くなるためだと思って頑張りなさい」 「うう……」  ……どうあっても「無理」とは言えない雰囲気である。  そもそも、兄に道具の使い方を聞いてしまった時点で、どんな目に遭わされても文句は言えないのだ。そこが自分の運のツキだったなと反省する。 「う……く……」  仕方なくアクセルは、下肢に力を込めてテーブルから起き上がった。背筋を伸ばした途端、腹の中がぐるりと蠢き、その場に崩れ落ちそうになった。  だけど兄が手を貸してくれそうな雰囲気はなく、三メートルくらい離れた場所からこちらを眺めてくる。それだけならまだしも、どこか楽しそうな笑みを浮かべてくるので、さすがにイラッとしてしまった。こっちは笑えないほど追い詰められているのに! 「ほらほら、ちゃんと歩いて。でないといつまで経っても終わらないよ」 「っ……」 「それとも歩き方わからない? 右足と左足を交互に前に出すんだよ。こう……一、二と」 「わかってるよ!」  大声を出した途端、腹がきゅっと締まって中のボールが変なところに擦れた。それでまた腰が砕けそうになった。  ――くそ……下手に喋ると逆効果か……。  こうなったら、なるべく腹のことは考えず無心で風呂場まで歩くしかない。  アクセルはよろよろと足を踏み出し、壁を伝いながら廊下を歩いた。風呂場までの道のりがやたらと長く感じた。

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